2016 再会祭 | 待雪草・後篇 〈 下山 〉

 

 

辺りを注意深く見回して、互いに十歩以上離れずに歩いた半刻。
「テマナ!」

雪が降っていなかったのが幸いした。降っていればその跡はとうに新雪に埋もれて消えて、絶対に見つけ出せなかっただろう。
雪の山道の端に、崩れた小さな跡。崖じゃない、林の中のあちこちにある段差の傾斜を、低い方へと滑ったような。

俺の叫び声にテマンが走って来る。
その時俺はもうその雪道の端に腹這いになって、斜面の下へ向けて叫んでいた。
「ハナ殿!ハナ殿、いませんか!!」
「・・・トク、マン様、ですか」

その下から聞こえて来た声にほとんど泣き出しそうになりながら俺はもう一度、視界を遮るように塞ぐ邪魔な枝を手で跳ね除ける。
しかし斜面を覆う枯れた下草に隠れたらしいハナ殿の姿は、それでもまだ見えない。

「そうです、トクマンです!テマンもいます!すぐ行きますから、そこでもう少しだけ待って!!」
「いたのか」
「ああ、この下だ!」

俺の声にテマンは沓に巻いていた荒縄を素早く解いて、二本を結び合わせて長い一本にした。
そして片側を近くの太い木の幹に結び付け、もう片方を自分の胴に結ぶ。
「どうするんだ」
「降りて掴まえて来る。お前は縄を手繰って」
「俺が行く!」
「俺の方が軽い」
「俺の方が力がある。ハナ殿を担いで上がるなら」
「分かった」

口論の間も惜しいのだろう、テマンはあっさり折れると自分の胴の縄をすぐに解き、それを俺に渡した。
「ハナ殿、待ってて下さいね!」
縄の端を自分の腹にしっかり巻き付け、最後にテマンを振り返る。
奴が一度だけ頷くのを確かめ、ハナ殿の滑り落ちた山道の端から斜面に足を掛け、一歩ずつ確かめながら俺は慎重に下へ降りた。

山道からの段差は、高さにしてほんの十尺ほどしかなかった。
そこを降りて見渡すとハナ殿は斜面の下、積もる落葉を掘ったのだろう。その中で小さく体を丸めて蹲っていた。
「・・・・・・心配しました!」

言いたい事は山ほどあるのに、それしか声が出て来ない。思わず上げた怒鳴り声に、真青な顔でハナ殿は頷いた。
「申し訳ありません・・・」

こんな時なのに落葉の山の脇に、金色の実をつけた枝がある。
「どうして食べなかったんですか」
遭難した時には体力が一番だ。食べ物があるとは思わなかった。
金柑の枝を怒ったように指差す俺に、ハナ殿は曖昧に首を振る。

「大切な、ものなので」
「あなたの命より大切な物なんて、この世にないでしょうっ!!」

駄目だ。こんな事が言いたいんじゃないのに。
「とにかく行きましょう。このままじゃ」
そう言って落葉の山の中で蹲るハナ殿を見る。
ハナ殿は何故か困ったように眉を下げ、小さく首を振った。
「あの、トクマン様」
「まさか残るなんて言わないでしょうね!」
「そうではなく、足が・・・」

だから蹲ったまま上がれなかったのか。慌ててその脇にしゃがみ込み、
「見せて下さい」

それだけ言って彼女の足に手を伸ばす。遠慮してる場合じゃない。
そしてすぐに気付く。その裾が大きく破れている事に。
濃藍色の長衣、そして斜面の影、落葉に埋もれて気付いてあげられなかった。

殴られても蹴られても、罵倒されても仕方ない。
嫌われて二度と顔を合わせたくないと思われても・・・それはさすがに辛いけれど、諦めるしかない。
けれど今はそんな事に構っている場合じゃない。

彼女が驚いたようにもっと小さく体を丸める前に、半ば強引にその足首を掴む。
「申し訳ありません」
一言だけ詫びて、ハナ殿の長衣の裾に手を掛ける。

捲り上げた濃い藍色の長衣の下。白い下履はざっくりと裂けて、大きな血の染みが出来ている。
「て・・・テマナ。テマナ!」

俺の声に縄に手を掛け上から身を乗り出すように、テマンの顔が覗く。
「どうした、引っ張るか」
「違う。ハナ殿の足が切れてる」
「挫いたか、切り傷だけか」
「動かせますか」

ハナ殿は問うた俺に頷いて、足首を上下に動かして見せた。
「落ちた時に、何かで・・・太い枝か、岩肌かで切ったようです」
さすがに下履越しとはいえ、その足に触れるのは無礼が過ぎる。確かめた俺は再び上のテマンを仰ぎ
「挫いてはいないみたいだ。ただかなり酷く切れてる」
と伝えた。テマンは頷くと声を返した。

「分かった。担いで帰ろう。上げるから、ハナさんを背負え」
「わ、判った」
有無を言わせずハナ殿を落葉の中から抱え上げ、あちこちに付いた葉を軽く叩いて落とすと、俺はそのまま背を向けた。
「乗って下さい」
「でも」
「早く乗って下さい!」

ハナ殿もそれ以上は何も言わず、落葉の山の脇にあった金柑の枝を袖口に入れると、俺の背にぴったり身を寄せた。
「痛いと思うけど、しっかり首に掴まって」
「はい」
「大丈夫ですから。絶対に落としませんから」
「・・・はい」
「上がるぞ、テマナ!」

俺の合図にテマンは頷き、荒縄を両手で握り締めた。

 

上まで戻り荒縄を解く俺の横、ハナ殿の傷口を長衣の上から確かめただけでテマンは渋い顔をした。
そして一度空を見上げる。まだ昼の刻だ。
充分に高さのある陽が、冬の裸木の枝を抜けて雪の山道を照らしている。
「トクマニ」
「何だ」

荒縄を解き終えて振り向くと、奴はハナ殿に聞こえないよう俺の側に寄り、低く言った。
「ハナさん担いで、山を下りられるか」
「勿論だ。何で」
「多分、医仙に声を掛けた方がいい」
「・・・酷いのか、そこまで。命に係るとか」
「そうじゃない。ただ深い。薬草だけじゃ傷がふさがるのは春だ」
「判った。俺が担いで典医寺に連れて」

けれどテマンは俺の声に首を振った。
「さっきの御邸が良いと思う。まだ隊長がいる」
「よし。儀賓大監の御邸で落ち合おう」
「気を付けろ。熊の気配はないけど、ここまで一刻かかってる。背負って下りれば、もっとかかるかも」
「心配するな。それより、医仙を頼む」
「分かった」

テマンはそう言うと俺が二本纏めて渡した荒縄を一本だけ取り、袖口から振り出した手刀でそれを半分に切る。
切ったものを一本ずつ沓に巻き付け、まるで狼ほど素早い動きで山道を駆け下りて消えていく。

残された一本の荒縄。これでハナ殿を背に括りつけろって事か。
黙って着ていた上衣を脱いで、俺よりずっと小柄なハナ殿を包む。
「ハナ殿。もう一度、おぶさって下さい」

再び前にしゃがみ込んだ俺の背に、もう無駄口も叩かずハナ殿はしっかりしがみ付く。
「ちょっとの間ですから、辛抱して下さいね」
ハナ殿の重みと熱を感じながら、着せ掛けた上衣ごと背に荒縄を廻す。
襷掛けにして胸前で交叉させ、次は逆側に。
最後に胸から胴まで、出来る限り回して端を固く結ぶ。

雪の上で軽く跳ね、ハナ殿が不安定に揺れない事だけ確かめて、俺は雪道を下り始めた。

 

 

 

 

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