2014 Xmas | 紫苑・2

 

 

あの木の立つ丘までようやく歩く。
ここからは叢が続く。
血の跡が見つかる事はもうなかろう。

そう思い、ようやく詰めていた息を吐く。
そして辺りの景色を見回し、異変に気付いて目を凝らす。

どこか違う。あの時よりも、ずっと木が高い。

どういうことだ。
先生はあの天門を潜り先へ行きたいと、華侘の元へ行きたいと確かに仰っていた。
ではここに華侘がいるのではないのか。

あの使臣はウンスが華侘と言っていた。
そしてウンスは自分は華侘ではないと、先の世界より来たと。

先の世界、俺が居るここに、この世の何処かにウンスもいるのではないのか。
だから俺に門をくぐれと、ウンス、お前はそう言ってくれたのではないのか。

そこまで考え、朦朧とした頭を振る。
考えるな。
ただ逢いたいとだけ、それだけ念じて探せ。
そう思い一歩踏み出す、その膝が崩れた。

限界なのか。

あの時と同じ場所ならば、集落までは距離がある。
人が通るかも判らぬこんな場所で行き倒れれば、次に誰かが見つける時には、行き倒れの骸になっている。

地に膝をつき腕で躰を起こそうとすれば、立てた腕の傷から盛大に血が溢れる。
寒さ冷たさが、体の芯からやって来る。目の前が、幕を下ろすように暗くなる。

駄目だ、起きろ。

暖かそうな暗闇に手招きされながら、あの白く小さい横顔を思い出す。
最後の夜、共に月を見上げたあの横顔を。

一人で過ごす暖かい闇よりも、二人で過ごす冷たい月夜が良い。

ウンス、俺は此処にいる。俺の事も思い出せ。
この強い想いがお前と縁を結ぶなら。
「ちょっと!」

そう呼ぶ声が遠くに聞こえる。
何処かで聞いた、心が潰れるほどに懐かしい響きのその声が。

ウンス
「しっかりしてよ、聞こえる? ねえ、聞こえる?」

─── ウンス。

 

*****

 

目覚めると見知らぬ天井が見えた。

丘の叢に倒れたはずが柔らかい布団に寝かされ、絹の掛布団がこの肩まで掛けられている。
それに気付いたのは剥き出しの己の肩に、何も羽織っていないからだった。
直接肩に触れる絹のそのしっとりした肌触り。

飛び起きた次の瞬間、無言で奥歯を噛み締める。
畜生。痛みは変わらん。

深手を負った肩と腕には治療の跡が残っている。
薬が塗られたらしき匂いが漂い、白い布が当てられ、その上から包帯が確り整えて巻かれていた。
痛みを逃がそうと、腹から息をして整える。
「起きたの?」

部屋の障子戸がからりと開く音と共に、何処か蓮っ葉な調子の声が言った。
俺は息を整えて、その声に目をやった。

ウンス

しかし振り返る視線の先には、障子戸向こうの庭の光を背に、見たこともない女が立っていた。
見たこともない程豊かな髪、 見たこともない程真赤な唇。
見たこともない程短いチョゴリ、 見たこともない程艶やかなチマ。
何なんだ、この女は。
視線を感じたか女は俺の方を見ると
「薬湯を飲んで」
そうだけ言って俺の横に座り、薬湯の入っているらしき茶椀をすいと差し出した。

差し出された椀をそのまま見つめ、次に横に座る女へ目を移せば
「毒なんて入ってないわ」
女はそう言ってあっけらかんと笑う。
「そんな事は思わぬ。お前は誰だ」
毒など盛らずとも殺す気ならば、あそこにあのまま放って置けば良かったはずだ。
「どうして俺を連れてきた」
その問いに女は苦笑した。
「医女だもの、死にかけの怪我人を放っておけない」

医女。この女が。
昼からこれほど厚化粧を施し、白粉の香りを辺り一面に振りまく女が医女だと。
ふざけるな。
俺が目で言うと、女は平気な顔で見つめ返す。

「でも、妓生でもある。分かる?」
知るか。
俺は此方に伸ばされたままの腕の先の椀を取り上げ、一気に飲み干した。
そして、椀を床に置き直す。
「世話になった。もう行く」
顎で頷き伝えると、女が尋ねる。
「どこに」
「関係ない」
「あるわよ。そんな妙な格好でこの辺をうろつけば、すぐ官軍に目をつけられるじゃない」
「行く」
再び言って俺は布団を出た。ふらつく足許を踏みしめ
「衣を返せ」
そう伝えると、女は困ったように笑って言った。

「あの衣なら捨てたわよ」
女の返答に、俺は口を開けた。
「だって斬られてたし、血で汚れてた。今、家の人間が、新しいものを買いに行ってる」
「刀は」
まさか刀まで捨ててはおるまい。
望みをかけ訊ねてみる。
「刀はあそこ」
女は布団から僅かに離れた壁を指した。見慣れた俺の刀がそこに立て掛けてある。

刀のみ持って出てもこの切り傷だらけの半裸では、確かに人目についてもおかしくはない。
畜生、八方塞がりか。
体は動かぬ、着物はない、此処が何処かすら判らぬ。
息を吐く俺を気にする風もなく
「刀を持ち歩いてるって事は、武官なの?官軍、五衛か内禁衛?」
女はこちらを見て尋ねてきた。

女の言う事が分からずに、俺は僅かに首を傾げる。
五衛か内禁衛、一体何のことだ。
「違う」
少なくとも俺は官軍の者ではない。
首を振りそう言うと女は納得したのか頷いて
「そうよね、第一着てたあの衣、あんなの初めて見た。
どこの田舎から出てきたのかと思ったけど、話し言葉に訛りもないし。おかしな男ね」

そう呟くと、一人納得したように喉でくくっと笑う。
ウンスの明るく、花が咲くような、香るような笑い方とは、似ても似つかぬ。

ウンス。どこにいるんだ。

「ソヨン様」
その時、部屋の外からかかった男の声に、目の前の女の顔が変わった。
まるで拭ったように浮かんでいた笑みが消え、その目は雷雲が立ち込めるように黒く濁る。
「なに」
「今晩の往診のお呼びがかかりました。牧事様の、お屋敷だそうです」

女は溜息を吐いた。
「断れないの」
「是非ソヨン様をとの、たってのご希望です。ご子息の気鬱だそうです」

それを聞いて女は鼻で嗤った。
「ふん、気鬱ねえ。うんと太い鍼でも打ってやれば、吃驚して治るかしらね」
「使いが返事を待っていますが、どうしますか」
女は立ち上がり、叩きつけるように障子戸を開けた。
「行くわよ、行けば良いんでしょう。何時に行けばいいか聞いておいて。
今日は急な患者がいるから絶対に泊まらないと、必ず伝えておいて。良いわね」

そう言うと障子戸を力一杯引いて、音高く閉ざした。
その音の後、部屋の中はまたしんと静まり返る。
「急な患者なら、早く行け」
俺がそう言うと
「・・・・・・あんたは、平和で良いわね」

女は俺を眺めて、静かに言った。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。ご協力頂けると嬉しいです❤

今日もクリックありがとうございます。
にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です