2016再開祭 | 秋茜・拾陸

 

 

背筋に氷柱を突込まれたような寒さに目が覚める。
絶えず襲ってくる悪寒に震えながら、手足は燃えるように熱い。
体中の全ての節々が、冬の枯木のように音を立てて軋んでいる。

どんな姿勢を取っても体が痛む。とにかく全身がみしみしと。
気を抜けば今にも散り散りになりそうな意識を手繰る。
そうか、王陵寺に行けば良かったのか。
確かに行って待ち、運が良ければ再び光が射したのかも知れん。

考えもしなかった。ただ腹が立ち、庵を飛び出しただけで。
王に最後に挨拶し、片を付けて宮廷を去ろうとしただけで。

「ソンジン、起きた?」

眠ったのか眠れていないのかも分からない。
仕切り障子の向う、庭はぼんやりとした昼の明るさに満ちている。
ソヨンの声に頷くと、その腕で静かに頭を抱え起こされる。

口許に匙が当てられる。
流し込まれた薬湯を飲み込み、また浅く苦しい眠りに戻る。

女の気配がある。目を開けるたびに覗き込む不安げな視線。
その手が額の上の濡れた布を取り換え、手首の脈を取る。

大丈夫だと言う事も触れるなと振り払う事も出来ず、されるに任せ再び目を閉じる。

 

熱が上がったソンジンは酷く苦し気に、寝返りばかりを打っている。
少し息が深くなったと思うと薄く目を開け、ぼんやりと部屋を見る。
枕元の私に気付いているか、いないのか。
薬湯を飲ませ、濡れた額の布を替え、脈を取っても何も言わない。
あんなにも触れられるのを厭がっていたのに、今は拒否する力も出ないのだろうか。

ソンジンに触れるたびに声がする。

あの人を守って。

その髪に、額に、手首の脈に触れるたび。

心も、体も、守って。

今まで誰に触れた時にも、こんな声が聞こえた事はない。
守ってあげたい。でも求められていないの。
守ってほしいと思われないのにどうやって。

あの人はとても時間がかかるの。遠回りばかりするから。
不器用で、すぐに目を逸らそうとするから。
お願い、気が付いて。あの人を、どうか守って。

起きれば粥でも食べさせたい。私は出来る限り音を立てないように、枕元から立ち上がった。

 

・・・大丈夫?

温かい指が布団の肩に掛かる。

起きられる?

小さな優しい声が耳を掠める。

開けた眸を覗き込むあなたの視線に笑ってみせると、心配そうな色を湛えた瞳がようやく笑んだ。

紅参のお粥よ。残さないで食べること。

粥の椀からひと匙掬い、あなたが吹いてそれを冷ます。
頷く俺の口許に、粥を乗せた匙が近づく。

あ。

丸く開けてみせる紅い唇に笑い、素直に倣って口を開ける。

元気になあれ。

差し込まれる匙、掛けられる声。そうだ、倒れる暇などない。
あなたがいる。こうして熱で寝込めば幾晩でも夜通し傍にいる。

イムジャ。

この声に、匙を持ったままのあなたの瞳が問う。
腕に抱き締め眠れれば、明日の朝にはきっと治っている。

まだ怠く痛む腕を布団から出して少しだけ広げて見せる。
何しろ天医だ。体に悪いと思えば入って来てはくれない。

それでもそうして広げた途端、持っていた粥の椀を寝台横の卓へ置き、小さな体が落ちて来る。

夜着の背に回される細い腕。、袷の喉元に擦りつける小さな鼻先。
確かめるように息をして長い睫毛を閉じ、あなたが眠りに落ちる。
まるで糸が切れたようにことりと。

こんなにも。
そう思いながら、柔らかい髪を撫でる。
こんなにも気を張っていた。
済まないと詫びる事がまた悩ませる。だから言わん。
ただ学ぶ。同じ事で二度と心配を掛けぬように。
こんな風に疲れ切って眠らせる事のないように。

イムジャ。

イムジャ。

愛している。

腕の中、全ての重みを預けた小さな頭に口づける。
眠ったあなたの口許が、それでも嬉しげに笑みを浮かべるから。
きっと待っている。夢の中でも逢っている。

あなたを寝台に横たえる為に、そのまま静かに体を倒す。
床に下ろしていた足を支えて寝台へ上げ、冷えぬように掛布を巻き付け肩まで確りと包む。
最後に細い首の下へと、己の腕を差し入れる。

もう眠れる。あなたさえこの腕の中にいてくれるなら。
息を吐き、それでも顔が寄り過ぎぬように。
看病で弱ったあなたに風邪が移らぬように。

寝屋の天井を見上げて眸を閉じる。

イムジャ。

 

「・・・起きられる?」

イムジャ。愛している。

「粥が炊けた。食べられる?」
「・・・イムジャ」
「え」

眸を開いても、まだ夢にいるようだ。
愛している。
その声だけが胸に谺する。
聞いた事はないというのに、募って痞える想いの全てが伝わるような。

見知らぬ寝屋、着た憶えのない夜着、寝た憶えのない寝台。
そしてそこにお前がいた。
俺に一度も向けた事のない瞳で笑っていた。
甘えるようにこの腕の中へと落ちて来た。

望んだ余りの夢ならばまだ判る。けれど夢ではない。
その証に俺の体の隅々までが憶えている。
花の香を。髪の柔らかさを。抱き締めた時の温かさを。

そして夢の中の俺は、その全てを受け止めて誓った。
俺だけのものだ、他の誰にも渡さないと閉じ込めた。

大切過ぎて口にすら出せず、心の中で繰り返し呼んだ。

ウンス。
ウンス。
ウンスヤと。

ただ何故だろう。
今こうして呼んでみると、呼んでいるのが己の声でない気がするのは。

「ソンジン、大丈夫?」
「・・・ああ」
頭を振ってどうにか眸の焦点を戻し、目の前のソヨンに頷く。
「起こして悪かった。でも少し食べないと」
「ソヨン」

粥の椀を膝に、姿勢を正した女に問い掛ける。
「俺を内禁衛へ入れるのか」

 

 

 

 

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