比翼連理 |40

 

 

「結婚、指輪というものだそうです」
「結婚指輪」
「はい、王様」

夜の坤成殿。
風はようやく宵の親わしさを纏い、涼しく寝衣の袖を、裾を、そして王妃の長い黒髪を揺らして部屋を抜けていく。

王へと伝えながら昼のウンスの言葉を思い出し、王妃は再びその白い頬を染める。

王様が思わず、贈りたくなる策を考えましょう。

ウンスの心の臓に繋がる指輪という言葉が、王妃の心を捉えている。

王様から。妾の心の臓を捧げたいこの方から、贈って頂けるのであれば。
もしもこの心の臓に繋がる指につける指輪を、贈って頂けるのであれば。

王妃が漏らした小さな息が王の耳に届く。
「どうされた」
「・・・え」
「溜息をつかれていた」
「失礼致しました」

王妃は慌てて指先で唇を抑える。
「謝る事など、何もない。体調でも優れぬのか」
王は心配げにその眉を寄せ、唇を抑える王妃の柔らかな手を取った。
「医仙をお呼びするか」
「とんでもないことです、そうではないのです」
「では」

こんなに不安げな目をされたら尚更、お伝えするわけにはゆかぬ。
王様を大切に想うという事は、溜息をつく自由を奪われる事。
ご心配をお掛けせぬために、己の気鬱を全て内に納めるという事。

だから医仙に打ち明けたいのだと、王妃は今一度思う。
恐らく医仙も、似たような思いを抱いているはずだと。
だからこそあの折、様子が妙だったのだろう。
大護軍に心配を掛けまいと、心の内を打ち明けられず。

そう思いながら王妃は赤い頬で、王へと小さく呟いた。

「左の薬指は、心の臓に繋がっておるそうです」
「・・・心の臓に」
突然の王妃の呟きに、王は首を傾げる。
「はい、王様。故に医仙は左の薬指に、結婚指輪をされていると」
その声に眼を細めた王は、我が意を得たりとばかり大きく頷いた。
「そうであったのか!」
「え」

余りに機嫌の良さげな王の突然の声に、王妃は手を握られたまま王の顔をじっと見つめた。
「心の臓に飾る指輪であったか」
「医仙は、そうおっしゃっていました」
「そうか、そうであったか」

道理であの頭の固い男が、頑なに口を閉ざす筈だ。
心臓に繋がる指へ飾るその指輪。
どれ程の想いであの大護軍が身に着けたのか、想像に難くない。
命すら捧げるつもりであるな。その力全てで、護る気でおるな。

それならば判る。それでこそチェ・ヨンだと王は頷いた。

寡人がこの柔らかい手を伴い何処までも飛ぶように、そなたは医仙を傍に置き何処までも駆けるのだろう。
そうするが良い。寡人は約束を守ろう。初めて頼みごとをしたそなたと交わしたあの約束を。
そなたの為に医仙を必ずお守りする、その力を惜しまぬとの約束は命の限り、違えるつもりはない。

寡人が空を飛び、そなたが地を駆ける限り、我が高麗は倒れぬ。
互いに絶対に斃れるわけにはいかぬ。この柔らかい手の為に、そしてそなたの指輪の誓いの為に。

笑みを浮かべ独り納得した様子で頷き続ける王に、王妃の目が当たる。
「・・・王様」
呼ばれた王はふと目を上げ、王妃を優しく見て言った。
「王妃」
「はい」
「明日、宝玉工を呼ぼう」
「・・・え」

突然の王の提案に、王妃の目が丸くなる。
坤成殿の部屋の中に燈した幾つもの行燈の灯が、澄んだ丸い目に美しい影を落しながら揺れる。
「宝玉工、でございますか」
「寡人も欲しくなったのだ」
王はそう言って小さく柔らかな手を握る手に、少しだけ力を籠めた。

「あなたの心の臓に、そして寡人の心の臓に、共に飾る揃いの指輪が」

 

*******

 

「ヨンアー!」

ヒドと話し込む石段の向こう。
東屋からウンスが大きく手を振りながら叫ぶ。
「ヒドさんも、来て来て。ご飯よー!!」

ウンスの大声にチェ・ヨンは立ち上がり、衣の尻を叩く。
「行こう」
「・・・」

ヒドは石段へ腰を下ろしたまま、立ち上がったヨンを下から見上げた。
「何だ」
一向に動かぬヒドに、ヨンが首を傾げた。
「お主が女人に呼ばれて、立ち上がるとは」
「泣かれるより良い」
「変われば変わるものだ」
「・・・ヒド」
「ああ、からかっただけだ」
「俺、変わったか」

突然のヨンの問いにヒドはその眼を僅かに瞠る。
ヨンはそんなヒドに、重ねて静かに問いかけた。
「あの頃と比べて、だらしないか」
「・・・ヨンア」
「情けないか」
「何を言ってる」
「判らないんだ」
「ヨンア」

呼び掛けには答えずヨンは石段に立ち、座ったままのヒドを見た。
「今の俺を隊長や皆が見たら、落胆させるか」
「おい」
「あの頃どうやって生きてたか、思い出せないんだ。
判らないんだ、ヒド」

ああ、そうか。
倖せすぎて、少しだけ怖くなったか。
ヒドは眼を緩め、ヨンに向かって首を振る。
「忘れたか」
「何を」
「隊長が、皆が、どんな人間だったか忘れたのか」
「そんな事は」
「ならば下らぬことを訊くな」

ヒドはようやく腰を上げ、石段の上でヨンに向かい合う。
「隊長は、皆は、誰より喜んでおる」
「・・・ヒド」
「お主の笑顔が戻った事を、息子であり弟であるお主の倖せを。
誰より喜んでおる。俺が今そうであるようにな」

メヒもきっとそうだろう。
お前の笑顔を奪って去った事を、きっと悔いていたはずだ。
今その笑顔が戻った事を、何より誰より喜んでおるはずだ。

「さて、飯だそうだ」
「碌に喰わん男が何を」
「俺は呑み専門だ」
「体を壊すぞ」
「ヨンアに説教を喰らうとはな」
「長生き」

石段をヒドと共に降りながら、ヨンはヒドの顔を見ずに低く唸った。
「してくれよ、ヒョン」

長生き、してくれよ。

お主に言われると、柄にもなく泣けてくる。
するつもりもする資格も無い己ですら、こんなにも嬉しくて。

ヒドはヨンの言葉を胸裡で反芻しながら石段を降りる。
お主こそ長生きしろ。そして命の限り、あの女人を護り抜け。
俺はその為だけに此処に居る。

東屋から手を振り続けるウンスの指。
ヨンと同じ光を認め、ヒドは黒鉄の手甲を嵌めた手で目許を覆う。

眩しすぎて、見ておられんわ。

「全くふらふら出歩いてばかり、大護軍ってのはいい御身分だねぇ!」
東屋の卓の上、吐き捨てるように言いながら、マンボが音高くそれぞれの前にクッパの器を置いて行く。
「暑気払いだよ、熱いうちに喰っちまいな」
「ああ」

ヨンは頷いて、添えられた杓文字を握る。
大きく掬って運んだ一口目。マンボの手がもう一度己の眸の前に音高く置いた包にヨンの咀嚼が止まる。
「何だ」
「口ん中に物入れて喋んじゃないよ!飯粒が飛ぶだろう!」
「何でそんなに機嫌が悪いんだ!」
「悪いわけじゃないよ!」
「ヨンの旦那」

卓向う、酒の杯を無言で呷るヒドの横からシウルが笑いながら飛ばした声にヨンの眸が上がる。
「照れてんだよ、マンボ姐さんは」
「・・・・・・」
シウルの言葉に、ヨンはマンボを振り返る。
マンボは黙ってシウルの側へ寄ると、シウルの抱えていたクッパの碗を無言で奪い取ろうと手を伸ばす。
シウルは気配を読んでいたか、碗を抱えたままマンボの手を避けると立ち上がり、飛び跳ねるようにヨンの横へと大きく動く。

「開けてみな、旦那」
シウルが笑った眼で示す卓の上の包み。。
「何なんだ、マンボ」
「お前は餓鬼かい、天下の大護軍様ともあろうもんが!言われたら黙って開けりゃあいいんだよ!」

触らぬ神に祟りなしか。
今日のマンボは殊更に仏頂面、機嫌が悪いようにしか見えぬとヨンは太く息を吐く。
横のウンスがヨンの渡された包に目を落とし、そして唇に杓文字を挟んだままヨンを仰ぎ見る。
紅い唇の脇についた飯粒を指先で摘まみ、己の口に入れながら、ヨンはウンスに向かって眸で問いかける。

開けても良いと思いますか。

ウンスは杓文字を咥えたままで、長い髪を揺らしながら頷く。
その了承を得てマンボに眸を当てた後、頑として合わぬ視線に諦めて、徐に包へと手を伸ばす。

じゃりんと鳴った包を解けば、中から出てきた大枚の銭。

ヨンは首を振り、包を固く結び直す。

「マンボ」
「なんだい」
「何の冗談だ」
「ああうるさいうるさい、うるさいったらないね」
マンボは眉を上げ、腕を組んで顎で包みを指し示す。

「あんたの名前で、薬房もクッパも稼がせてもらったからね。そのおこぼれさ。持ってきな。
あとで文句言われちゃたまんないから」
ヨンは我慢ならずにその包を片手で卓上から攫い、立ったままのマンボの両手に突き返す。
「俺が銭を受け取る謂れがあるか。ふざけるな!」
「ふざけてんのはそっちだろ!」

押し付けられた銭の包をヨンの鼻先へ突きつけると、マンボはそこで握っていた手を開いた。
重い音でヨンの掌へ再び落ちて来た包を指すと、マンボは次に座ったままのウンスを顎で示した。

「あんたにやったわけじゃない。あんたらにやったんだ。これから物入りだよ。
婚儀ってのはそんなもんだ。天女になんか買ってやんな」
「マンボに気を揉まれずとも」
「いい加減におしよ、ヨンア!」
マンボの一喝に、ヨンの眉が寄る。

「覚えときな、惚れた女にゃ湯水の如く金を使ってこそ男ってもんだ。
元手の掛からない女なら、離れんのも捨てんのも簡単さ。
釣った魚に餌をやらないような男にゃ、絶対なるんじゃないよ。
その金の指輪一つで十分だって、まさか満足してるわけじゃないだろうね!
天女を離したくなきゃ金をかき集めて、借金してでも精々尽くしな。そうでなきゃ、逃げられちまうよ!」
「・・・・・・」
その一喝にヨンが振り向くと、ウンスは大きく頷いている。

何なのだ。確かに買い物好きとはおっしゃっていたが。
銭を借り入れてまで物を買い与えるのが是という事か。
頷くという事は、買い与えねば逃げるという事か。
ならばこの指の金の輪の誓いに、何の意味があるのだ。
ただ顔を見ていれば満足な俺は、どうすれば良いのだ。

「祝儀だって言ってんだよ!人一倍面倒臭がりな男に何を贈っても、どうせ迷惑がられるだろう!
だったら銭を渡すのが一番いいと、そう思っただけさ」

押し問答に痺れを切らしたように、マンボが叫ぶ。
「祝儀一つ渡すのに何だってこんなに疲れるんだろうね。まったくほんとに面倒な男だよ、お前って奴は」
「・・・祝儀」
「婚儀には付きもんだよ、覚えときな」
「祝儀・・・」
「何度も繰り返してんじゃないよ、五月蝿い男だねえ!」

守銭奴のマンボの口から飛び出た余りにそぐわぬ言葉を繰り返し、ヨンは黙って頭を下げた。
「有難く貰っておく」
真赤になったマンボは、ふいとその場を歩き出す。
「クッパ残しやがったら、次からは出してやらないよ!!」
厨へ続く扉の手前、最後に振り向いて叫ぶマンボに、東屋の面々は笑って頷いた。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です