2016 再開祭 | 木香薔薇・陸

 

 

来ないかもしれない。
ただ席を借りて待つ訳にもいかない。茶店で注文をし、卓の上には今、饅頭と瓊團が並んでいた。

まだあの人が去ってから、それ程の刻は経っていない。
来ないかもしれない。
それでも良いんだ。一目でも、あんな不思議な人に会えた。

真っ青な空を見上げてゆっくり深呼吸をする風の中には、春の花の優しくて華やかな匂いがした。

あの人に一目会えただけでも、開京まで来た甲斐があった。
国子監に入学する為じゃなく、あの人に会う為に来たみたいだ。
それでも西京を離れて、遥々開京まで来た甲斐があった。

「若様、もう行きましょう。来るかどうか判らぬ者を待つなんて。若様を待たせるなんて、だいたいが身の程知らずも」
「ソンヨプ」
気持ちは判る。俺の事しか考えないし、そうやって考えてくれるからこそ、わざわざ我儘に付き合って開京までついて来た事も。
けれど。

「いらっしゃらなければそれで良い。ここまでして下さっただろ。今は気が済むまで黙っててくれないか」

俺の妙な頑固さを誰より知っているソンヨプは、さすがにその声に口調を改めると、恐る恐る俺に訊いた。
「若様」
「何だ」
「まさかあの、妙な」

そこで俺に睨まれて、奴は慌てて言葉を改める。
「あの、先ほどの女人に御心を懸けたりしてるんじゃ」
「やっぱり、そうなのかな」
「わ、若様っ!」

ソンヨプは血相を変えて、饅頭の向こうから身を乗り出した。
「駄目です!!いけませんよ、若様はお家を継ぐんです!!国子監までは許して下さったとしても、修了すればすぐ西京に戻って、旦那様の決めた家のお嬢様と御婚儀を」
「だから、そういう事じゃないって!そんな」
「駄目です。伴として見過ごすわけにはいきません!無理矢理飛び出した上に、どこの馬の骨とも判らない女に」
「ソンヨプ、話を聞けってば!!」

俺の大声にソンヨプはようやく静かになった。
「先走るなよ。良いか、あの人の事は何も知らない。知らないから知りたいんだ。知りたいから待ってるんだ。
判ったら、頼むから黙っててくれないか」

饅頭の向こうでソンヨプは視線を逸らし、独り言みたいに言った。
俺の耳には、こう聞こえた。若様、それこそ惚れたって事ですよ。

その時。
人の往来を縫いながら近づいてくる白い衣を見つけ、俺は思わず腰を浮かす。
そっちに背中を向けたソンヨプは立ち上がった俺の視線の先を探すように肩越しに振り返り、頭痛がするみたいに頭を押さえた。

押さえた手の影で呟いた声。今度は聞き間違えようもない。
ソンヨプは小声で確かに言った。余計な舌打ちと一緒に。
「馬鹿正直に戻って来る事ないだろうに」

そしてあの不思議な人はさっきと同じ茶店の店先に突立った俺を見つけると、驚いたように薄茶の瞳を大きくして急いで近付いた。
「良かったぁ、いてくれたんですね!」
「あ、あの・・・来て下さった、んですか」
「もちろん!えーと、まずは湿布を。すみませーん、ちょっと店先お借りしてもいいですか?」

俺の声など気にされないのか、この人は大きな声で先刻の店主に声を掛ける。
ああ、良かった。注文を先にしておいて。そうでなかったら堂々と居座る事など出来なかったと、俺は胸を撫で下ろす。

店の奥からは勝手知ったる女主人がはぁい、どうぞと愛想良い声を返す。
この人は笑いながら、俺の足許にしゃがみ込む。
「あ、の!」

女人がしゃがみ、男が立ったままなんていけない。
俺が呼び掛けると薄茶の瞳が低い処からこちらを見上げる。
「あ、あの、俺もしゃがみます。さもなければ、あなたも座って下さいませんか」

一度立ち上がってしまった手前、椅子に腰掛ける訳にもいかずにまずは言ってみる。
「ああ、私はいいんです。慣れてますから。テギョンさんは座った方が楽かな?まだ痛いでしょう」
「慣れているなんて、それはいけません!」
「え?」

痛みを尋ねられているのに見当違いな声を返すと、この人は瞳を今度こそまん丸くした。
「あなたが座って下さらないと、どうも落ち着かなくて・・・あの、なので、座って下さいませんか」

先刻まで自分が腰掛けていた椅子を揃えた指の手の平で示すと、この人は嬉しそうに微笑んだ。
「テギョンさんはジェントルなんですね」

その笑顔に思い出したように、今まで大人しかった心の臓がせり上がる。
いや、大人しかったというよりも、驚きの余り打つのを忘れていたのかもしれない。
期待も予想もしていなかった。まさか戻って来て下さるなんて。
「じぇんとる、ですか」

医官の言葉だろうか。私塾でも郷校でも教わった事がない。
聞いた事のないそれに首を傾げた俺に、この人は小さく舌を出すと
「紳士的・・・うーん、これも通じないかな?男らしくて優しいって意味です」

跳ね回るんじゃない、俺の心の臓は打つのを忘れてしまったように締め付けられて、しんと静まった。

苦しくて口を半分開けて、掌で胸を押さえる。

「テギョンさん?」

俺が卓向うのソンヨプの横へ腰掛けてから、先刻までの俺の椅子に腰掛け直したこの人が、心配そうに呼び掛ける。

「テギョンさん、大丈夫?」

俺は一度だけ頷くと、そのままふぅっと目を閉じた。

「テギョンさん!」

ああ、こんな時でもその声は優しいなあ。
まるでよく晴れた春の夕方のように薄暗くなっていく意識の底で、暢気にそんな事を考えながら。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    テギョンさん。
    気絶しちゃったわ(*_*)
    好きになった人の言葉は
    どんな言葉も心に響くよね(^^)
    ヨンの悋気が待ってるよー!

  • SECRET: 0
    PASS:
    あ~ぁ、やっぱり惚れちゃったのね。
    男なら、美人に優しい言葉をかけてもらうだけで
    舞い上がる!?
    あげくに、約束だからと、その美しい人が自分の怪我を心配して戻ってきてくれたし。
    ウンスは…、医者として気にしてくれてるだけなんだけれどね。

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