偽嫁御 | 11

 

 

坤成殿の回廊。
雪のせいで早々に薄暗くなり始めたその角に、ヨンがこちらを伺う姿を見掛ける。

歩哨の武閣氏に向かい、
「暫し離れる」
小声で呟けば周囲が頷き、坤成殿の煉瓦の壁沿い、歩哨に立つ間隔を僅か広く取る。

それを認めて足音を立てず回廊をヨンに向かって進む。

「話したか」
ヨンが顎先で頷く。
「予想通りか」
「ああ」

その声を聞き私は先に立ち、回廊を進む。
回廊陰の死角でようやく息を吐く。

万一にでも媽媽に聞かれれば、あれほど医仙を慕う媽媽の事。
即座に王様のお耳へ届く。
王様のお耳に届けば、枢密院使宰枢との直接の話し合いまで事が拡がりかねぬ。

ヨンもそれを懸念し、離れたところよりこうして私を呼んでいる。
それは分かるのだ、奴は腐っても大護軍。
しかし分からぬのは同じ心遣いをあの折に見せた、典医寺のキム御医の事だ。
心に掛かるあの情報量。
長く天竺にて留まり医者の修業をしていたはずが、皇宮の事情、詳しすぎる。
そしてその配慮、並ではできぬ。
単に人間ができている、思慮深いなどと、そんな事では片付けられぬあの御医。
何者なのだ。

「叔母上」
ヨンに呼ばれて我に返る。
「何だ」
「大丈夫か、茫として」
心配そうな声で問われる。

「お前に心配されるには、三十年早いわ」
「なら良いんだ」
「で、どうだった、成果は」
問いかけにヨンは僅かに眉を寄せ、息を吐いた。
「叔母上の勘、当たりそうだ」
「だろうな」
「一先ず手裏房に当たらせている。
俺との縁組を望んでいるのは確かだが、それにしても突拍子がなさすぎる」
「突拍子がない」
「ああ。話を持ちかけるならあの方が戻る前、俺が一人でいた時期があったろう。
俺の為人を見る時間を要したとはいえ、四年の長さは不自然だと思えて仕方ない」
「・・・ヨンア」
「おう」

医仙を巻き込んだ騒動の此度。
この男の事だ。頭に血が上ったまま見当違いな方向へ駆けていくだけかと思ったが。
どうしてどうして。なかなかではないか。

昨日の迂達赤兵舎とて、あそこで笑わねば医仙も兵たちもただ右往左往したろう。
普段仏頂面のこ奴があれほど大声で笑い飛ばしたおかげで、一気に落ち着いた。

もしや此度、これほどの瀬戸際でも。
いや、安心するにはまだまだ早い。

「何だ叔母上。呼び掛けておいて」
「ああ、いや、呼んだだけだ」
「ふざけてるのか」
不満げに口を尖らせるそんな顔は、幼いあの頃のままだというのにな。
「ふざけるわけがあるか!考えろ」

そう言って甥の背中を思い切り叩く。
「早く帰って差し上げろ」
叩いた後にそう言えば、ヨンは目許を微かに綻ばせて頷いた。

そうだ、早く帰って差し上げろ。
なしではお前が生きていかれぬ方の許に。

 

厩に馬を繋ぐ手が滑る。
騒がしく立てた音に気付いたか、あの方が玄関を出で小走りに駆けてくる。
駆けて来てくれる、それだけで良い。

と思った瞬間、積もった深雪に足を取られ傾いた姿に思わず駆け寄る。
「イムジャ!!」
叫んだが僅かに間に合わず、深い雪にぺたりと尻をつき、あの方が大きく笑い出す。

「歩き方が上手になったと言ったでしょう!」
其処へ駆けつけ、思わず声を上げる。
「怪我は。どこか打ったか、捻ったか」
「上手になったと思ってたけど、今回はほら、ちょっと焦っちゃったから。
怪我はないわよ、雪の上だし新雪だし。お帰り、大丈夫?どこか痛いところは?」

言い訳する軽い体を持ち上げて立たせ、衣についた雪を無言で払う。
この方は俺の眸を覗き込み、額を、生え際を、瞼を。
睫毛を、鼻を、頬を、唇を、顎を。
最後に眉を、その細い指で幾度も幾度もゆっくりと撫でる。
そして頸に指をやり、次に手首の血脈に指を移し、暫し黙ってから頷いて。

「うん、大丈夫」

大きく、明るく、花が開くように笑う。
懐かしい花の香の髪を凍える空気の中、ふわりと遊ばせながら。

「寒いでしょう」
俺が問えば首を振って。
「ここでずっとあなたを見てても平気。 ぽかぽかする」
「ぽかぽか」
「ああ、言わないのかな・・・うーん、あのね、寒ーい時に、あったかいお風呂に入るみたいな」
「手足に血が通う事ですか」

この方が少し困った顔をする。
「ううん、それともちょっと・・・あ」

そう言って小さな手で俺の手を包む。
そこに自分の息を幾度も吹きかけて、温かさが逃げぬように上から握り込む。
「これが、ぽかぽか」
手を握ったまま、俺の眸を見上げて。
ああ、そうか。あの時もそうだった。
「心の事でしたか」
「え?」
頷き得心した俺に、不思議そうな声が返る。

違うのか。
「心が温いのが、ぽかぽかではないのですか」
違うのか、俺は今そう感じたが。

しかしあなたは何故、泣きそうになっているのか。
「そうか、そうなのね」
「は」
「心が暖かいのが、ぽかぽかなのね」
「いや、判りませんが」

 

そう首を傾げるあなたは、知らないくせにいつだって、ど真ん中をついてくる。
分かってないふり知らないふりで、本当は何でも知ってるんじゃないかと思う。
その黒い瞳で、何でも見てるんじゃないかって。
大きくも小さくもない、あるべきものをあるべき形で見てるんじゃないかって。

だから私はあなたの首に手を回す。
私はここにいる。だから私を、私のまま見て。
私は変われない、何も持ってない、迷い込んだエイリアンかもしれないけど。

あなたのことを想う心は、誰にも負けない。

「愛してる」

首に手を回して、雪の中、不安定な足元で、思い切り背伸びして耳元で言えば。
あなたの黒い目はきっと今、優しく緩んでる。
くっつけた頬に伝わる、筋肉の動きで分かる。

「イムジャ」
「なあに」
「化粧は、必要ない」

その意味が分かって、私はあなたにくっついたまま噴き出して、笑いが止まらなくなった。

 

 

 

 

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