2016 再開祭 | 一酔千日・後篇 〈 酒房 〉

 

 

離れへと向かう庭、棟の角で足を止める。
気付かず進もうとするこの方の前、斜めに伸ばす腕で行く手を遮り
「・・・趣味が悪い」
その角の先の暗がりへと声を掛ける。

闇が揺れ、同時にゆらりと現れる闇よりも濃い墨染衣。
ヒドが苦笑いを浮かべ、此方へ顎をしゃくって見せた。
「行くぞ」

何があろうとヒドの事だけは読み違える訳がない。
付き合いの長さも深さも、命を預け合って来た重みもある。
そして俺の知るヒドは何があろうと、相手が誰であろうと、こんな風に待ったりはしない。

この方に引き寄せられる力は、纏う闇が重い程強いのかも知れん。
己自身も、奇轍も徳興君も。
それぞれ闇や重荷を背負い、何かに倦み、何かを諦めてそれでも足掻く。
そんな者ほど憑かれたようにこの方を追い求める。其々理由は違っても。

そして眸の前に立って俺達を待っていたヒドも同じだ。
俺のような武人の名分すら持たず、人を斬って来た男。
その心の裡に抱えた昏さは、綺麗事では到底測れない。
これ程長く奴を知る俺であっても本当の処は判らない。

騒ぎを人一倍嫌う男だ。手裏房の大騒ぎに紛れ、黙って表に逃げるなら判る。
それでこそ俺の知るヒドだ。
判らないのはこうして、まるで俺達を誘うように待っていた事。
この方が酒を呑みたいと知っていて、まるで同席を歓迎するような振舞い。
論より証拠だ。その行くぞの一言が。

しかし何も知らぬこの方は後生楽に、俺が遮った腕の影からヒドへ向かって頭を下げた。
「ヒドさん、新年おめでとうございます!」
「ああ」
「今年もよろしくお願いします。新年の福をたくさん受けて下さいね」

始まりは心地良かった筈なのに、宵は深まるにつれ様子が変わる。
俺を誰より知り俺が誰より知る筈のヒドが今、誰より一番判らん。
この方の新年の挨拶に頷いたヒドは、寒い庭の片隅に飽いたよう再び尋ねた。
「行くか、行かんか」

その声からも顔からも、相変わらず何の心の動きも読み取れん。
喜怒哀楽、そのどれにも当て嵌まらない平坦で冷静なものだ。
それでも俺の知るこいつなら絶対にこんな風に相手に尋ねない。
行きたければ一人で出掛け、気が乗らなければ姿すら現さない。
「ヒョン」

俺の呼び声に初めてほんの少し目許を緩め、ヒドは俺の肩を叩くと返答も待たずに門に向けて歩き始めた。

 

*****

 

ヒドが案内したのは既に暗い市の片隅にある、一軒の酒房だった。
取り立てて目立たぬ酒房。
馬鹿騒ぎをする酔客も、余分な色香を振り撒く酌婦もおらぬ、如何にも黙って杯を傾けるに相応しい店。

その庭先に適度な間隔で置かれた、幾つかの縁台の一つに陣取る。
頭上の提灯の灯だけが頼りでも周囲の客の数人は気付いたらしい。
それぞれが卓で目交ぜし、此方に向けてにこやかに頭を下げる。

それでもヒドが同行してくれた所為か、それ以上近寄って騒ぐ者は居らずに済んだ。
店の酒母は呼ぶより早く椀と酒瓶を手に縁台へ駆け寄ると、俺達に順に丁寧に頭を下げた。

「旦那様が大護軍様とお知り合いだったなんて」
「ヒドさんは、ここの常連さんなんですか?」
酒母の声にこの方が目を丸くして、俺の横のヒドに確かめる。

「・・・・・・」
ヒドは怒鳴るでもなく、かといって答えるでもない。
問い一つで機嫌を損ねるなら、何故同行しようという気になったのか。
何もかも予想とは違う方へと進んでいる気がして、俺は無言のまま酒母の置いて行った酒瓶を掴み、卓上の三つの椀を酒で満たした。

 

心の乱れが酒の勢いを狂わせる。
肚に積もる鬱憤が酔いを速める。

周囲はこの顔を知っているようだ。
幾ら何でも大護軍の目前で、喧嘩を始めようという愚か者は居らぬのだろう。
もしも喧嘩が始まろうものなら今の俺は間違いなく飛び込んで行くだろうから、静かであるに越した事はない。

手酌酒の杯を重ね、思い返す程腹が立って来る。

市井の男と親しそうだった姿。駆けて来た子らの爺扱い。
この方の周囲を跳ね回る奴ら。見覚えのないヒドの態度。

何より夢のようだった夕暮れに、一人浮かれた事。
一緒に飲みたいと言われ、俺だけと思い込んだ事。
そんな些細な事が積もって、杯を干す勢いが増す。
もう一度飲み干す筈の杯が、此度は口に届かない。

酔いに霞む眸を幾度か瞬いて見れば、握る杯を横からでかい手が抑えていた。
「早過ぎる」
その手の持ち主は不機嫌に吐き捨てて、俺の掌の中の杯を奪う。

「返せよ」
その杯を追い掛ける指先も返した声も、言い訳できぬ程ふらふらと揺れている。
「・・・珍しいな」

声を聞いて初めて判ったか、ヒドは奪った杯を握って此方を見た。
「おい、ヨンア」
「ゆっくりやるから」

粘る俺に渋々杯を返し、ヒドは小さく首を捻った。
そうだ。俺が今宵お前を判らぬように、今お前も俺の爛酔の理由が判らぬに違いない。
「ざまあみろ」

俺は掌に戻った杯の中身を一息に煽り、横のヒドの肩を抱いた。

 

 

 

 

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