「まずチーフマネージャーとミンホとヨンさん達とでクリニックに。
診察結果でギプスが外せれば、お2人をホテルにお送りします。
ただ最悪まだ外せないとなれば、戻って来て頂くことも」
「大丈夫だと思います。経過を全て診てるわけじゃないですけど」
ミンホさんの腕や肩の動き。痛みがあればもっと患部の腕を守るような動きになるはず。
視診で確認しながら頷く私に、社長さんは安心したみたいに笑った。
病は気からって医者が一番言っちゃいけないけど、でも本当。
治ると思って治療を受けるのと治らないと思って受けるのじゃ、その完治までのスピードが違うのは当時から実感してるもの。
笑った社長さんは次にもう一度バッグの中に指先を入れて
「ホテルのキーです。10月末までの支払いはカードで済んでいるので、ホテル内はショッピングも食事もルームサービスも自由です。
請求はこちらに来るので、遠慮しないでどんどん使って下さいね」
そう言ってルームキーを私たちの目の前のテーブルの上に置く。
「ミンホの意思です。せめてものお礼に」
そのキーに付いたホテルの名前に、慌てて首を振る。
1泊数十万ウォンのホテル。そこに1か月近くもなんて、想像しただけでも怖い値段だもの。
それにショッピングにご飯にルームサービス?いっくら図々しさが取り柄の私だって無理。
「困ります!!こんな高級なところ」
「奉恩寺のなるべく近くと言われたので・・・あの辺りは分譲以外は、なかなか条件のいい賃貸物件がないんです。オフィスならともかく」
「でも、10月いっぱいなんて」
それでも反論しようとする私に、ミンホさんがきっぱり首を振る。
「ウンスさん、いいんです。あなたとヨンさんがしてくれた事を考えればこれでも足りない。
もし俺のケガでドラマのキャンセルになんて騒ぎになってたら、違約金だけでこれの数百倍だった」
その声に社長さんもチーフさんも大きく頷く。
「だけど」
「こっそり遊びに行きます。オフの時。ヨンさんには断られたけど、今週末に汝矣島の花火大会があるから」
「懐かしい。今週末なんですね?」
「はい。行ったらドア、開けて下さいね?ヨンさんだと、尻蹴っ飛ばされそうだから」
口を尖らせてあなたを見て笑うミンホさんに、あなたが渋い顔で目を逸らす。それだけでも嬉しい。
二度と会わない方がいい。会えない方がいい。お互いのために。
ミンホさんはミンホさんの道を。あなたはあなたの道を。
これからミンホさんがどんなに活躍しても私たちには分からない。でもきっと大丈夫。
嫌な人なら、価値がなければ、この人は絶対協力なんてしなかった。私がどんなに頼んでも。
そういう人だってよく知ってるもの。
そしていつかミンホさんだってきっと出逢う。何度だって出逢う。
その道を全力で支えたいって思う人に。どれだけ時間を超えてももう一度逢いに来てって、心から祈る人に。
命をかけても1人にしない、離れるくらいなら腕の中で死ぬ、どれだけ泣いても必ずあなたのところに戻るって決意する人に。
私たちはその道のゴールは見られないけど、でもきっと大丈夫。
7年眠ってたこの人も大丈夫だったんだもの。
ミルフィーユみたいに幾重にも重なる時代の中で、こうしてあなたとミンホさんの歴史が偶然みたいに重なった事が嬉しい。
きっと2人とも、それぞれの道で。
大丈夫、周りにそれぞれを愛して心配して、もしも面倒くさいって言われてもめげずに世話を焼く人が山ほどいるから。
「私はこの後の調整があります。本当に申し訳ないんですが、ここで。
ミンホの検査結果次第ではまたお会いするかもしれませんが、そうならないことを祈っています」
「その方が良いです。最後まで一緒にいたら泣いちゃいます」
私が笑って頷くと、社長さんがテーブルの向こうで頭を下げて立ち上がった。
「出来る事があれば声を掛けて下さい。ウンスさんもヨンさんも、スマホを持っていないから・・・」
「はい」
「お体に気を付けて、お元気で」
「社長さんも。本当にありがとうございました」
私が頭を下げ返すと、社長さんは優しく笑って頷いた。
*****
部屋の中で窓越しに聞いていた以上に、外は風が吹き荒れている。
町中のゴミや落ちた木の葉が巻き上げられて夜の道路を飛んでいく。
「・・・すごいね」
1か月半ぶりの外出で見る夜の街は、まるで映画のゴーストタウンみたいだ。
雨はほとんど降っていない。
車も人気もない車道のアスファルト、不気味なくらいきれいに反射する信号のライト。
そのライトのポールも風に大きく左右に揺さぶられている。
「ああ、俺たちが会社から帰ってきた時より強くなってるよ。早めに帰らないと。交通規制にでも巻き込まれたら厄介だな」
チーフマネが目の前の揺れる信号を見て、心配そうに首を振る。
相変わらず全てが秘密の行動。
高級住宅街の一角。一見して個人病院とは判らないような、看板も何も出していない高い壁の立派な家。
万一にもパパラッチが隠れて狙えるような高い建物は周囲にない。
目の前の道路はまっすぐな緩い坂道。見慣れない人がいたり車が停まってれば、あっという間に目立つ。
防犯カメラ完備の家の前でチーフマネがいつものバンとは違う大きな4ドアセダンを停めると、目の前の門が自動で開く。
「やーだ、映画みたい。こんなドクターってきっとすごくお金持ちなんでしょうね」
自分もドクターなのにまるきり他人事みたいなウンスさんの呑気な呟きに、車の中のみんなが笑う。
門の内側、玄関の真横に車を停めるとそのドアが内側から開く。
そこから手招きするドクターも白衣すら羽織らない私服だから、まるで病院に来たって気がしない。
敢えて言うなら一歩家に入った途端、廊下の左右にレントゲン室があったり、白衣の看護師が1人いるのでかろうじて思い出すくらい。
すぐにレントゲンを撮られ、そのまま普通の家ならリビングに使う大きな診察室に通される。
「問題ない。きれいに整復されてるし、骨折部は接合している。
このままギプスを外して、あとはリハビリで機能回復しましょう」
ドクターはレントゲン写真をじっくり確かめて、俺に向かって頷く。
俺の後ろでチーフマネとサブマネの2人が安心の溜息をついた。
ウンスさんは興味深げに俺じゃなくレントゲン写真を覗き込み、ヨンさんだけが所在なさげにウンスさんの横に立ってる。
「こちらが例の人ですか」
ドクターはそんなヨンさんを興味深げに眺めると
「ちょっと失礼。左腕を拝見できますか」
と声をかける。
ヨンさんは突然の声に目を細めて、それでも渋々羽織ってたシャツのカフスを外すと、その袖を一気にたくしあげる。
ドクターはその腕をじっくり眺めて手首や肘を握ったり、二の腕を触って確かめると息を吐き
「うーん。筋肉の質がちょっと違うな」
そう言ってヨンさんに頭を下げる。
「この腕にするためのリハビリを考えなきゃなりません。形だけでも似せなくちゃいけない。まずはギプスを外しましょう。
ありがとうございました」
ヨンさんに頭を下げ、ドクターは次にギプスで重い俺の腕を取った。

コメントを残す