2016 再開祭 | 孟春 外伝・中篇

 

 

「大護軍様、医仙様、此方のお部屋をお使い下さいませ」

侍官の先導で通された部屋の中、俺は無言でその顔を見る。
凝視された侍官は粗相でも仕出かしたかと不安気に、案内した部屋と俺の顔の間に視線を行き来させた。

「・・・大護軍様、何かご不満でも」
「これ程広い部屋でなくて良い」

さすがに王様の御部屋と行かなくとも、案内された部屋は主賓室の如き華美さだった。
居間には唐風の調度に豪勢な大卓、文机まで設えてある。
奥に続く寝室への扉は半ば開き、周囲に幾重にも紗を降ろした寝台の端が覗いていた。

「俺達は客ではない」
「そうおっしゃられましても・・・提調殿より、大護軍様と医仙様が御滞在の間は此方の間をお使い頂くように、命を受けております」

持成しは有り難い。提調にすれば開京に戻って王様への御報告の折、悪評が伝わる事を懼れてもいるだろう。
しかし温宮である以上、尚宮や歩哨の兵が宿直する小部屋が在るはずだ。
其処の一つに間借りできれば十分なものを。
第一この広さでは毎朝交換する寝台の敷布だけでも馬鹿にならぬ。
寒風に晒されながらそれを洗う尚宮の身にもなれ。

そう言おうと口を開きかけた処で、脇から細い指が袖を引く。
其方を見ればこの方が、大きな瞳で部屋内を確かめつつ
「ここに泊まるんじゃダメなの?」
と、頬を紅潮させながら尋ねた。

そうしたくないから侍官に無理を言っている。
広い部屋を使えばその分周囲の手を煩わせる。
滞在に費やされるのは、元を正せば民の税だ。

この方を諫めようとした処でその声を聞き付けた侍官が一足早く
「医仙様がお気に召せば幸いでございます。是非此方をお使い下さい」
と先手を打った。

「すごい、素敵なお部屋ですね。ちょっと見ても良いですか?」
この方は弾んだ声を上げ、侍官が頷くと同時に続きの寝室へ駆け込んで消える。
そしてその奥からはしゃいだ声で
「すごーい、プライベート温泉までついてるんですねー」
だの
「ベッドが大きーい!プリンセスベッド!」
だのと、意味の判らぬ天界の言葉だけが聞こえて来る。

侍官はその声の中、俺へと遠慮がちに視線を戻し
「大護軍様。医仙様にもお気に召して頂けたようですし、今回はどうか此方で」
と、阿るように言った。

あの方が部屋を気に入ったのは判った。
俺が一人無理を捏ねる格好になった事も。
孤立無援でもう何を言う気にもなれんと、渋面のまま顎で頷く。

侍官は奥の間のあの方以上に相好を崩し、ようやく安堵したように頭を下げる.
そして此方の気が変わる前にとばかりそそくさと部屋を後にした。

「ねえ、すごくステキよ?私、ここに・・・」

暢気な声の主が言いながら奥の間から戻って来る。
そこで独りで大卓に腰を下ろし無聊を託つ俺を見て、不思議そうに首を傾げる。

最初からこうなる事は判っていた。
だから来たくもなかったし、王様の御厚情を承るだけでも気が進まなかった。
「ヨンア、さっきの人は?」

あなたの喜ぶ声が追い払いました。
そんな皮肉を咽喉元でどうにか押さえ、俺は無言で頭を振った。
邪魔者の去った後の部屋の中、あなたは卓まで駆け寄るとこの掌を握って立ち上がらせる。

「ねえねえ、ちょっと来てみて。本当にすごくステキなの。もし出来たら、私この部屋に泊まりたいなあ」

そう言いながら小さな手に牽かれ、続きの間に一歩踏み入る。
入って右手壁の一面には、丸く切られ桟を張った胡窓が並ぶ。
左手の壁際には先般扉から端だけが見えた寝台が据えてある。
そして正面の壁には扉が立てられていた。
あなたはその扉を指すと
「あの扉の奥にお風呂があるの。すごいの。岩風呂よ?前に雑誌で見た日本の露天風呂みたい。
プライベート温泉付のスイートルームなんて、そうそう泊まるチャンスもないし」

興奮しているのは判る。本心から此処に滞在したいのだろう。
天界語だらけで捲し立てると、あなたの瞳が俺を見上げる。
「ヨンアは、いや?ここに泊まっちゃダメ?」

今更否ですとお伝えしても既に遅いだろうに。
諦念の境地の口許でどうにか笑みを浮かべ、俺はこの方へ呟いた。

「お好きに」

 

*****

 

「待て」

大卓の上に並ぶ馳走の列は途切れる事を知らぬのか。
金の燭台に燈した蝋燭灯りの中、入れ替わり立ち代わり盆を運ぶ尚宮に呼び掛ける。
その配膳の列の内の一人が足を止め、恭しく頭を下げた。

「はい、大護軍様」
「これは」
「夕饌にございます」
「・・・全員が同じ物を喰うのか」
「とんでもない事でございます」

そうだろう。今ざっと卓上に眸を走らせただけでもそれは判る。
毎度これ程の量を拵えているなら、尚宮らは寝る暇もなく朝から晩まで厨に立ち続ける破目になる。
呼び止めた尚宮は言い訳するように早口で言った。
「提調様と侍官長様より御二人の御滞在中の献立をお預かりしておりますので、それに従って」
「見せろ」
「・・・え」

突拍子もない頼みに、恭しく下げていた尚宮の頭が跳ね起きた。
「その献立を」
「・・・そ、れは、大護軍様・・・」

若年の頃の尚宮はどう返答すれば良いのか判らぬ様子で、睨む俺の視線に耳まで真赤に染め上げる。
その様子を目敏く見つけた年嵩の尚宮が盆の上の皿を卓へ載せると
「失礼致します。大護軍様」

そう言いながら俺に寄り、盆を持たぬ空いた手を先刻の尚宮へ追い払うように振る。
若い尚宮は渡りに船とばかり逃げると思いきや心残りな様子で、愚図愚図と立ち尽くしている。
年嵩の尚宮が痺れを切らしたように
「厨へ戻れ」
と低く指図すると、若い尚宮はようやく頷き名残惜し気に立ち去って行く。

そして俺のこの方は鼻の頭に皺を寄せて紅い下唇を前歯で押さえ、若い尚宮の背中を無言で見送う。
・・・この重苦しい、妙な空気は何だ。
卓前のこの方も無言、立ち去った尚宮も無言。
そしてその二人を交互に視線だけで確かめる年嵩の尚宮も無言。

だから女人は面倒なのだ。その肚裡が全く読めぬ。
あの火女のように面と向かって攻撃を仕掛けるならいざ知らず、黙って視線だけで牽制しあう駆け引きは男にはない。

気を取り直して年嵩の尚宮に向き直り
「この夕餉は困る」
卓を示す俺の指先を尚宮が追った。

「何か、お嫌いなものでも」
「そうではない」
「では・・・」

年配から言っても、この尚宮が恐らく温宮の尚宮長なのだろう。
何処か叔母上に少し似た機敏そうな尚宮なら多少は話が通じそうだと、一先ず交渉に出る。

「こんな持成しは止めろ」
「そうは参りませぬ」
一言の許に却下されるのも計算のうちだ。ますます叔母上によく似ている。

「役目だ。美食を愉しみに来た訳ではない」
「私共も、上の方々より役目を仰せつかっております」
「ならば兵に出せ。温宮守る要だ」
「その兵長からも厳重に申し付かっております。大護軍様が御滞在の間は、最高のお持成しをするようにと」

開いた口が塞がらず、俺は無言で立ち尽くす。
一体温宮というのはどれ程の閑職なのか。
俺達如きの訪いに刻を割き、気を廻すほど暇なのか。

明日はまずその兵長とやらに会わねばならぬ。
しかし今の火急の用は、こんな馬鹿げた大量の皿を運ばせぬ事だ。

「明日から飯は作るな」
その声に椅子に腰かけていたこの方が音を立てて立ち上がる。
「出されても喰わん。無駄になる食材は国庫からのものだ」
「大護軍様」
「水刺尚宮なら、意味は判るな」
「・・・はい」

国の材を無駄にし、作った料理を無駄にし。
役目に忠実なら忠実な程、それは我慢辛抱ならぬだろう。
「皆と同じ物を、食堂で喰う」

断固とした声の調子にこの方もそして尚宮も、承服し難いと言わぬばかりの表情で無言で項垂れた。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    ウンスからしたら
    リゾートへ来たみたいな♥
    お仕事ですが…
    ちょっとウキウキしちゃうわね
    食事は… 王族扱いのごちそうだったのね??
    そりゃ いくらなんでも
    贅沢すぎでダメだわー ダメだわー

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    視察などのために来ただけのはず…でも、
    あの大護軍ヨン様と、医仙ウンス様がきてくれたってことが、名誉…のような気分?
    ウンスは、高麗の税ということの仕組みが、まだ、分かっていないのかも。
    贅沢をしたい…というより、この高麗へ来て、こんな美しいところで、ヨンと休んでみたい…って感じかな。
    ヨンには迷惑な、華美で贅沢な諸々…
    ウンスには、物珍らしさというか、興味津々…なだけなのだと思うけれど。

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    王様の気遣いは有り難いけど…
    こうなる予想はしてたから
    ヨンにすれば辛いですね(^^;
    相変わらずウンスは
    有頂天~(^-^;

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