2016 再開祭 | 嘉禎・26

 

 

湯屋で熱い雨を浴びた風呂あがり。湯気に煙る小部屋の中。
長衣を羽織る己の横に、揃いの長衣姿のあなたが立つ。

目前には己と反対の手で口を漱ぐ、己によく似た男の姿がある。
そしてその横にあなたと瓜二つの女人の姿が。
「俺は、こんな姿ですか」
問い掛けに横のあなたと、そしてあなたに瓜二つの女人が一斉にこの眸を見て頷いた。

これが己の姿とは。もう一度改めてその姿を眺める。
髭を伸ばす気はない。この方の頬を削るのが怖い。
まして柔らかい紅い唇を傷つけるのは尚怖い。
髪を上げる気もない。あの髻を毎朝整える面倒など。
そもそも冠を被る気など、端から更々無い。

高麗では少々型破りだろう。
武人は武技さえあれば、多少の事に文句は言われん。
けれど天女のこの方の横、こうして立つには無粋すぎるか。

口の周りに真白い泡を立て、懸命に歯を擦るあなたを眺める。
その泡をこの指先で拭いつつ、小さく首を傾げて。

 

あなたが指先で私の口の周りを拭きながら、バスミラーを覗き込んでしきりに首をひねってる。
「ほうひはほ?」
何を言ってるんだ?
そんな顔をされて、口の中の泡をシンクに吐き出して、コップの水でゆすいでから聞き直す。
「どうしたの?」

あなたはじっと鏡を覗き込みながら、不満そうに言った。
「髪を上げるかと」
「はあ?」
「高麗の男らしく」
「ってことは・・・」

チュンソク隊長やトクマン君、迂達赤のみんなの顔が浮かぶ。
「あなたには・・・あの髪型、似合わないかも」
正直な感想に、不満げな視線がミラーの中から戻って来る。
「似合わぬと」
「うん、だってあの・・・ちっちゃいお団子でしょ?」

つむじの上に握った拳を乗せて見せると、あなたは頷いて
「はい」
鏡越しに黒い瞳で少しだけ笑う。

想像すればするほど全然イメージがわかない。この人があの髪型?
ダメだって分かってる。今笑い出したら、絶対に気分を悪くする。
吹き出さないように呼吸を整えて、ようやく鏡の中のあなたに言う。
「私は今のあなたの髪型が、一番好きだなあ」
「そうですか」
「そんな髪型が似合うのは、高麗でヨンア以外いないと思うなあ。
あのお団子はねえ。あ、かんざしみたいなのもここにはないし」

チュンソク隊長やトクマン君には似合っても、あなたには無理・・・とは、口が裂けても言えない。
あなたの後ろに回り込んで、うんと背伸びしてその髪でポニーテイルを作ってみる。
それを頭のてっぺんでお団子に丸めてミラーに写す。
「ね?ね?今のヘアスタイルの方が、絶対ステキでしょ?」
必死の説得に膝を折って背の高さを合わせてくれたあなたが、諦めたみたいに無言で膝を伸ばした。

 

*****

 

「お早うございます。お席へご案内致します」

その立居振舞は何処か皇宮の王様の側近、内官長を思い出させる。
この方が先に立ち踏み入った入口奥、慇懃に頭を下げた男が俺達を出迎えた。

男の先導を受け、開けた広間へと踏み入る。
朝餉の膳は赤くない。いや、既に彩の問題ですらない。
昨夜の膳ならまだ見れば判った。
野菜も肉も海鮮も。色さえ考えねば喰い物なのだとどうにか判った。

しかし今朝の膳は、それすら判らぬ。
銘々の卓に乗る泥のような色の水。逆に目が醒める程の橙色の水。
部屋に設えられた、所々に屋根まで備えた巨大な長卓。
軍議の長卓や王様の康安殿の長卓ですら、これに比べれば小さく思える。

長卓上にはあらゆる形の、驚くほどの数の皿。
木の器。鋼の器。陶の器。
全てに眸にした事の無い何かが盛られている。
そして卓向こう、帽子で頭を隠し、白い上掛けを羽織り並ぶ男女。

紙の如き薄い何か。茶色の塊の何か。黄色の何か。白い何か。相も変らぬ赤い何か。
それらを盛った皿の下で、小さな火を焚いているものまである。
辛うじて青菜なのだろうと思える形の葉。
その横には赤や緑や黄色の何かが添えられている。
そして匂い。今迄一度として、嗅いだ事すら無い。

第一この長い人の列は何だ。誰も彼もが盆を手に列を成している。
「ああ、ビュッフェなのねー」

横から聞こえた暢気な声に振り返る。
「自分の好きなものを、好きなだけ取って食べるのよ」
つまり銘々給仕もしろというわけか。
声に頷きあなたに従いて長卓へ寄り、其処で足を止める。

天界では誰も武器など持たぬと聞かされた。
ならば何故、此処に小刀があるのだ。

銀色の箸や匙、小さな刺又のようなものと共に並んだ小刀。
無言で持ち上げ刃先の鋭さを指先で確かめる。

刃の長さは指程度の小さなもの。人を斬れる程に鋭くはない。
しかし逆になまくら刀が刺されば、傷の治りは遅くなる。
「・・・イムジャ」
目立たぬよう気配を殺し、大きな部屋内を見渡す。
明るい広間の中のどの顔も同席者と笑い合い、言葉を交わすものばかり。
其処に一抹の殺気も感じん。

見渡す中、いくつかと眸が合う。
探るような視線に不快な様子どころか、劈くような喧しい嬌声が起きる。

声の主は全て女人。足許を確かめれば、天界の高い沓。
武器になりそうなものと言えばその卓の上の銀の小刀。
突然席を立ち此方を襲ってくるような相手には見えん。

「どうしたのよ」
この方の不機嫌な声、手の甲を抓られる小さな痛みに眸を戻す。
「小刀が」
護ろうとするこの方に、何故抓られなければならんのだ。
俺が眸で銀の小刀を指すと、ようやく納得したように頷いて
「ああ、ナイフよ。食事に使うの」

あなたは途端に機嫌を直して、うんうんと小さな頭を振った。
「ねえヨンア。お願いだから、そんな目で女の子を見ないで」
「・・・は?」

部屋の中の大きくなる騒めき。
池に落とした石が波紋を広げるよう、その声の輪が広がって行く。
視線が俺達に向かって来る。あっという間に広がる伝播の速さ。
この方が顔を顰め、一人その視線に対峙する。

「昨日は夜だったから、まだ目立たなかったんだけどなぁ」
先に女人が上げた嬌声や熱い視線が、周囲の男達にも伝わって行く。
しかし振り返る男達の、全く興味無さげなその視線ときたらどうだ。

女人たちの向ける小さな板。明るい部屋内に響く音。
部屋の陽の光の中でもはっきり判る、眸を刺すような眩い小さな閃光。

あの時と同じだ。
この方を迎えに来た初めての天界で取り囲まれ、周囲から音と閃光を浴びせられた。
あの時は鬼剣を握っていた。威嚇のしようも戦いようもあった。
しかし今俺が握れるとすれば、此処にある斬れ味の悪い小刀。
その一振では、確実に苦しめず斬る自信がない。

その視線や声に殺気は籠っていない。すぐに斬る必要も無さそうだ。
諦めて周囲の視線と閃光に晒されながら、どうにか横のこの方を護る。

鎧はともかく、鬼剣さえ握れれば。
いや。鬼剣がなくとも、せめて拳を振るえれば。
それなのにこの方は俺に大きな盆を持たせ、盆の上に皿を積み上げる。
挙句その皿の上に白い上衣を羽織る男が、面妖な何かを盛って行く。

これで拳を握れば、皿の上のその何かがこの方を汚すだろう。
湯気の立つ熱い何かが。見知らぬこの何かが。
公衆の面前でこの方を汚す事など我慢ならん。

結局こうするしかない。
顔を下げ、何も見ぬように。
周囲に背を向け、背後の相手の気配を読み、その肚裡を探りつつ目立たぬように。

最悪の事態に備え、せめて指先に銀の小刀だけを握り込んで。

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です