2016 再会祭 | 待雪草・後篇 〈 邸 〉

 

 

「明日は歩哨で、伺えません」
最後に小さく頭を下げて、チュンソクが帰って行った。
庭先で見送る私を困ったみたいに幾度も振りむいて、でも互いにそこに立ったままでは離れにくくて。

走り寄って手を握って、もう少し一緒にいようと言ってしまう。
そうすれば優しいチュンソクを、きっともっと困らせてしまう。
明日のお役目がある。早く温かい兵舎に戻って頂いて、明日の為に寝なくては。

「早く帰って!」

静かな庭に響き渡るような声で言うと、人差し指を口許に立てて驚いた顔で周囲を見渡して、それから優しい顔でチュンソクは頷いた。

会っても会っても。毎日会っても、もっと会いたい。
だけど私はウンスとは違う。皇宮でお勤めが出来る訳でもないし、気軽に迂達赤まで会いには行けない。
王様の御迷惑になるし、望んで廃位された皇族が出入りしてはいらぬ諍いの火種にもなる。
きっと王様も、チュンソクも、父上も母上も巻き込んでしまう。

冷たくどこまでも澄んだ冬の夜。 庭を遠くなっていく足音。
その合間に聞こえる、小さな咳。
「チュンソク、咳をしている」

私の横に立っていたハナが、暗い庭を透かし見て頷いた。
「じき大寒の頃ですから、冬のお疲れが出たのかもしれません」
「明日、王様の歩哨と言っていたのに」
「はい・・・」

暗く静かな夜の庭。植わった蠟梅がここまで香る。
父上と母上の丹精する庭には四季折々の木花が咲くけれど。
「金柑が欲しいな」
「金柑ですか、姫様」

チュンソクの足音が聞こえなくなってようやく、私は諦めて部屋へ戻りながら呟いた。
それでも夜の闇から聞こえた辛そうな咳音だけは、まだこの耳に残っている。

「うん。うちの庭には、実の生る木が少ないから」
「・・・姫様がお小さい頃、青梅を御口にした事があったそうです。大監が大層ご心配されて、それ以来」
「そうなのか。もう大人だから植えて頂こうか」
「いずれすぐに、お子様がいらっしゃいます」
「え」
「姫様の御子ならきっとお転婆でしょうから、また青梅を御口にしたら大事です。もう少しだけお待ちになっては」

驚く私を部屋へと急かしながら、ハナは楽しそうにうふふと笑う。
「金柑を差し上げたいのですか。隊長様に」
「うん。そうしたら咳が楽になるかもしれない」
「姫様は本当に、よくお気が付くようになりました」

私を部屋まで連れ戻し手早く床を延べたハナは、部屋の炉の火を覗き、床の熱を手のひらで確かめてから
「御手水を持って参ります。お着替え下さい」
いつもの優しい声でそう言って、静かに部屋を下がって行った。

 

*****

 

「朝起きたら、手水を運んでくれたのは乳母だった」
キョンヒ様はそう言って、萎れた花のように肩を落とす。

「ハナ殿はもういらっしゃらなかったのですね」
「うん。心当たりがないんだ。金柑しか」

金柑が生える山は少なくない。それ以外の全く手掛かりがない。せめてどこに行ったか判ればと期待したが。
「キョンヒ様」
「あのね、チュンソク」
「はい」
改めて問おうとしたところで上がるキョンヒ様の声に、口を閉ざして頷く。
「子男山だ」
「は」
「きっとハナは、子男山に行った」
「東大門のですか」

無言だった大護軍が初めて顔を上げ、キョンヒ様に低く尋ねた。
「うん。秋に一緒に行ったのだ。その時に金柑の木を見つけて、冬になったら実が生ると教えてくれた」
大護軍の声にキョンヒ様は頷いて、俺にとも大護軍にともなく呟く。
「ハナ殿がですか」
「失礼致します。姫様、本殿より大護軍様においで下さいと」

最後の俺の声と、扉外の先刻の家人のものらしき声が重なる。
その声を受けると大護軍は無言でキョンヒ様に一礼し腰を上げた。
テマンも同時に素早く立ち上がり、二人は並んで扉を出て行く。

キョンヒ様が小さく息を吐き、同時にずっと堪えていたのだろう涙が溢れて頬に落ちた。
そして二人きりになったから、その雫を拭って差し上げられる。
挟んだ卓を超えてキョンヒ様の横に移り、泣き顔を両手で包み、親指で頬の涙を拭う。
キョンヒ様は赤子のように声を上げて、この胸に顔を埋めた。

どれ程長い事堪えていたのだろう。
涙は拭う指を焼く程熱く、その顔を伏せた上衣の胸を止めどなく濡らす。
「チュンソク、ハナが」
「はい」
「ハナが、ハっ、ハナが」
泣き声の隙間にしゃくり上げながら途切れ途切れの声が言う。

「御立派です。大護軍の前で我慢しましたか」
「だって・・・チュ、ンソクが恥っ・・・ずかしい」
「俺は構いません」
「わっ、たし、が、恥ずかしい」
「必ず見つけます」
「・・・っ、うん・・・」
うんうんと頷きながら、もう声すらも戻って来ない。キョンヒ様は無言のまま胸に縋るように泣き続けた。
上衣を固く握り締める小さな手が、細かく震えている。

冬の雪山の人探し。神仏の加護を祈るしかない。これ以上の泣き顔は見たくない。
嬉しさに流す涙なら幾度でも拭えるが、この涙は悲し過ぎる。
真冬であろうと、山さえ判れば何か打つ手はある筈だ。
いや、ないとしても見つけてみせる。
そうでなければ俺の大切な小さな姫が、一生負いきれぬ重荷を背負う事になる。
それだけは駄目だ。絶対に避けねばならん。
祈る気持ちで目を閉じて、俺は胸に埋められたキョンヒ様の髪を静かに撫で続けた。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    チュンソクのためだったのね
    (それしか考えられないわ)
    主人に忠実な ハナさんだから
    金柑を探しに行っちゃたのね…
    キョンヒ様 
    泣くの我慢してたのね~ 
    ( p_q) 私まで 泣いちゃったわ

  • SECRET: 0
    PASS:
    キョンヒ様はチュンソクを思い、ハナさんはチュンソクを想うキョンヒ様を思い、そしてキョンヒ様はハナさんを思い…
    それぞれの思いが切ないです(;o;)

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