2014-15 リクエスト | 香雪蘭・9

 

 

「お願いですから」

床に伏したままの姫様は、その声に絹布団の上で背を向けた。
「姫様」
「キョンヒ様、どうか、乳母の一生のお願いです」
「・・・・・・すまぬ、乳母。ハナも」

もう五日。
宥めても賺しても召し上がらず、眠らずに、姫様は部屋で横になっている。
ようやく口を湿らせる程度の水を飲むだけで、あとはただ静かに涙を零しながら。

母上が溜息を吐くと
「キョンヒ様。お気持ちが変われば、すぐお知らせ下さい」
そう言って腰を上げ、私へと目を配る。
私は頷くと、母上に続いて姫様のお部屋を出た。

「理由は、あの迂達赤副隊長さまなの」
部屋の外で扉から離れ中へ声が届かなくなってから、母上は困ったように私へ問いかけた。

「そう。五日前、御挨拶にいらした副隊長とお話してから」
「どんなお話があったの」
「もう、こちらにはいらっしゃらないと」
「そう・・・そうなのね」
母上の声に、私は曖昧に首を傾げた。

断るなら、ただそう言えば良い。
何故チュンソク様はあれ程、噛んで含めるように、姫様に理由を伝えていたんだろう。
あれはどう聞いても、ご自身を納得させようとしていた。
そうとしか思えない。
あまりに楽観的過ぎるかもしれないと思う反面、その考えに奇妙なほど確信もある。

チュンソク様は、何処か私と似ているように思う。
あの方にも誰か守る方が、先回りして面倒を見ている方が居るような気がして仕方ない。
そしてそれが他の女人なら、あの場で言っていたはず。

それであれば、希望は捨てないでおこう。
今は、姫様にはまだ何も言えないけれど。
そう考えて私は目の前、心配げに姫様の部屋の扉を見つめ、そこからの声を待つ母上へ静かに目を当てた。
「お願いがあるの」

私の声に、母上が怪訝な目を向けた。

 

「敬姫が」
銀主翁主からの文を読み聞かされ再度確かめると、ドチは深く頷き
「はい。翁主様からでございます。運んできたのも、確かに翁主様のご自宅詰めの家臣です」

そう言って確かに姉上の手蹟による文を寡人の前、執務机の上へと静かに差し出した。

「泣かれてばかりでお眠り頂けず、召し上がることも出来ないと。
深刻な状態ゆえ町の医院ではなく、出来れば典医寺の医官のどなたかに診ては頂けぬかと」
「それは全く構わぬ、すぐ手配いたせ。いや」

寡人はそこで言葉を切り、横に控える大護軍へと目を投げる。
「大護軍、今より医仙に声を掛けて来てもらえぬか。
この刻であれば、王妃のところに居られるはず故」
「畏まりました」

事の次第を脇に控え全て耳にしていた大護軍は、すぐに踵を返し康安殿の扉を抜けて行った。

おかしい。そう思いながら首を振る。

先週隊長と共に贋金を見つけた姪姫が、何故たった五日で床を上げられほどに体調を崩すのだ。
考えても判らぬ以上、姉上の求める治療を受けさせる他に寡人の出来る事は無いと判ってはおるが。

この血筋に唯一残った、可愛らしく生意気な姫。
最後に会うた時の明るい笑顔がしきりに思い出される。
余計な世継ぎの争い事に巻き込まぬようにと距離を取り疎遠にしていたことが、却って善くない結果だったか。

姫を診るならば、そして万一の事に巻き込まぬよう守るならば。
二重の意味で、考えられる最良の医員は一人しか思い浮かばぬ。
明るい笑顔、大きな声、何処か似ておるようにも思う。
大護軍が呼びに行った医仙と戻るのをじりじりと待ちながら、康安殿の扉を見詰め続ける。

 

王様の守りの交代時間。
兵を連れ回廊を歩く俺は、回廊の前を足早に進む見慣れた二つの背に思わず声を掛けた。
「大護軍、医仙」

その声と共に駆け寄る俺に大護軍が恐ろしい形相で振り返り、無言でこの胸座を掴みに来た。
「大、護軍」
「お前、姫に何をした」
「・・・は?」

突然の暴挙に防御も取れず、胸座を掴まれたまま、大護軍の言葉の意味が肚に落ちるまで暫しの時間をかける。

「キョンヒ様ですか」
「他に姫君がいらっしゃるか」
「あの方が、どうされたのですか」
「床について五日、いよいよ医仙の治療が必要と、翁主様より王様へ直々の御文があった」
「どういう事ですか!」

頭から血が落ちる。胸が苦しい。それでも叫ぶ。
「大護軍!!」

その声音に、大護軍の手が胸座から離れる。
「お前も知らんのか」
「五日前に最後のご挨拶をしてより、お会いしておりません。それより、あの方に何が」
「・・・来い、急げ」
緊張した顔で俺と大護軍を交互に見比べる医仙を見遣ると、大護軍はそれ以上何も言わず康安殿へ進み始めた。

その後ろに控え、俺は兵たちを従えついて行く。
走って大護軍を追い越さぬようにだけ、細心の注意を払いつつ。

 

「王様、チェ・ヨン、ユ・ウンス参りました」
「王様、迂達赤ぺ・チュンソク参りました」
「入れ」
それらの声が重なる中、内官が面食らうよう大きく扉を開く。

康安殿に大護軍と隊長、そして交代の迂達赤たちの鎧姿と、大護軍の横の医仙の姿とが雪崩込む。

「まず隊長、交代の指揮を」
「・・・・・・は」
それだけ頷くと、隊長は周囲の兵を自身の許へ集め指示を始める。

「次に医仙」
「は、はい」
室内の余りの騒々しさに目を見開いた医仙へ、階を降りて寄ると
「至急診てほしき病人がおります。ご都合は」
寡人の声に、医仙は即座に頷く。

「典医寺は問題ないです。媽媽もつい先ほど拝診しています。
お体には何も問題はありません。典医寺に急患はいないです。
どなたですか?どこにいらっしゃいます?」

今にも駆けて行きそうな手を、慌てたように大護軍がぱしりと音を立てて掴む。
「まずは王様のお話を」
諌める小声に息を深く吐き
「ごめん」
それだけ言うと医仙はもう一度、寡人の顔をじっと見た。

「さっきいきなり、チュンソク隊長とこの人が喧嘩腰になったので。
それでちょっと焦っちゃいました。大事なのかと。
で、その病人はどなたですか?どこにいらっしゃいます?」
「・・・喧嘩腰に」
「ええ、今回の事とは関係ないかもですが。で、病人は」
「ああ、翁主の娘、寡人の姪です」
「姪御さんがいらっしゃるんですか」
「余計な事に巻き込まぬよう、遠ざけがちですが」
「そうでしたか、分かりました。その方はどちらに」
「皇宮大門前の、翁主の屋敷に」
「ああ、分かります。あのすっごく立派な、長い塀のお宅ですね」
「はい」
「行けばいいですか」
「ええ。待っているはずだ。大護軍」
「は」
「医仙の護衛と、敬姫を頼む。寡人と不必要に近しくして、万一にもあれの身辺に何か起こらぬよう、守ってくれ」
「は」

兵の交代を終えた隊長が寡人と大護軍、医仙の横へ戻って控える。
「では」
大護軍が短く言うと
「参ります」
医仙へと声を掛け、部屋を大股で駆けるよう飛び出す。
医仙はこちらへと頭を大きく下げた後、すぐに走って大護軍を追いかける。

その二つの背を目で追った後、隊長が寡人へ視線を戻す。
「騒がせたな。役目に戻って良いぞ」
「・・・は」

どこか歯切れ悪く頷く隊長を不思議に思いつつ、寡人は階を戻り執務机の前、椅子へと腰を下ろした。

 

 

 

 

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