2014-15 リクエスト | 愛月撤灯・10(終)

 

 

「ヨンア!!」

この方が珍しく、本当に久々に真昼間、迂達赤兵舎に飛び込んで来た。
俺もそして居合わせた兵の全員も、その声に思わず立ち上がる。
「・・・何故此処に」
周囲の視線など気にも留めず、この方は真赤な目で俺だけを真直ぐ見ている。

「知ってたの?ねえ、知ってたから聞いたの」
突然何の事だ。
「今、媽媽から伺った。だからこないだごか」
ああ、そうか。俺はこの方の言葉尻を捕え
「出ましょう」
そう言ってそれ以上の声を制す。
しかし促しても聞き入れず、この方は踏み止まり首を振る。
何か口走ればこの方の御立場だけでなく、王様も王妃媽媽もが面倒な事になられるものを。

視線で素早くチュンソクを探す。
少し離れて同じく呆然とこの方を見ていたチュンソクが、此方の眸を受けて頷く。
そして無言で兵らを一回り鋭く見回した。
兵らがようやくチュンソクの視線に気付き、静かに黙って兵舎を抜け出て行く。

ようやく二人になった兵舎の中、高い声だけが響く。
「側妃ってどういうこと。媽媽がご懐妊できないって決まったわけじゃないのに、何故そんなことさせるの。
みんな、媽媽がどれだけ傷つくか分かってるの?
そういう精神的なストレスが、どれだけ自然妊娠に悪影響になるか。
媽媽のホルモンバランスを崩してお体に変調をきたすか、誰も全然わかってないじゃな」
「・・・お待ちください」
突然割り込んだ鋭い語気に鼻白み、この方はようやく口を閉じる。
「なに」
「悪影響なのですか」

そんな事は先般おっしゃっていなかった。
聞いておらぬ。確かめる俺に、この方は首を傾げた。
「え?」
「側妃選びは王妃媽媽の御体や、御子を授かるためには悪影響となるのですか」
「そりゃそうに決まってるじゃない!」
「医仙として断言できますか」
「当然じゃない、何?文献でも欲しい?書いてもいいけど、英語もハングルも誰も読めないでしょ。
私、漢字では書けないわよ。正確に伝える自信ないもの」
「いえ、文献は不要です。重臣らの目の前で医仙として断言できるかが知りたい」
「もちろんそれは断言できるわよ。おまけに媽媽だけじゃない。王様のストレスも、とっても悪影響なの。
乏精子症は、ストレスも最大の要因の1つよ。それは先の世界では常識なの。
今のままじゃ例えどれだけ側妃を置いても、側妃の妊娠の可能性はとても低いはずだわ。
王様もストレスだらけなんだもの、時間を無駄にするだけよ」

医仙であるこの方の言葉のほとんどが天界語で、判じられぬ部分も多いが。
「何故それを先に仰って下さらぬ」
「だって、聞かれてないじゃない!あなたが聞いたのは、媽媽がご懐妊出来るお体かどうかだけで」
ああ、言葉足らずがまた原因なのか。
「参りましょう」
俺はこの方の手を握った。
「今の御言葉をまず王様と王妃媽媽にお伝えください。
その後恐らく、大臣衆の前にてもう一度お話頂きます。
天界語を交えて構わぬ、とにかく確りと話して下さい」

この方の手を握り兵舎を飛び出すと、庭に集まっていた兵たちの目が一斉に注がれる。
「て、大護軍」
この方の手を握ったままの俺を見て、チュンソクが声を詰まらせる。
「康安殿へ行く。何かあれば来い」
「・・・は」
小さな手を握ったまま堂々と兵舎を出で、皇庭を突切り回廊を歩く。
その姿に擦れ違う皆が目を止め、囁き合うのを十分承知で。
見たくば見ろ。噂すれば良い。
迂達赤大護軍が堂々と医仙の手を握り、只ならぬ慌てた様子で王様の元へ駆けつけたと。

「王様、迂達赤チェ・ヨン、参りました」
「・・・入りなさい」
扉が内官の手で開かれる。
執務机の前に立ちあがった王様のお顔の色。
大きな窓越しの明るい冬の光を受けていらしても、決して良いとは言えぬ。

「二人してどうされた」
驚かれた御様子の御顔に向かい
「側妃選びのお取り止めを」
前置きなく切り口上でお伝えすると、王様は眉を顰め俺たちをご覧になった。
「・・・何を言い出す、大護軍」
「王様。まだ決まっておられぬ側妃と、既に元より娶られた公主である王妃媽媽のご健康。
重臣らはどちらを選びますか」
「・・・何を申しておる」
「医仙の診立てをお伝えいたします。某が医仙より直接聞きました」

俺が横のこの方に眸をやると、この方は一歩前に出て壇上の机前の王様を見上げる。
「王様。出来れば、王妃媽媽もご一緒にお話することはできないですか」
「それは、勿論構わぬが・・・」
そう仰った王様は部屋の隅の筆頭内官を見遣り、静かにおっしゃった。
「ドチ。内官に至急、王妃を迎えに行かせよ」
「畏まりました、王様」
即座に頭を下げ、内官長は御部屋を出て行った。

すぐに康安殿の王様の私室前に衣擦れの音がさんざめく。
扉が開くと、王妃媽媽とチェ尚宮が共連れで入室する。
俺たちは御入室された王妃媽媽へと頭を下げた。
「王様、大護軍、医仙まで。どうされたのですか」
その御声の張りの無さ。
数日前にお会いした時の王妃媽媽とは打って変わった、憔悴されたご様子。
俺は叔母上チェ尚宮へと眸で問いかける。
筆頭尚宮としての目と顔でその王妃媽媽のご様子を判じ、叔母上は俺に頷き返した。

この方の仰る通りだ。
王様も王妃媽媽もこれ程お窶れで、慶ばしき事など起きるはずがない。

王様は段を下り、王妃媽媽の前へとお立ちになった。
王妃媽媽はその王様をご覧になり、そっと頷かれた。
王様が卓を示し、王妃媽媽とご自身が着席されるのを見届け、俺はこの方を見た。
あなたは頷き返した後に、卓の御二人へ向き直った。

「王様、媽媽。もうこの人・・・大護軍には、話しましたが」
「ああ医仙、それほど堅苦しくせず」
しかしこの方は王様のお心遣いに、きっぱりと頭を振った。

「いえ。今回は王様に頂いた医仙の名前に恥じないよう、天界の医者としてお話します。
まず、側妃選びはすぐに止めて下さい。媽媽のお心とお体に、本当に悪影響です。
妊娠に必要なのは、まずエストロゲン。
これは通常、30代女性に一番安定して分泌されます。
妊娠しやすい体を作る土台です。
次にプロゲステロン。
これは受精卵の着床後、 その妊娠を維持する黄体ホルモンです。
どちらもストレス・・・気鬱にはとても弱いんです。
それだけじゃありません。
妊娠中に受けた気鬱は胎児に対しても、ダイレクトに悪い影響を及ぼします。
セロトニンやベータエンドルフィンの、俗に言う幸福ホルモン。
これを分泌する事が妊娠しやすく、スムースな妊娠期間の助けになります。
今のままじゃお2人ともに逆効果なんです。媽媽のお体を傷つけかねない。
そして王様の気鬱は、王様の生殖機能を阻害します。
もともと自然に任せていれば大丈夫なのに、お2人とも気鬱を溜めて、妊娠しにくくなってる。
正直に申し上げて、今の状態で王様が側妃の方とそういう関係を持たれても、ご懐妊の可能性は本当に低いと思います。
それでも大臣の皆は、媽媽が傷ついても構わない、跡取りの御子が欲しいから側妃を選べとおっしゃいますか?
運が良ければ出来るかもしれないからと、王様が気鬱をため込んでも側妃をあてがうことを選びますか?
はっきり言って、時間の無駄です。
大臣たちに証明が必要なら、私とキム先生がいくらでも診察記録を出します。
今のお2人が、どれくらい気鬱でいらっしゃるか。脈でも四診結果でも」

そこで叔母上が静かに言葉を継ぐ。
「元が黙っておるでしょうか。そのようなことが耳に入れば」
そして己の言葉に薄く笑んだ。
「公主をわざわざご懐妊しにくくしておいて、高麗の側妃が御子を得られれば。
反逆と取られかねません。王様、王妃媽媽」
王妃媽媽が驚いたように大きく目を瞠り、医仙であるこの方をじっと見つめる。

「医仙」
俺の横のこの方がにっこり笑う。
「はい、媽媽」
「気楽にしておるだけで、本当に良いのですか」
その声に頷いて、この方が媽媽の手を握る。
「そうです。なるべく体を温めて、できれば王様と一緒に毎日ご飯を召し上がって、お2人で楽しい話をしてください。
今はそれだけでいいんです、基本的には。焦らなくていいんです。のんびりして下さい。
あとは食事に関しては葉酸とか酵素とか、鉄分やカルシウム。
これはもう典医寺が表にして水刺房に渡しますから、媽媽は心配しないで下さい。
いいですか、Don’t worry, be happyですよ?
ストレスや嫉妬を抱えて、いい事は1つもないです」

そこでこの方は俺を見て、溜息交じりに苦笑いを浮かべる。
「本当に、ろくなことはないですから。大臣の皆にも、私からはっきり言います」

そう言うこの方に向かい、王様が
「早急に会議を開く。その折には大護軍も医仙も同席を」
そう力強くおっしゃる声に、この方は笑ってはい、と頷いた。

 

*****

 

「奥方様、今日は何をお探しですか」
立ち寄ったあの店の奥からそう言って、男が飛び出して来た。
そして俺に向けて笑いかけた。
「旦那様もご一緒ですか。相変わらず仲がよろしい」
「うん、スー・・・じゃなくて、汁の実を探してるんです。
今日のおすすめの野菜ってどれですか?」
俺の横でにこにこと笑いながら、この方が尋ねる。
「そうですね、葉ものと葱ですかね」
「じゃあ、それがいいかな」
嬉しげに店先に並んだ葉を見比べながら、俺の手を握って揺らす。
「見て見てヨンア、どれが美味しそう?」

どれでも変わらぬと肚の内で思いつつ、店先に積まれて並ぶ緑色の葉に目を通す。
「これはどうですか」
そう言って一番根の立った葉を指すと、店の男は相好を崩し、
「旦那様はお目が高い、美しい奥方様を選ぶだけある」
そう言って俺の指した葉の束を手に取る。

余計な事ばかり言う男だと、些かむっとする。
「妻は十把一絡げの菜ではない」
その声に男は、はははっと声を上げて笑う。
「それはそうです、失礼しました。良い野菜を選んでいただいて、つい嬉しくて」
俺達の遣り取りを横で笑って聞いていたこの方が
「じゃあそれと、あと葱をお願いします」
そう言って、積まれた葱に近寄って行った。

 

「大護軍、あの紅は一体!」
迂達赤兵舎にいた俺に、トクマンが慌てて駆け寄って来る。
何のことだと顔を上げ、眸で問う俺に
「今、宣任殿で王様の護衛をしていました。今日は重臣たちとの会議でしたから」
トクマンが焦るように身振りを交え、慌てた様子で言い募る。
「で」
と促せば
「帰りに、王妃媽媽のところへ向かわれる途中の医仙をお見かけしたんです」
そういう事かと合点がいく。
「で」
「いえ、いつもよりずっとお綺麗だとよく見れば、鮮やかな紅を差していらっしゃるので」

其処まで言って気づいたようトクマンが口を押さえ、俺の前で直立不動になった。
「決して下心とか、そう言うわけでは!」
「言うだけ白々しい」
俺は立ち上がり兵舎を抜けた。
テマンがトクマンを鋭く睨んだ後、黙ってその後に付き従う。

 

典医寺へ入り薬園を抜けあの方の私室へ踏み込む。
急に開いた扉に驚いたか、あの方は書物机から顔を上げ俺の方をじっと見た。
「驚いた、お昼でもないのに。どうしたの?」
問いかける紅い唇。
俺は部屋を大股で横切り、上げたこの方の顔、その小さな顎に手を添えた。
そしてもう片方の指で小さな唇を出来る限り静かに、壊さぬようにそっと拭う。

「紅すぎるのです。だから皆が騒ぐ」
「い、痛いってばヨンア」
「ならば俺が舐めとりますか、今すぐ此処で」
俺の声に、目の前のこの方が唇の紅よりも真赤になる。
「ちょ、っと、何言ってるの!」
その泳ぐ目の先を追って振り返れば、後ろのテマンも顔を赤らめ呆然と俺を見ている。
「・・・冗談だぞ、テマナ」
テマンが無言のまま幾度も頷いた。

「大護軍、おいででしたか」
その声に扉へ目を遣ると、キム侍医が静かに此方を眺めていた。
「診療室が混んできたので、ウンス殿を呼びに参りました」
「ああ」
俺が顎で頷くと、侍医がにこりと笑んで言った。
「お役目中に大変ですね。あちらこちらへ」

俺はキム侍医へ真直ぐ眸を当てた。
「何処ぞの男が渡した紅のせいでな」
「しかし、よくお似合いでしょう」
減らぬ口だな。
その声には答えず、この方に向き直った。
「昼は忙しいので、夕刻迎えに」
「うん、分かった」

この方に頷いて、踵を返し扉へ向かう。
そして扉横に佇んだままのキム侍医と、最後に真正面から向かい合う。
「覚えておけ」
静かに見つめるキム侍医に、
「俺は素顔のあの方が一番好ましい」
そうだけ残し、その脇を抜ける。

待ってるねと後ろから明るく響くあの方の声。
微笑む顔を胸に描き、迂達赤兵舎へ戻る為に典医寺の門へと歩を進めた。

 

 

【 愛月撤灯 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

長篇44、終了です。
ヨンの悋気話でしたが、こんな感じになりました。
ふにたんさま、リクありがとうございました。
そして読んで頂いた皆さまにも、心よりお礼を❤

次回より新話、始まります。
成人式の三連休、お時間のある時にでも
読んで頂ければ嬉しいです(*v.v)。

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