2014-15 リクエスト | 為虎添翼・15(終)

 

 

「ウンスヤ、畑に行って来て」
お義母上が、あの方を大きな声で呼びながら仰った。
「いえお義母上、某が」

お伝えすると、お義母上は仰った。
「だめよヨンさん、甘やかしたら碌なことにならないから」
一言の元、退けられる。そしてこの方を見ながら息を吐き
「お嫁に行ってこの子が料理一つ出来なかったら、この先 お腹空いて一番困るのはヨンさんよ?どうする?」
ふざけるように目を丸くして俺を脅迫する。
困って頭を掻く俺を見て、この方とお義母上が声を上げて笑う。

 

「ジェウォナ」
台所で笑う女性二人に囲まれ、頭を掻く彼を居間から眺めその光景に目を細めた俺に、おじさんが声を掛ける。
「大丈夫かい?」
おじさんの目を見て、俺は頷く。
「大丈夫です」
「やせ我慢してないかい?」
その問いかけに首を振った。

本当にしていないと、分かってもらえるだろうか。
機能回復期と同じように、傷口が痛むのは当然だ。感染症にかかることも、発熱もあるかもしれない。
そこに触れれば上がりそうな悲鳴を抑えるのに、しばらくの間は苦労するだろう。
それでも嬉しいのも本心だ。ウンスが幸せになる事に。そしてウンスが選んだ男が、彼である事に。

そんな俺の肩を叩き、おじさんが立ち上がり
「ウンスヤ、ヨンくんと二人で行っておいで」
そう声をかけながら、台所へ近寄っていく。

 

「これだけはずうっと食べたかったの!」
言いながらこの方は畑に座り込み、素手のまま土を弄っている。
畝の上の蔓を引っ張ると土から丸い芋を掘り出し、次々にそれを蔓から毟りながら嬉しそうに笑う。
「汚れます」

横に座り込んだ俺が言ってその白い手を押さえると、笑いながら
「手は洗えばいいけど、ねえヨンア、あなたのスーツの方が汚れる」
そう言って俺の黒い上衣を指す。
指先を追えば確かに、黒い上衣には乾いた土の白い土埃がこびり付いている。
その土埃を手の甲で払いながら苦笑する。

動きにくいは汚れは目立つは、天界の方々は何ゆえにこのような不便な衣を、好んで身に着けるのか。
埃を叩き終えこの方へ目を戻す。
この方は丸い芋を両掌に握り、両頬の横で得意げに此方へ示し、にっこりと笑った。
「ジャガイモ。食べたことないでしょ?アッパのジャガイモすごーく美味しいから、早く帰って食べよう?」

丸い芋を指先で摘まんで転がしながら、俺はこの方に問うてみる。
今日の日を逃せば、また次にいつご両親にお会いできるか知れぬ。
この眸には、久々の御両親との再会に幼子のように泣いた先刻のこの方の姿が焼き付いている。
「イムジャ」
「ん?」
「・・・残らなくて、良いのですか」
「残る?ここに?」

意外だと言わんばかりの響きの声に、俺は頷く。
「泣くほど嬉しかったのでしょう、御両親との再会が」
「もちろん嬉しかったわよ」
「それでも俺と共に帰るのか」
「当り前じゃない、帰るために来たんだもの」
この方が畝の間で立ち上がり、この目を見つめて首を傾げる。

「帰ろう?」
重たげに抱えあげた丸い芋で一杯のその籠を小さな手から引き受けながら、息を吐く。
己の奇跡はいつでもこうして、誰かの痛みと裏表だ。
ご自宅へと歩を進めながら、横を歩くこの方へ目を投げる。
「ご両親に、どうお伝えすべきか」
「高麗に帰る事?」
「ええ」
頷く俺を見ながら、この方がそっと言う。

「あのね、気を悪くしないで聞いて。でもオッパを見て思ったの。
本当の事を言うのだけが良いわけじゃない。今、高麗の事を言っても、多分両親には分かんない。
かえって混乱させるだけだと思う」
「黙って帰るという事ですか」
「黙っては行けない、家の事もあるし。だけど、全部本当の事を言うのが良い事とも限らない。
だから、信じて任せてくれないかな?」

それでもまだ頷くわけには行かぬから、その瞳を覗き込む。
「お伝えせずに帰るのは心が痛む」
「ううん、黙っては帰らない。それは約束するから信じて」
こう言い出せばもう聞かぬ。俺は首を回し空を見上げる。
この頑固さはご両親のどちらに似たのだろう。

早くおいで、ご飯よと、お義母上が大きな明るい声で呼んでいる。
その声に俺たちは顔を見合わせて笑うと、足取りを速めた。

 

******

 

「またすぐ来てね」
布で包んだ大きな荷物を俺と、そして奴に。
それぞれ手渡しながら お義母上が笑う。
「ジェウォナ、何か決まり次第連絡してくれよ。
ヨンくん、いつでも遊びに来なさい。今度は一緒に釣りに行こう」
そのお二人の声に、俺は深く頭を下げる。
咽喉元まで出かかる声は、目でこの方に制される。

お義母上、お義父上、本当に申し訳ありません。
その御誘いをいつ叶えられるか、己には判らぬのです。
心の内で御詫びをしながら、ただこの方を倖せに致しますとだけ何度も誓いつつ。

「お義父上、お義母上、じ・・・ジェウォン殿」
この声に、皆様の眼が集まる。
「本当に、ありがとうございました」
万感の思いで頭を下げたこの肩に、手が置かれる。
お義父上の厚く温かい手が。
今まで長く、俺のこの方を慈しみ守って下さった手が。
そして判っているとおっしゃるように、温かい力が篭った。

侍医が操る馬車の帰途の車内は、沈黙だけが支配する。
俺は無言で窓の外を見、横のこの方は涙ぐみ、侍医は静かにその丸い輪に手をかけ馬車を駆り。

この方の宅へと戻った頃。
まだ鉄紺と呼ぶには早い薄明るい瑠璃色の空に、気の早い星がふたつみつ瞬き始めていた。

「今日はありがとう、オッパ」
潤んだ重たげな瞳でこの方が馬車を下り、向かい合った奴に鼻声でそう言った。
「その顔をチェさんに見せない方が良いぞ。百年の恋も一瞬で醒める」
奴はからかうようにそう言うと、次に俺へと向き直る。
「もうお会いするのも難しくなりますね、互いに」
「ああ」

薄青い日暮れの空の下、その目を見返し俺は頷く。
お前は海を越えると聞いた。そして俺たちは時を超える。
互いにその行先さえ秘密のままだ。
もう会うことは叶わぬかもしれぬ。
少なくともこの命の続く間は。

奴があの長い腕を伸ばす。俺は同じ速さで、己の腕を。
その二つの掌は出会った場所で確りと互いに握られる。
「お元気で」
「お前もな」
「ご両親は、責任を持って見ます。ご安心下さい」
「頼んだ」
俺は一度だけ深く頭を下げた。

それを戻し最後にこの男を見る。奴がこちらに静かに目を当てる。
そして目許を緩ませると踵を返し、馬車へと乗り込もうと背を向けた。
「侍医」
その声に奴は足を止めた。そして穏やかに振り返り僅かに首を傾けた。
「・・・そんなにたいしたものではない。ただの医者です」

その口許がゆったりと微笑んだ。
そして今一度俺たちを順に眺め、最後に息を吸うと
「では」
そう言って頭を下げ、奴はあの馬車へと乗り込んだ。

 

******

 

オンマ、アッパ。
こうやって名前を呼ぶだけでも涙が出ます。
顔を見たら言えなくなるから、泣いちゃうから、手紙を書きます。

本当に、本当に、本当にありがとう。
二人の娘に産んでくれてありがとう。
私のオンマとアッパでいてくれて、ありがとう。

最後の親不孝を、どうか許してください。
私は彼と一緒に外国に行きます。
遠いところだし、連絡手段もないような僻地なので、
オンマとアッパの声を、次にいつ聞けるか分かりません。
次にいつ二人の顔が見られるか、分かりません。

同封の権利書は自宅のものです。
売却についてはオッパが全部面倒を見ると約束してくれたので、
オッパの迷惑にならない時間に相談してみてね。
ローンを清算しても残りそうだから二人で美味しいものを食べて
楽しく旅行に行って、買い物して。好きに使ってね。

その代わり通帳の残高見て、びっくりしないでよね。
自宅の頭金でだいぶ使っちゃったの。

お金なんかじゃって思うかもしれない。でも先立つものも大事でしょ?
体調が悪くなったら、すぐオッパの病院に行ってね。
必要なカルテとかは、全部あっちに揃えてあるから。
オッパが韓国に戻って来た時は、私の分まで世話してあげて。
親不孝な上に兄不孝な私は、オッパを見てあげられないから。

オンマ、アッパ。

許してくれて、本当にありがとう。
分かってくれて、本当に嬉しかった。
彼を愛して下さい。私を愛してくれるのと同じくらい。
私たちもオンマとアッパをずっとずっと愛しています。

会いたくなったら空を見ます。オンマとアッパにつながってるから。
川を見ます。その水が、離れた二人に届くかもって思いながら。
星を見ます。星の光って、すごい年月をかけてここに届くから。

オンマ、アッパ。

もしももう二人に会えなくても。それと引き換えでも。
彼を、心から愛しています。ウンスは今、誰よりも幸せです。

 

 

【 為虎添翼 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

リク頂いたひまわりさま、
そして読んで頂いた皆さま、ありがとうございました。
リク話【為虎添翼】 終了です。
長篇になってしまったこと、申し訳ありませんでした。
リク次話は、トルベです。

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