2016 再開祭 | 手套・結篇 〈 下 〉(終)

 

 

「姐さーーん、もう1本くださーい」

日が暮れて急に寒くなったのに、マンボ姐がどれだけ離れに行けと勧めても絶対にうんと言わない。
風が吹き抜ける東屋の中完全に酔っ払った声で、天女がふらふら手を上げた。
「ほらほら、シウルさんも、チホさんも。飲みましょう!今日は一緒に飲んで下さいよー。ヒドさんがいなくて残念だけど」
振り上げた酒瓶が危なかしく揺れるのを見るのが怖くて、思わず瓶だけ上手に盗み取る。

間違っても手に触るわけにはいかないだろ。ヨンの旦那の奥さんだし、天の人なんだし。
だけどそのままだとただでさえ重い酒瓶が落っこちて、その頭をかち割っちまいそうだし。
「あれえ?」

急に軽くなった手を確かめて、天女が首を捻った。
勇気あるな。西の空が暗くなり始めたばかりの早い刻からこんなに深酒するなんて。
天女が腰を据えてからそろそろ一刻になる。その間に空けた酒瓶が二本。
どれだけ強いかはよく分からないけど、酔っ払ってるのは分かる。
それにどんなに強くても、一刻で大瓶二本は相当な量だ。

俺はチホと顔を見合わせて、お互いに溜息をつく。
「なあ。天女。旦那はどこだよ」
黙っていられなくなったチホが口を開く。
確かに天女一人で酒楼に飲みに来るなんて初めてだ。

「だ、ん、なあ?」

天女は何がおかしいのか両手で卓の面を大きな音で叩いて、次にげらげら笑いだした。
「妻の誕生日の前の日に、他の女性と会ってる人のこと?」
「あ、何だ。天女も知ってたのか」

チホが安心したように大声で言うと、何故かマンボ姐が厨から新しい酒瓶を下げて飛び出して来た。
「やっぱり知ってたのかい、天女!」
「知ってましたよー、だって見ちゃったもん。今日の昼、姐さんの薬房に行く途中で」
「尚宮婆にちゃんと確かめたかい」
「え?何で叔母様に?」

何だろう。話の流れがおかしかないか。
俺はチホを見る。チホは天女を見る。天女はマンボ姐を見て、そしてマンボ姐が俺を見る。

「知ってるんだろ、天女。あの女はヨンの旦那の叔母さんのとこの人だって」
俺の声に、天女が首を大きく振った。
「何それ?初耳だわ。そうだったの?でも普通の服で」

俺とチホが何かを言う前に、マンボ姐が急いで口を挟んだ。
「尚宮服じゃ、市の中で目立っちまって仕方ないからだろ」
「だって、何であの人が武閣氏オンニと」
「天女に内緒で祝いの飾り物を探したいから、助けてくれって頭を下げたらしいんだよ。聞いてないのかい」
「えええーーーっっ!!」
天女はこっちが驚くくらいの大声で叫ぶと、ふらつく足で立ち上がりかけて、腰から砕けて椅子にへたり込んだ。

「ど、どうしよう、姐さん」
「何だい、今度は」
「私、何にも言わないで帰って来ちゃった・・・伝言も残さないで」
「伝言って、ヨンにかい」

マンボ姐の声に頷きながら、天女は声にならない呻き声を上げて卓に突っ伏した。

 

*****

 

「ウンス殿は、もう帰られましたが」
戻った典医寺、駆け込んだ俺に御医は不安そうな目を向けた。
「チェ・ヨン殿。本当に大丈夫なのですか」

若芽湯の具材の手配は整った。贈り物は探せず終いだった。
明日の準備として、大丈夫と言える成果かどうかは判らん。

「いつだ」
「チェ・ヨン殿が飛び出て四半刻ほどで戻られて。買い求めた薬草を置いてすぐですから・・・今から一刻程も前です」

開京の市中を探し回ったのが仇になった。
念の為に宅まで戻り、タウンとコムに伝言を残したのも。
舌打ちと共にキム侍医に告げる。
「戻らぬとは思うが、万が一」
「戻ったら、次は必ず引き留めておきましょう」

奴はそう言うと確りと頷いた。己の身から出た錆とは云え。
三度開京への道を走り始めた背後で、御医の呆れた息の音がした。

それでも此度はチュホンがいる。
門前でその背から飛び降りた俺にコムが目を丸くして手綱を受け、
「ウンス様は、まだ」
とだけ言った。

此処でなくば酒楼。其処にも居らねば覚悟の出奔。
そうなれば捜索に多少の刻がかかる。
それでも何を探せば良いか判らなかった飾り物の、雲を掴むような話とは違う。
探すのはあの方。範囲は開京。必ず見つけて見せる、明日までに。
「戻ったら引き留めてくれ」
「はい、ヨンさん」
「チュホンを頼む」
「乗って行かないんですか。その方が早い」

首を振り大路に向けて走り出す。混み合う大路、脇の細道の奥。
入り込んで探すなら、寧ろ己の足の方が小回りが利く。

此度の賭けは吉と出た。
手裏房の酒楼に飛び込んだ途端、東屋の方から駆けて来たシウルとチホが困り顔で頻りに奥を指す。
「いるんだな」
「もうすっかり出来上がってるよ」
「担いで帰る」

言い捨てて東屋に歩もうとした俺に、チホが声を掛けた。
「旦那」
振り向くと奴は決まり悪そうな顔で、足元の固い根雪を爪先で掻き
「俺さ、判ってたのに」
「・・・何だ」
「ごめんな。旦那の事、ちょっと疑っちまったから」
「話は後だ」
「俺だって別に本気で疑った訳じゃねえぞ。だけど」

埒の空かぬチホの様子に首を振り、まずは東屋へ駆ける。

「ああ、やっと来たかい!」
あの方の横に座っていたマンボが、駆け込む俺に大声を上げる。
「ほら天女、迎えが来たよ。もうお帰り」

あの方は伏せていた卓から顔を上げ、乱れた髪の隙間から此方を確かめた。
鳶色の瞳が、濃い酔いで焦点を失くしかけている。
「どれ程呑んだ」
「大瓶で二本。大虎だね」

立ち上がったマンボは俺とすれ違う刹那、憎々し気な目で睨みをくれた。
「どんだけ大事な贈り物だか知らないけど、贈る相手を泣かせてまで探すもんかね。
順番間違えてんじゃないよ、馬鹿馬鹿しい」
「悪かった」
「あたしに謝ってんじゃないよ!」
「・・・ああ」

二人きりになった東屋は、抜ける北風が強くなったように感じる。
マンボが温めていた椅子に腰を下ろすと、この方が大儀そうに椅子上で、体ごと此方へ向き直る。

「知らなかったの」
頽れたのか、それとも詫びなのか。その体ががくりと傾き、慌てて胸に受け止める。
「あなたがサプライズ用意してくれてたなんて。叔母様にもみんなにもちゃんと説明して、力を借りてたなんて」

腕の中から酔いの回った舌足らずの声で、この方が言い募る。
「私も知らなかったから悪いんだけど、でも」
「はい」
「本当にビックリしたんだからー!」
「はい」

今のこの方を泣かせているのは俺なのか、それとも酒なのか。
「だけどサプライズだから、言えなかったのも分かるのよ?それも嬉しいって思ってるから・・・」
「はい」
「一緒にいてくれて、ありがとう」
「・・・は?」
「探してくれて、ありがとう」
「イムジャ」
「誕生日を祝ってくれようとして、本当にありがとう。でも私は」

小さな手がふらふらと俺の手を探し、指先を強く握った。
「あなたがどこにも行かないで、ここにいてくれるって思えるのが一番嬉しいし、最高のプレゼントなの。それは分かって?」

それは俺の言葉だ。俺が伝えようとした言葉だ。
感謝している。倖せだ。生まれて来てくれた事。共に居られる事。
なのにあなたはそれすらも先回りする。
そしていつでも一手遅れる俺は、悔しさに臍を噛む。
伝えたいあの天界の声だけは、絶対に先回りさせる訳にはいかぬ。

「愛してる」
「愛しております」

二つの声が重なって腕の中を確かめると、其処から上がった瞳に映った己。

「・・・帰りましょう」
頷いた瞳に映る己が、優しく見えて安堵する。
この方の瞳に優しく映っていればそれだけで。

声に頷いたあなたは、しかし酔いのせいで足許も覚束ぬ。
一旦椅子を立ち前に廻り込むと、軽い躯が隙間なく背に倒れ込む。
確り背負って足許を確かめ、凍雪に足を取られぬようゆっくり東屋を出る。

 

背から胸前へと垂れた両掌が冷たそうで、嵌めた手套を後ろ手で抜く。
背負うこの方を揺すり上げ、片腕だけで支えもう片腕でその手に渡す。

「イムジャ」
「んー」
「手套を」
「あなたが寒いから、だーめー」
「構いません。早く」
「やーだー」

幾ら軽いとはいえ片腕だけでは安定を欠く。落としそうで怖い。
「イムジャ、頼むから」
「じゃあ、片方ずつね。私がいっこ、あなたもいっこ」
背負って身動きとれぬ俺の背で、いきなり小さな体が暴れ出す。
「イムジャ!」
「下ろしてーヨンアー」

俺の背から地に足をつけるとあなたは握らせた手套を一つ嵌め、もう一つの手套を俺の手に突込む。
「手袋みたいに、一緒にいたいなぁ」

手套を嵌めさせながら、あなたが酔いどれ声で言って微笑んだ。
「かたっぽずつだと意味がない。いつでもふたつペアでしょ?」
「はい」
ぺあの意味は判らぬまでも、片方で意味がないとおっしゃる声は理解出来るから頷くと
「でもかたっぽずつでお互いを温められる。はめてない手はお互いつなげばいいわ。そんな風にずっとあなたと一緒にいたいなあ」

誕生日でも、酔払っても、こうして倖せにして頂くのは俺の方だ。
情けなさ過ぎて涙が出て来る。
見上げた夜空は冬から春への星。
撒かれた銀砂は月とは違う光の色で、酔ったこの方へと淡く降る。

その酔いどれをもう一度背負い直し、再び歩き出す。
宅への道を出来るだけゆっくりと。

「明日は」
「うん」
「若芽湯です」
「わーそうだ。うれしいな。二日酔いにも効くかしら」
俺の手製だ。味の保証は出来ぬ。せめて効いてもらわねば困る。
「ヨンア」
「はい」
「手袋、なくさないでね」

酔ったその声は、何処まで判っておっしゃっているのか。
誰が失くすか。二つ対でなければ意味が無い。

「絶対に失くしません」

軽い躯をもう一度揺すり上げ、根雪の道を宅へと向かう。
冬から春へと向かう星の下。

明日の朝の下拵えの間、この方は大人しく眠っていて下さるだろうか。
俺の気配には妙に敏感な方だから、起き上がるにも気を付けねば。

此度こそしくじるのは許されん。今宵はこの方に先手を打たれた。
明日こそ必ず伝えるべき事を。酔いに負けておらぬ時のこの方に。

そんな嬉しい計画を、頭の中で綿密に立てながら。

 

 

【 2016 再開祭 | 手套 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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5 件のコメント

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    こんにちは、まぁ何で有れ二人は、仲が、良いと言う事ですね。お互い想いやる心が、有って良かったかもね。たまには、発散も良いかもね。

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    順番間違えちゃいけません(笑)
    トラブルのもとよ もと!
    すぐに誤解もとけたし
    よかったねぇ
    やぁね 思いは一つ
    らぶらぶ…
    手袋みたいに 2つで1つ
    一緒にしないと意味がない
    ずーっと いっしょにね
    (〃ノω)σ| モジモジ

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    こんにちは。はじめまして。いつも楽しく、ほほえましく読んでいます。さらんさんの書かれる素敵なお話に、ドラマ信義の世界が色褪せることはありません。
    そこで、ひとつお願いが。
    オリンピックが、平昌、カンヌンで行われていますが、高麗の世界で、ウンスがオリンピックを紹介するっていかがですか。戦の変わりに冬季運動会と、迂達赤の鍛錬も兼ねて。
    いつの時代でも、戦争はないに越したことはありません。当時の人々も同じ思いだったと信じたいのです。
    それに、王様の幼名がカンヌン大君だったかと。なんとなく親しみを感じるので。

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    いつ、手袋出てくるんだろうなぁ?って思っていたけど、こうやってさらんさんは二人の絆を手袋で繋いでくださる。だからもう病気のようにさらんさんのお話を待ってしまうんですよね~。仲睦まじい二人と同じだったらいいなあと星空見上げます‼

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