「ねえ、いい加減にしてよ」
ウンスは草臥れ果てて部屋の椅子にぐったりと凭れ、呻くように言った。
「病人に会わせて。いないなら返して。あんたも言ったでしょ、奥方様が病気なの。知ってるんでしょ?」
それでも扉の向こうの影は動かない。互いを隔てる扉を開ける素振りどころか、振り向きもしない。
いつまでもこんな風にしてても仕方ない。どうせ相手は扉を開けるつもりがないんだし。
ウンスはそう思いながら、テーブルの上のポジャギを引き寄せた。
「・・・え?」
それを開けて確かめて、思わず声が上がる。メスが1本足りない。数え直しても確かに足りない。
慌てて注意深くポジャギを開き、中のものを1つ1つテーブルの上に並べてみても見当たらない。
落としたんだろうか。ここに連れて来られるまでの経緯を考えても思い当たらない。
典医寺で口を塞がれて肩に担がれ、出たところで真っ暗な中、急に頭から袋を被せられた。
そのまま移動した記憶はある。けれどどこからどう皇庭を出たのか分からない。
少なくともその途中、助けてくれるような誰かの気配はなかった。
そして自分が閉じ込められているここがどこかも分からない。
窓の外に見える景色は見慣れなくても、きっと開京にいるはずだ。
典医寺を出てからここに来るまで、体感時間はせいぜい30分以内。
冷静に。開京にいれば、皇宮に近ければ、きっとあの人が探してくれている。
ウンスは自分に言い聞かせるように、深呼吸して心で繰り返す。
騒がずに、慌てずに。
「ねえ」
返事がないのは承知で、扉向こうの影に声を掛ける。
「私のメ・・・天界の、医療道具。ちっちゃい刀みたいな銀色の・・・どこかに落ちてなかった?
大切な物なんだけど。それがないと困るの。探してくれない?」
なくなったのも、困るのも事実だ。
同情をかうような哀れっぽい声でウンスが頼んでみても、廊下の影に反応はなかった。
他にもまだメスはある。
でもこれをそのままポケットなどに入れて万一敵ともみ合いになったら、自分が予想外のケガをする可能性もある。
さすがにそれはまずいだろう。ウンスはためらった挙句、もう一度縫合セットを包んで、ポジャギにしまいこんだ。
逃げるにしても、戦うにしても。
そう考えて、包み直したポジャギを肩から掛けて胸の前で縛る。
表から出られないなら、裏の窓から。
ポジャギを担いで足音を忍ばせ、窓に近づいてウンスは落胆の息を吐いた。
その窓は嵌め殺しの、木枠を格子状に切り取っただけのもの。
太くしっかりした枠を壊すのは、ウンスの力では無理そうだ。
そこから見えるのは美しく剪定された庭の木々。どう見ても金持ちの邸なのは、間違いがなさそうなのに。
金持ちで、こんな風に自分を誘拐するなんて全く思い当たる人物がいない。
キチョルか徳興君くらいのものだ。そう考えてウンスは改めてぞっとする。
死んでしまったキチョルはともかくとして、徳興君の関係者ならこいつも毒を使うって事だろうか。
あの人にもう一度生きて逢うまで、自分の事は自分で守らなきゃ。
ウンスは唇を強く噛むと、なるべく部屋の物には触らないように注意しながら座っていた椅子まで戻り、恐々座り直した。
その時、ここに来て以来初めて扉の向こうの影が動く。近付いて来る足音。低い声が、二言三言。
ウンスが聞き耳を立てても、何を話しているかよく聞き取れない。
誰だろう?必死に思い出そうとしても、その声に聞き覚えはない。
緊張に背を伸ばし、もっと聞こうと椅子を立って扉に近づこうとした時、それは向こうから開いた。
仰天して目を見開いたウンスの目の前の扉の向こう。
申し訳なさそうな顔で立っていたのは、今まで典医寺で何度か顔を合わせたあの女性患者の夫、オク公卿だった。

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オク公卿さん首謀者じゃないの??
何の用なのさー
謎だわ、謎…