2016 再開祭 | 紫蘭・後篇

 

 

康安殿で火急の御呼びと伝えられ、鍛錬途中の奴らを置いて走った王様の私室。

息を整えつつ遣いの内官を睨むと、その男は身を縮めて申し訳なさに冷や汗をかいている。
この男が言ったから来たのだ。
迂達赤大護軍に王様より直々のお呼びです。
火急の御用との強い仰せ、私と共に来て頂けませんか。

内官を睨む俺に、壇上を守るチュンソクが困ったような視線を投げて寄越した。
周囲では内官長らが浮かれた様子で、御机の上に所狭しと様々な絵具を並べている。
「王様」

その後に如何続けて良いか判らずに、不躾な視線で玉座の御姿を凝視する。
一体俺は何の為にお呼びを受けたのか。火急の御用とは何なのか。

尊い方はこの眸の意味を重々お知りでありながら眉一つ動かさぬまま、涼しい顔で受け止めて頷かれた。
「楽にせよ、大護軍」

その合間にも内官らが並べる絵具は、図画署の絵師が用いるようなものとは格が違う。
内官長は静々と、大の男の腕にも一抱えはありそうな螺鈿細工の箱を運び込む。
蓋を開けた中から取り出される太細の筆、大小の絵具の皿、水盤。
ありとあらゆるこの世の美しい色を満遍なく集めたような色彩の顔料箱、見るからに重たげな銀の文鎮。
続いて御机の端に積まれる絵紙の束。

その様子を確かめつつ、階を下りて来られた王様へ伺いを立てる。
「一体」
「そなたの絵姿を描く」
「・・・・・・は?」
突然何を仰るのか。
しかし王様の中ではその唐突なお申出の辻褄が合っていると見える。
逆に俺の驚きように御目を眇めると、御機嫌を損ねたように低い御声で呟かれた。

「不満か」
「・・・いえ」
「では大人しくしておるが良い。動かれては書けぬ」
「某は」

全く辻褄が合わぬ。第一迂達赤兵舎では鍛錬の真最中だ。
奴らを置いて出て来た火急の御用が、俺の絵姿とは。
「鍛錬の途中故」
「隊長」
声の最中、王様は俺でなく壇上に控えたチュンソクを振り返る。

「はい、王様」
突然呼ばれたチュンソクは、壇上で一層姿勢を正した。
「大護軍を一二刻ほど、此処に留めて良いか」

その御声に奴は顔を強張らせ、即答を避ける。
俺の眸、王様の御目。二組の視線に晒されてはその反応も当然だろう。
王様を相手に否とはお答え出来ず、応じれば後で俺に申し訳が立たん。

しかし何故、突然俺をお描きになるなど思い立たれたのか。
元の禿魯花の頃より絵がお好きという事は知っている。
そして王妃媽媽をお相手に描かれるなら理解も出来る。

解せずに立ち尽くす俺の前、内官長の控えめな声がした。
「王様、絵具の用意が整いまして御座います」

 

*****

 

紙の上を滑る筆音だけが響く午後の康安殿。

それを操る主の王様が、御目を御手元の絵紙に落とされたまま小さな御声で呟かれた。
「王妃が、医仙と何やらお話になったようだ」
「は」

何処を拝見して良いか判らず、宙に視線を漂わせたまま頷く。
その姿に王様は御口の端を下げて笑まれた。
「女人同士の話故に詳しくは伺わなんだが、王妃に泣かれた」
「・・・王様」

如何に人払いしたとは言え、室内には内官長とチュンソクが居る。
王妃媽媽の外聞を憚るようなお話は避けるべきと、その御言葉を遮るように掛けた声に
「構わぬ。気心の知れた者しか居らぬからな」

王様の方が却って気楽なご様子で、杞憂の過ぎる俺に笑まれた。
「近頃医仙のご様子は如何だ」
「・・・それは」
単刀直入に問われて言い淀むと、
「どうやらそなたも、思い当たる節がありそうだな」
そんな訳知り顔の御声が戻る。

「王妃は医仙がお気の毒だと。かめらのない世で、婚儀の絵姿が残せぬからと嘆いておった」
「かめら」
「そなたも知らぬか」
「は」

今まで天界の言の葉は幾つか憶えたが、それは初耳だと首を捻る。
「王妃が申すには、こうしたものだと」
王様が握られた絵筆を御机に戻すと、御指で四角い枠を拵え竜顔の前に構えられた。

そのご様子を拝して思い出す。それならば見覚えがある。
あの方を連れて出奔した手裏房の酒楼。
毒に侵され冷たい手を握り、侍医に向かって焦りの余り声を荒げた。

こんな冷たい手ではない。いつもはもっと温かいのに。

そしてようやく起きられるようになったあの方が、今の王様のよう顔の前に指で枠を作って囁いた。
かしゃ。それは確かにそう聞こえた。

あの時は一体何をしておいでかと訝しく思ったが、あれがかめらという物か。
そんな経緯を御存知ない王様は、密やかな笑みを浮かべ御言葉を続けた。

「笑顔も思い出も、大切な物を全てそのまま残せるそうだ。絵師に頼る事なく、忘れたくない物をそのままの姿で残し続けられると」
「・・・大切な、物を・・・」

あの時の障子戸の光越しの、あの方の表情を思い出す。
今なら何とでも言える。無事だったから美しく思い出せる。

けれどあの時毒に侵されたあの方は、どんな思いでその四角い枠の向こうから、枠越しの俺を見ておられたのだろう。
どんな思いで、あの時小さな声でおっしゃったのだろう。

かしゃっ。

もしもあの光景が、あの方の記憶に留めたかった大切な物なら。
あの枠越しに覗いた俺が、あの方にとって忘れたくない者なら。

居ても立っても居られぬ思いで、思わず腰を上げる。
「王様、申し訳ありませんが」

その声に王様は満足げに頷くと、御机の上の絵紙を見詰め
「次回は医仙と共に来てくれ」
と嬉しそうな御声でおっしゃった。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    今晩は、ウンスに、聞きたい天門を、潜り両親に、逢いに行きたく無いのかと?心に、想う事が、大いに有るはず。勿論簡単に、行ける程近くでは無い 。が、心に、想う事が、無いとは言え無いはず。ヨンの側なら我慢も出来ると ??心の底で涙を流してる?のか?

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    王様のご配慮、うれしいです。
    輝いていた、あの日のヨンとウンスをご覧になられていた王様。
    王様なら、描けますね。
    先走り、お詫びいたします。

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