2016再開祭 | 秋茜・拾柒

 

 

横になった布団から痛む体を剥がし、その勢いで半身を起こす。
まだるこしい前置きのない一撃に声を詰まらせ
「・・・その話は」
ソヨンは言い辛そうに口籠った。宮廷に来るまでは口籠る事など、唯の一度もなかった女が。

「答えろ。そのつもりか」
ソヨンは悔し気に唇を噛み締めた後、ようやくゆっくり開く。
「あんたを売り飛ばすくらいなら自分を売る。信じなくても仕方ないけれど。
あんたは好きな処に行ってほしい。私の分も自由になって。それだけの力が今のあんたにはある」
「ソヨン」

ソヨンの何処までも反抗的な黒い目に浮かんだ悔し涙に嘘はない。その程度は俺にも判る。

「その為に王様の処まで行った。明日帰ったらきっと内医院は大騒ぎになる。ある事ない事騒ぎ立てられる」
「そうだな」
「でも私に首を振る資格はない。内医院にいる限り。大監の声、まして王様の御声には。
それだけは判って欲しい。あんたには軽蔑されるだろうけど。
出来るのははいと答えながら、出来る限り刻稼ぎをするだけ。どうにか良い手を打てるようにね」
「逃がしてやる」
「・・・え?」
「それ程苦しいなら」
「ソンジン、あんた何言ってるの」

この勝気で口の達者な女に、そこまでの我慢を強いる宮廷。
牧氏の息子すら一喝する肝の据わった女には耐え難かろう。
北まで上がり、鴨緑江を超えれば元。いや、今は違う名か。女一人なら連れて逃げる事も出来る。

しかし当の本人がそれを望まぬように、顔色を変え首を振る。
「あんたは王様に誓った筈よ、守ると。はいと言ったでしょ」
「事情が変わった」
「そうお伝えするの?事情が変わったからもうお守りしないって?あんたにとって王様との約束はそんなものなの?」
「お前の方が」

思わず口を衝きそうになった声に、誰より己自身が驚いた。
お前の方が大切だ。
お前がお前でいられる処で、思うが儘に振る舞う事。
俺にとってはそちらの方がどんな誓いよりも大切だ。

「あんたは力を手に入れた。王陵寺にも自由に出入り出来る。その天門とやらを一度見つけたんだから、待てばまた」
「お前も来るか」
「一体何を言ってるの。あんたが行くのよ、ウンスの処へ」

ウンスの処へ。 以前の俺ならその為になら何でもしただろう。
生きて再び逢えるなら、他の何もかもと引き換えに。

「教えてくれ」
「・・・何をよ」
「どうすれば守れる」
「何を」
「明日から内医院では、針の筵だろう」
「私はそんなの慣れっこよ。どうせどこにいても同じ。妓房も内医院も変わりはない」

女は肩を竦めて皮肉気に口端を上げ、笑みのようなものを作る。
この女の質ならそうだろう。
これ程勝ち気で口が立ち、おまけに美しくて賢ければ、目の敵にされても仕方ない。

俺の前のように鎧を脱ぎ、鞭を下してみれば良い。味方は増える。
そしてそんな器用な女なら、俺は絶対に守ろうなどとは思わない。
そんな肚裡など知らず、ソヨンは次に本当に笑って見せる。
険しい眉を寄せているだろう俺を笑わせる為だけに。

「そうね。あんたが禁衛の都堤調になってくれれば、パク大監より高位よ。そうなれば守ってもらえる」
「遠い」
「え」
「都堤調か・・・遠いな」

騎士将、千摠、別将、その上位に中軍、大将、提調。
問題の都堤調はまたその上だ。容易には上がれまい。
頭の中で指を折る俺を前に、ソヨンの顔が蒼褪める。

「遠い近いの話じゃないわよ。ソンジン、人前でそんな事、間違っても言わないで」
「禁衛営では守り切れん。宮廷から離れている」
「ちょっと、あんた人の話を聞いてるの」
「内禁衛なら願ったり叶ったりか・・・」

膝に乗せたソヨンの粥の椀の中身が零れる程傾いたのに気付き、手を伸ばしそれを支える。
しかしソヨンは、偶然触れあった指先にすら気付かぬらしい。
熱のある俺より茫然とした黒い目で、こちらを見たまま呟く。

「あんたはまだ熱がある。だからだわ。正気と思えない。守るだの、都提調だの」
「かもな」
確かに熱に浮かされていなければ、こんな事は言えん。
「ソヨン」
「・・・何」
「心配するな」

王との約束もソヨンをも、どちらも守れる道。
そしてどうやら、頭が切れるらしき内禁衛将。
俺が姿を消すと同時に、門衛士に号牌を確りと見るよう通達を出す程だ。
そんな男の下ならば、暫し留まるも悪くはなかろう。

「守ってやる。お前も、王との約束も」
「ソンジン」

忘れるな。思い出せ。草の根を分けても見つけろ。
決して離すな。一人にするな。

夢の中の俺の声、それこそが耳に響くあの声の主だった。
俺でもあり、そして俺でもない声。
どんなに考えても判らぬのなら、俺は俺の心にのみ従う。
今一人にしたくないのは目の前のソヨン。

お前が誰を探せと言っているのかは知らぬ。
そして探したくば、お前が探し出せば良い。
俺に命ずるな。俺は見つけた。お前の声が契機だとしても。

ウンス、俺の由佐波利は止まった。
忘れる事はない。夢で俺を抱き締め、笑みを浮かべたお前を。
幾度もこうして巡り逢うだろう。時に夢の中で、そして時に。
「ソヨン」
「何」
「俺は、どうやら」

あれこれと理屈をつけては宮廷に残り続けた。
奉恩寺など考え付かず、木陰で見つめていた。
王様の策と薄々判っていながら敢えて乗った。
巡り逢ったと、心の何処かが先に気付いていたからだ。
背中を押して行けと叫べぬ、決して手を離せぬ唯一の女人に。

ウンス、お前は言った。
─── 私に会いたいとだけ思って、門をくぐってくれる?
俺は従った。逢いたいとだけ思い此処へ来た。そして逢った。

風が揺らす亜麻色の髪でも鳶色の瞳でもなく、黒く濡れた髪ともっと黒い瞳。
それでも胸を衝かれる程、何処かお前によく似たこの女人に。

余りに長い沈黙と視線に戸惑ったか、辛抱しきれずソヨンがおずおずと尋ねる。
「どうやら何、ソンジン、どうしたの」
「・・・熱がある」

正直な告白に、その唇が呆れたように半ば開いた。

 

 

 

 

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