2014-15 リクエスト | 雨雫・5

 

 

「あれでは体が持たん」

その呟きに、叔母上とマンボが顔を上げた。
「急に何だ」
「馬鹿だねあんた、ヨンアがこんな事言う時は天女の事さね」

夕刻、マンボを連れて叔母上が屋敷へと踏み込んだ。
マンボの腕を引っ掴み、玄関先に立った叔母上の後ろ。
困ったように此方を見遣る、歩哨の兵の姿が見える。
宮中で見掛ける叔母上とは違い、滅多に此処を訪れぬマンボが安全な者か量り兼ねておるのだろう。
頷いた俺を見てようやく安心したように、兵は前へと視線を戻し姿勢を正した。

叔母上は一言
「来た」
とだけ不愛想に呟くと断りもなく玄関で沓を脱ぎ、ポソンを滑らせながら廊下を寝屋へと進む。
「勝手に行くな」
そう言ってその足先へと回り歩みを止める。
「ようやく寝入ったところだ。叔母上と言えど起こせば承知せん」

本気でその足を止めた俺を睨み返し鋭く息を吐くと
「ならば茶くらい出せ」
そう言うと叔母上の足は廊下で踵を返し、居間へと向かう。

「俺が茶など淹れられるわけがあるか。好きに飲んでくれ」
その声に呆れたようにマンボが笑う。
「ヨンア、お前威張れることかい」
「威張るわけではない」
「そうかい、じゃあ好きにやらしてもらうよ」
マンボはそう言い、厨へと降りた。
そして手早く三人分の茶を入れると戻り、卓を挟んで睨み合う俺と叔母上の前へ音を立て茶碗を置く。
「叔母と甥が睨みあってんじゃないよ、まったく」
そう言われて叔母上から目線を外す。

「あれでは体が持たん」

その呟きに叔母上とマンボが顔を上げた。
「急に何だ」
「馬鹿だねあんた、ヨンアがこんな事言う時は天女の事さね」
マンボが茶を啜りながら訳知り顔で頷き、此方へと首を回す。
「そうだろ」
「ああ」
頷くと叔母上が目を見開き俺を見る。
「典医寺で一度倒れたくらいでか」

俺はそれに首を振った。
「この処、明け方になると泣いている」
「馬鹿が。何故もっと先に言わん」
「言ってどうなる、あの方が必死で悟られぬよう隠すものを」
それでも、もうどうにかせねばあなたの体が持たん。
薬湯であろうと鍼灸であろうと、何か手を打たねば。

心から広がる病が厄介だと常に言うあなただからこそ。
そして自分の体を一番後回しにするあなただからこそ。
俺の事を考えていたとしか思えん。この心が痛まぬように先回りをしていたとしか。

どうしてやれば良い。俺には何がしてやれる。

その瞬間、俺は居間の席を立つ。
「今度は何なのだ」
急に立ち上がった俺に向かって叔母上が問う。
それには答えず寝屋へと急ぐ。

万一己の勘違いならば、起こしてしまう。
気配を殺し、寝屋の扉を音を立てずに指先だけで開く。

その隙間から覗く寝台の上、あの瞳が開いて探している。
部屋の中を見渡し、そして扉の隙間を見つけて笑んだそれを見て、俺は部屋へと滑り込む。

「おはよう」
寝台へ寄りながら、掠れたその声に頷く。
頬に雨雫の跡はない。
「よく眠れましたか」
問いかけに頷いたその姿に、堪えていた胸の息を吐く。

寝台横の床に座り込んだ俺にその手を伸ばす。
頬に触れ目を覗き込み、頸に手首に指を這わせて脈を取り、それを全て終えてから、ようやくあなたが安堵して笑う。
「ヨンア、びっくりしたのね」
そうだ。あなたには隠せない。
高麗一の名医、俺の全てを知るあなたには。

その高麗一の名医が心を病めば、誰に診せれば良い。
侍医か、それとも王様に平身低頭し、より腕の良い医師を探すか。
俺はあの折チャン侍医に何か救われたか。
侍医があれほど懸命に心に寄り添おうとしても、鬱陶しいだけではなかったか。

俺は誰に救われた。この方ではなかったか。
この方が何をした。薬湯でも鍼灸でもない。
生きるという事、護るという意味を思い出させてくれた。
そしてあの時の俺には、それが何より必要だった。

「俺は覚えている」
横になったこの方の枕元に顔を寄せて静かに告げる。
「あなたを大切だと思った時を」

何処から話せば良いだろう。何処から話せば正しく伝わる。
最初から目が離せなかった、そう言えば伝わるか。
元から高麗へ戻る折、黙家に奪われたあなたを探した。
腹を刺された治療の折、脚を剥き出しにした姿に頭が煮えた。
閉ざされた氷の世界で声に呼ばれた気がした。
奇轍に奪われたあなたを、奪い返しに行った。

あなたの肩に凭れた時。小菊を髪に挿された時。
大きく笑んだ顔を見た時。慶昌君媽媽を殺め後退さられた時。

違う。

別々の道を行こうと告げられた時。一人で帰れると言われた時。
あなたが皇宮から逃げた時。荷を奪おうとした手を振り払った時。

違う。

嘘の尋問で呼び出した時。典医寺に戻ったあなたを見た時。
チャン侍医の胸で泣くのを見た時。魘されていると知った時。

違う。
どれもこれも、口に上れば途端に薄平たくなる。
そんなものではないのだ。
こんなにも難しい。あなたが大切だと、ただ伝える事が。
俺の為に此処にいてくれて、これ程嬉しいと伝える事が。

それなのにあなたには、すべて話せと求めるのか。

「イムジャ」
「ん」
「全てだ」
「全て?」
「共に居る時の全てのイムジャが大切だ」

振り返れば何とでも言える。思い出なら美しく見える。
それでも過ごした時間の中で、大切に思わなかった事などただの一度もない。
最初は王妃媽媽を救う神医として。そして無事に帰すために。
最後には己が心から愛する女人として。そして帰りを待った。

最初から大切だった。気になった。腹も立てたし怒鳴りもした。
突き放した。傷つけた。それでもその声も笑顔も。

「大切だ。今までも、これからも」
だから言ってくれ。何を言われても受け止める。
「教えてくれ、俺に何が出来るか」
離れていても待てたのは。心が揺れなかったのは。
「俺を信じろ」
あなたを信じているからだ。決して俺を一人にしないと。
だから、信じろ。
「信じて聞かせてくれ」
「ヨンア」

床に座り込んで上半身を寝台に預けて、私の枕の端に乗せた、あなたのその顔。
その頬に触れて、黒い瞳を覗き込む。
大好きなその目。その声。離れてる間も思い描いた全て。
「逢いたかった。ただあなたに逢いたかった。
江南に帰れても、家に帰ろうとは思えなかった」

そう。ただ病院に行って、必要な道具を取って、そのまま丘で倒れた あなたの元に帰ることしか頭になかった。
天門をくぐる最後に一瞬だけ振り向いた。
あの世界の全てにお別れするために。アッパにも、オンマにも。

「あなたさえいれば、本当に何もいらない。
でも最後に振り向いた時、アッパの事もオンマの事も二の次にしたのだけが、申し訳ないの」

今なら分かる。
「あの頃私が、あなたを呼んでたみたいに。そこにいる?っていつも探したみたいに。
アッパやオンマも今、聞いてるかもしれないの。聞こえない私の声を探して、姿を探してるかもしれない」

それがどんなに寂しい確認作業か、私にはよく判る。
あなたを失えば私は闇の中、永遠にそうしていたから。

「そんな思いをさせてる自分が申し訳なくて心が痛いの。
わかってヨンア、あなたが何かしたんじゃない。
私、あの時、両親に連絡するチャンスがあった。それも2回も。
奇轍から逃げて天門をくぐった時。そして100年前から戻って来た時。
なのに何にもしなかった。病院から電話も、伝言すらも頼まなかった。
私、何もしなかった、出来たはずなのにしなかったの」

あなたに伝わることを祈って話す。あなたのせいじゃない。
「だから自分を責めないで。あなたがここにに連れてきたからじゃない。
そうじゃなくて、自分がしなかったことが心残りなの」

ようやく伝えた言葉に、大好きなあの目が哀しそうに曇る。

 

 

 

 

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