寝室の中、お風呂上がりの髪を乾かしてた私の斜め後ろ。
「きすを、してください」
ベッドに腰掛けたあの人の爆弾発言が低く響く。
とんでもないことを言ってるのにいやらしい響きなんて全くない。
むしろどこか苦しそうな、切羽詰まったみたいな声で。
違う内容だったら驚いてそこに駆けつけて聞くところだった。
どうしたのヨンア、どこか苦しいの?
それくらい、何だか辛そうな響きの声で。
「・・・・・・はあ?!」
髪を拭いていたタオルが、開いた指からひらりと床に落ちる。
それを拾い上げるのも忘れたまんま驚いて声を張り上げると
「きすを、してください」
あなたがもう一度、抑えた声で繰り返す。
「誰にいつ、どこで、どうして?」
「俺に今ここで」
「だからどうして!」
「して頂きたいので」
ほら来たわ。絶対遅かれ早かれこういう時が来るって覚悟はしてた。
だけど何で今なの?何で式直前の今なのよ。私が何も知らないって・・・まさか、バレたの?
それで、もしかして私を試そうとしてるとか?味見してみてやっぱりまずかったって、ぽいっと捨てるとか?
ううん、それは絶対ない。そんな妙な確信だけはある。
この人はそんな事で私を傷つけたり別れたりはしない。
あのクズ男と比べるのもいやだわ。レベルが違うもの。
だけど・・・何で今日なの?何でよりによって今なの?
寝台に腰掛けたあなたが、困ったみたいに私を見つめてる。
その黒い二つの瞳の中に、部屋に灯した油灯の光が揺れてる。
どうしたらいいの。こんなに改まってまっすぐ見つめられて。
「きすを、してください」
本当に心から望んでるみたいに、もう一度低く囁かれて。
「え、えーと」
心から愛してる人にそう言われて、どうしたらいいの?
私はどうにか話をそらそうと、軽い調子で言ってみる。
「急にどうしたの?」
「あなたも巴巽村で、急におっしゃった」
「うん、それはそうだけど」
「許婚です。おかしなことではない」
そうよ、おかしくはないわ。おかしくないけど・・・
媽媽と王様の結婚式への参加を秘密にしてる。さっきタウンさんに何も知らないって宣言したばっかり。
結婚してからいろいろ知ってけばいいって思ってたのに。
いつもならここまで話をそらせば、諦めたみたいに笑って別の話題に移ってくのに、今日は全くそんな気配がない。
「ヨンア、何かあったの?」
まさかさっきの話が筒抜けとか?
私が知らないって、ぜんぶばれたとか?それどころかもしかして、媽媽たちの結婚式参加計画まで?
それはダメ、絶対ダメなの。困る。今あなたに反対されたら、ほんとに困るのよ。
だってどうしても、来て頂きたいんだもの。誰よりあのお2人の前で誓いたいんだもの。
「いえ」
「いつもと違うなあって」
「ええ」
ええって、平然と頷かれちゃった。そこまで強引に押してくる理由は何?
私の考えが甘かったのかな。
高麗時代なら、確かにあの頃より寿命も短いし、平均結婚年齢は絶対に21世紀当時より低いはず。
私の年齢で何も知らない、もしかして大問題だったりする?
この時代の常識じゃ考えられなかったりとか、そういうこと?
「イムジャ」
あなたがベッドから立ち上がって、私の横に立って、この手を大きな手で包み込んで握ってくれる。
いつものあなたの温度。大好きな手。この手に嘘はない。
こうして握ってくれるだけで、こんな時でもやっぱり安心する。
何もしたくない。考えたくない。猫みたいにじゃれてすり寄って、その手で頭をなでて欲しくなる。
それなのに。
「婚儀を行うのは、我が家の仏間」
「・・・はい?」
突然どうしたの?何を言い出すの?キスの話じゃなかったの?
急に変わった話題について行けずに、妙な声を上げてしまう。
「がーでんの宴を催すのはこの庭」
「う、うん」
「参列者は、俺達を知る方々全て」
「そう、ね」
「それが全て終わればはねむーん」
「ちょっとヨンア、本当にどうしたの?」
何なの?確認したいのは式次第なの?それとも私の経験値?一体どうしちゃったのよ。
話の展開についていけない私に、あなたの黒い瞳がまっすぐ向いた。
「確認です」
「うーん、わかった」
「金の輪は揃えました」
確かめるみたいにあなたの指先が、二人の永遠の誓いの金のウエディングリングを、そっとなぞってくれる。
こうしてれば何も怖くないって思えるのに、今一番怖いのは目の前でじっと私を見てる、あなたの心の中よ。
今夜のあなたはどこか変。絶対に、いつもと違う。
「これで間違いないですね」
「大丈夫、間違いない」
「そして衣装」
あなたが寝室の衣装掛けにかかってる見事な銀刺繍の、あの黒絹の婚礼衣装を目で示した。
「あれで問題ないですね。あとはあなたの白絹の衣装を手に入れる」
「うん、ばっちりよ。完璧」
「そして終わればはねむーん。場所は何処でも良いと」
「うん。崔家のお墓参りできれば、あとはどこでもいいの」
いつだってこうして最後には、私のお願いを聞いてくれる。
そんな甘い態度じゃ、私がどんどん調子に乗っちゃうのに。
それでもあなたは私の望みを聞いて穏やかに頷いてくれた。
「他に何か、準備は必要ですか」
「宴の準備と会場作り、あとは言ったけどサムシングフォーとか」
「会場は手の空いた奴らに頼みます」
「うん」
「ふぉーは、叔母上と王妃媽媽にお願いするのでしょう」
「そうよ。明日にでも早速行って来る」
「宴の準備は、マンボとタウンに」
「うん、お願いしてみる」
どうにか話がまとまりそう。
これで最終確認をして、後は2人でゆっくり眠れれば。そう安心してあなたににっこり笑いかけた時。
「では、きすを」
「だからどうしてそうなるのよ?!」
「許婚に唇を許して下さらないのですか」
どうしてそんなに悲しそうな、悩んでるみたいな顔するのよ?
まるで私があなたの望みなんて1つも聞かないビッチみたいな、そんな罪悪感まで覚えちゃうじゃないの!
下手なのよ、だから自信がないの。初めてなの、だから戸惑っちゃう。
言える?言えっこないわ。絶対に無理。無理よ。
「だから何で突然!」
「して頂きたいので」
「だったらこう、黙ってあなたから来てくれれば」
他に方法がない、そう言ってあの時、徳興君やキチョルの前でびっくりするようなキスをしてくれた時みたいに。
黙ってキスしてくれればいいのに、どうして今日は違うわけ?
だけど私が目で訴えても、いつもみたいに笑ってもくれない。
嘘のかけらもないその黒い瞳で、まっすぐに私を見てるだけ。
そう。どうしても、どうしても私からのキスが必要なわけね?
その理由は分からない。だけど望まれてるのだけは分かる。
ガッカリしても知らないから。
そうよ。経験豊富なんて、一回も言ったことないもの。最初から嘘なんて、一回もついてないもの。
噛み締めていた唇を緩めて、深呼吸する。
黒い瞳を覗き込んだままキスする勇気はない。
だらから目を閉じて、あなたに向かってそっと近付いて、精一杯のキスをする。震えてる唇がばれないように。
あなたの前髪の上から、その額にそっと。
早く上手になれればいいのに。
あなたが唸っちゃうくらい上手なキスが出来るようになればいいのに。
私の技術の上達速度はきっとあなた次第よ、ヨンア。

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