2014 Xmas | 紫苑・6(終)

 

 

「そもそもは、良い王様だったはずさ」
女主人は話し出した。
「そうだね、即位されて三、四年は大層評判も良かった。朝鮮もいい時だったよ。
先代の成宗さまもご立派だったからね」
「ちょうせん」
今ここは、ちょうせんと呼ばれる地なのか。
いや、時というならば、今はちょうせんという時なのか。
混乱した頭で俺は考える。

「それが今となっちゃ、すっかり」
そこで声を顰め、女主人は左右に素早く目を走らせ
「もうどうにかなってるんだろうさ。
士林派への士禍も然り、成均館を妓女たちの遊び宿に変えて毎晩入り浸って。
気に入らなきゃどいつも虫けらみたいに斬り殺す。女はいくらいても足りやしない」

何の事だ。
事情が分からず、俺は女主人を眺める。
「前の王様が作った円覚寺も遊び場に変えちまった。
掌楽院だってさ、名前だけは大層ご立派だけどね。要は女遊びの場だろうよ」

この戸惑った顔にも気づかぬか。
女主人は丁度良い話し相手を見つけたと言わんばかりに捲し立てた。
「ここは都まで、まだ離れてるからましだよ。
都じゃ年頃の娘を持った親はどうやって娘を隠そうか、必死になってるらしい」

ああ、とか、ふむ、とか、相槌を打ちながら頭を整理し話に耳を傾ける。
然るに現王は暗君、暴君の類か。
しかしそんな王は古今東西、何代かに一度は出ると相場が決まっている。

「とにかく怖いよ、隆王って王様は。あんたも気をつけな、都に行くことがあったら。
そんな良い男じゃ嫌でも目立っちまう」
女主人はより声を顰め、最後に怖々付け足した。
俺は頷き、酒屋の卓の椅子から立ち上がる。
「馳走になった」
「やだね、一口も飲んでないじゃないか」
女主人は俺の盃を覗き込み叫んだ。

暴君の隆王の治世、朝鮮。
女は身を隠すのに必死であり、官軍が力を持っている。
元は円覚寺の掌楽院、成均館には妓女の遊び場。
その言葉を脳に刻みながら、俺は町を歩き始めた。

此処にいるのか、いないのか。
此処で逢えるか、逢えぬのか。
これほど求める俺のウンスに。
そして逢えた時、もしも横にあの話の男がいたとしたら。

俺はその場に足を止めた。

斬ってしまうかもしれない。

 

*****

 

「戻った」
その声に庭へ走る。
「ソンジン」
帰ってきた。
そのまま消えたって構わないのに、馬鹿に律儀なこの男はこうやって帰ってきた。

「ソンジン」
呼ばれた声に俺は目をやる。
ソヨンが飛び出してきて目の前に立った。
「知っているか」
俺は地べたのソヨンの足を顎で指す。
「裸足だぞ」

呆れたようなソンジンの声で初めて気付く。
「だ、だって帰って、来ると思わなかったから」
痞えながらそう言うと、ソンジンは息を吐いた。

「来るといえば来る。行くと言えば行く。
嘘など吐くか、面倒くさい」
その言葉に吹きだした。
やはりどこか馬鹿だ。真っ直ぐすぎるこの男は。

「もう出掛ける刻か」
ううんと頭を振るソヨンの髪に緑のテンギが揺れる。
「もう少し遅くなってから。私は湯浴みをしなきゃいけないから。
何かあったら家の人間を呼んで、言いつけて」
その言葉にソンジンは太い息を吐いた。
何か言われるんだろうか。
身構えたけれど何も言う事なく、ソンジンはそのまま部屋へと消えた。

一人庭に残されて、気付けば裸の足が冷えていた。
そのつま先を丸めて擦り合わせ
「湯を使うわ」
そう言いながら、廊下へと戻る。その声に家人が走り寄って来た。
「ソヨン様、もうあまり時間が」
「分かってる」
「これから化粧も、カチェも整えないと」
「ねえ、あんた」
私はそう言って廊下で立ち止った。
女は驚いたようにその足を止めた。

その驚いた顔をじっと睨んで聞いてみる。
「同じ女として、宮中から医女の資格をもらった私が男たちの酒の相手をして抱かれてるって知ってて、どうして平気で送りだせるの?」
「・・・これが私の役目ですから」
「ああ、そう」
役目。じゃあ私の役目は?医女?妓女?
人の傷を治すのが役目?それとも男に抱かれるのが?
どっちも傷を癒すなら同じ事かと息を吐く。
そのおかげで溜まった財でこれだけ贅沢してるんだ。
そんなものよね、きっと世の中は。

 

「ソンジン」
外の日が傾き、空が柿色に染まり始める頃。
障子戸の向こうから静かな声が掛かる。
出る刻か。
脇に置いた刀を握り、立ち上がると腰へ差す。
「今行く」
そう言い障子戸を開ける。
初めて会った時と同じ濃い化粧。
華やかに高々と結い上げた髪。
短く煽情的なチョゴリ。腰の線を引き立てるよう絞ったチマ。
その姿のソヨンが立っていた。
白粉の匂いを周囲に振り撒いて。

隆王から身を隠し損ねた女の末路かこれが。
俺はそう思い、目前のソヨンを眺める。

ソンジンが盛装を施した私を見た。
初めてかもしれない。
豪華に装ったこの姿。
こんな風に軽蔑でもなく、好色でもない、哀しい目で見られたのは。
私はソンジンに華傘を渡す。
「これを差さないといけないの、悪いけど持って」
「判った」

刀の代わりに傘を握り、ソヨンへ差しかける。
面倒なことだ。胸内で呟いて。
この辺りを回ったからとて、道を全て見たわけではない。
どこから襲われるのか予想はつかん。
路を歩きながら、周囲へと目を配る。
「近いか」
差しかけた傘の影でソヨンに尋ねれば
「うん、遠くはない」
傘に顔を隠したソヨンの、赤い唇だけが動く。

その時、脇の路地から出てきた三人の男に道を塞がれる。
俺は傘を閉じて足を止め、ソヨンの前へ回り込む。
「ソヨン、観察使殿のお屋敷に行くのか」
三人の男の影からそう言って一人、別の男が出てきた。
「ええ」
背後から固いソヨンの声がした。
「誰だ」
俺が後ろのソヨンに向け小さく誰何すると
「いつも行ってる牧事の息子」
同じくソヨンが小さく答える。

それを聞いて思い出す。
最初の日、気鬱なら太い鍼を刺してやるとソヨンが怒鳴った、例の男か。
俺は微かに顎で頷く。
「斬って良いか」
「それは駄目!」
ソヨンが小さく悲鳴を上げる。
「何をこそこそやっている!!」
息子とかいうその男が、真っ赤な顔で怒鳴った。
成程。ソヨンの外出を知り、悋気に煽られたか。
相手は斬る気満々で護衛を三人連れている。
その男を斬っては駄目、さてどうするか。

その瞬間俺は大きく一歩踏み込み、一人目の男の 頭上から力一杯、畳んだ華傘を振り下ろした。
急襲に身構える間もなく脳震盪を起こしたか。
その男が崩れ落ちたところで、横の二人目に向け傘で胴を思い切り払う。
その二人目が打たれた腹を抱え蹲る。肋骨が折れたのだろう。
しかし傘の柄も半分ほど折れ飛んだ。
折れた傘の柄の手に残った半分ほどで、俺は最後の男の顎を斜め下から殴りつけた。

顎は人間の急所だ。ソンジン、覚えておきなさい。
相手を斬りたくない時はまず顎か鼻を狙うと良い。

劉先生の言葉を思い出し力一杯殴りつけると、相手は白目を剥き昏倒した。

その往来での騒ぎに、周りに人垣ができる。
折れた傘の柄を放り投げ、俺は刀を持ち替えて抜き、息子という男に突きつける。
同時にソヨンへ振り向く。
その体は先刻まで俺が立っていた真後ろ辺り、固くなったまま立ち尽くしていた。

その目を見た後首を傾け顎をしゃくる。
ソヨンはようやく気づいたようにぎくしゃくと、歩き難そうに、歩を進めて来る。

そして俺の斜め前に回り目の前の息子とやらをじっと睨み付け、静かな震え声で
「観察使さまに、あなたから連絡を。
あなたのせいでここまで外出着が乱れたから、今日はもう伺えませんと。
そして牧事様のご自宅にも、今後はもう二度と伺いません。お心に御留め下さい」
男が何か言おうとするのを、俺は目と刃先で制した。
「しかと伝えろ。この人垣が証人だ」

男は悔しげに周囲の人垣を睨み、真っ青な唇を噛み締めると
「分かった!」
そうだけ怒鳴り踵を返した。
「兄さん、気持ち良かったよ!!」
叫ぶ声に目を向けると、昼間酒を馳走になった酒屋の女主人が立っていた。
「おまけにソヨンのとこの人だったのかい。
ソヨンも水臭いね。こんな良い男いつから隠してたのさ!」

その声にソヨンの体が揺れる。
倒れかかる体に思わず手を貸す。
ソヨンの手が俺の手を握り返す。

俺の目がソヨンの目を覗き込む。
ソヨンの目が俺を覗き込むのと同じ速さで。

俺達の周囲で人垣がさざめいている。
人が動く気配はする。声は聞こえる。
俺達だけがその輪の中心で互いの目を覗き込む。
視線を外せぬまま何かを探すように、ただ睨みあっている。

倒れそうになったソヨンに手を貸した俺。
その手にただ、縋りついているソヨン。
周りから見れば不自然には見えぬのだろう。
人垣は三々五々汐のように引いていく。

俺の顔は今青いだろうか、赤いだろうか。
目の前のソヨンの顔は、紙のように白い。

その中で紅を注した唇が、静かに動く。
声にならぬ呟きを紡ぐ紅い唇。

ソンジン

俺の名を何度も、何度も呟く。
その唇を見ながら、俺は目を閉じる。
それでもお前はウンスではない。
俺の愛した、ただ一人のあいつではない。

閉じた瞼の裏。

あの紅い唇が動く 様子が見える気がして、俺は太く息を吐く。

 

 

【 紫苑 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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