2016再開祭 | 秋茜・伍

 

 

本来なら私が入れるわけがない、議政府の殿の北端の小さな通用口。
松明すらない暗い入り口に、知らない男が一人立っていた。
「医女だな」
「・・・はい」
「此方へ来い」

パク大監の言いつけ通りに、医女服のチマチョゴリの上からトゥルマギを被って来た。
私を月明りで素早く見つけると、大監の手の者らしき男がそれだけ言って、先導するように歩き出す。

息を殺すよう暗い庭の中を歩き、左右を窺いながら眉を顰める。
何故人払いしているのだろう。夜の殿の使われない門まで。
そういう気配には敏感だ。
いつ何時獣に変貌するか知れない男たちを相手に、甘言と酒を味方に生き延びて来たのだ。

人気のない部屋の前、余計な事は言わず先導の男が部屋の扉へ顔を近づけると
「連れて参りました」
とだけ囁いて、すぐに扉を開ける。

部屋の中の蝋燭も、足元が覚束ないほど減らしている。
薄闇の影のようなパク大監が頷くと、私に向かって言った。
「よう来てくれたな」
「御無沙汰しております、大監」

暗がりとはいえ大監の顔色は余りにも冴えない。
まるで出来の悪い紙のように、厚く乾いた肌の色艶のなさ。
「大監」
「うむ」
「失礼ですが、御体の方は」

私の問い掛けに大監が低く笑う。そのひび割れた耳障りな音。
「さすが内医院の首医女に昇格しただけの事はある。下らぬ巷の噂など気に病むでないぞ。
そなたの実力は儂が誰より知っておる」
「大監」

ソンジンは毛嫌いするこの男。私だって決して好きではない。
けれど少なくとも最初の道を見つけ、そして与えて下さった恩がある。

「そなたを呼んだのは、他でもない」
「診察ですか」
そうとしか思えない。夜の殿舎、突然の御召、見るからに深刻そうな様子のパク大監。
けれど大監は首を振ると、向かい合う机に僅かに身を乗り出した。
「王様の事だ」
「・・・王様が、どうかされたのですか」
「王様をお守りする為、ソンジンをどうにか内禁衛に入れたい。今や既に禁衛把摠。
このまま王様の御心にお変わりがなくばいずれ遠からず騎士将、いや、もっと高みも望めよう」
「騎士将・・・」

正三品堂上、そこからは大監と呼ばれる立場になる。
もうソンジンと気楽に呼び、共に暮らすどころの騒ぎではなくなる。
本来なら今だって、ナウリと呼ばなければならない官位なのだ。
そしてもっと高みなんて、考えただけで眩暈がする。

蝋燭の光すら抑えた部屋の中、窓桟の向こうから差し込む月光。
向き合う大監の顔色が悪いのは、その明りのせいだけではない。

「儂には判らん。何故そんな好機を逃すのか。今すぐにでも戻したい。
王様には今、一人でも優秀な人材が必要だと判らぬ男ではあるまい。
まして王様御直々に御声を頂戴したというではないか」
「はい」

先日のご拝謁を思い出し頷く私に、大監は渋い顔で首を振る。
「その御下問を袖にするなど、王様の御聖恩と御慈悲がなくば逆賊と罵られるところだ」
「はい」
その通りだと頷くしかない。あの男は本当にいつだってそうだから。

一切の欲がなく、まるで流れに漂うように生きている。
何にも囚われず固執せず、する事といえば身を挺して何かを、そして誰かを守るだけ。

「王様の御言葉すら聞かぬ男が儂の言葉など聞く訳などなかろう。最早頼れるのはソヨン、そなたしかおらぬ」
「・・・え」
「儂の最後の頼みだ。ソンジンを内禁衛に入れるよう助けてくれ。王様の御希望でもある。
しかし御立場上王様から直々にそなたへ王命を下すわけにはいかぬ。賢いそなたなら、その理由は判るな」
「・・・はい、大監」

王命を下すまでもない。たとえ首医女とはいえ扱いや立場は未だに妓女と変わらない。
道端の犬に王命を出す王様はいらっしゃらない。
むしろそんな事が露見すれば、王様ご自身の不利益になる。

ここにソンジンが残った事だけでも、夢のようなのに。
本意だったのか、最良の道だったのかすら判らないのに。
これから明らかに嫌がると判っている事をしなくてはならない。
縛られる事の嫌いな男に、縛られろと告げなければならない。

さっきより一層暗く感じる部屋の中、揺れる蝋燭の灯を避けるように目を閉じる。

ごめんなさいと何遍謝っても追いつかない。
私が誘った。私が行きたかった。
医女として生きたい私の欲の為に、無関係だったソンジンを巻き込んで、こんな宮廷まで連れて来てしまった。

もう二度と許してもらえないかもしれない。
何より我慢できないと知っていて、それでも私が口にしたなら。
何遍言っても足りない。でも私は命令には逆らえない。
何故なら私は医女で、そして目の前の男は両班だから。

ごめんなさい、ソンジン。

 

 

 

 

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