2016 再開祭 | 紫羅欄花・拾

 

 

「明日から暫し、休暇を賜りました」

そしてこの方の居らぬ宅で、一人で時を過ごす訳だ。
乾いた声に、この心を知らぬあなたが安堵したように頷く。

「良かった。じゃあしばらくはゆっくり休めるのね」
「何かあればテマンに伝えて下さい」
「いいわよ。テマンも少し休ませてあげないと」
「判りました」

向かい合って、どちらからともなく他人行儀に目を逸らす。
「じゃあ、お休み前に診ておきましょ。来て?」

そう言って俺の脇を抜け、この方が裏扉を開けて出て行く。
反論する気すら起きず、続いてその扉から部屋外へ抜ける。

診察部屋の寝台の一つを指すと、この方は横の椅子へと腰を下ろす。
指された寝台に横になりこの方が衣の上から腹を圧すのに身を任す。

開いたままの診察部屋の扉外の雨は止まない。
其処から湿った冷たい風が、部屋の中へと吹き込んで来る。

その風に小さく揺れる灯の中で、小さな手が腹を行き来する。

あの頃こんな衣越しでなく、俺の肌の上を悪戯に飛び跳ねて遊ぶ櫻貝のような爪先を握り締め、幾度も大人しくさせた。
あなたは囚われたのに微笑んで、甘えるように胸に頬を寄せた。

痛くしないで。怖い。

囁かれて申し訳なさに指を緩めると、細い指が俺の頬を撫でた。
堪らずにきつく腕で囲えば、亜麻色の髪が鼻先を擽った。

一生離さないと誓った。たとえ何があろうと、一生護るのだと。

「うーん。上腹部が張ってるわね。ちょっと起きてみてくれる?」
その言葉に従い、寝台の上で半身を起こす。
この方はそのまま背後から俺の両肩を揉むようにして確かめ
「肩もこってるしね・・・単なる疲れだったらよく眠って、規則正しく食事すれば治ると思うけど、眠れないのよね?」

そう言ってこの顔の正面へと回り込む。
小さな両手で俺の両頬に添え、優しい指が幾度も撫でる。
「特に皮膚が乾燥したとかもなさそうね。体重がガクンと落ちたって感じは?衣のベル・・・帯が急に緩くなったとか?」
「いえ」
「吐き気や寝汗は?お腹が緩くなったりは?」
「・・・いえ」
「食欲があるけど食べる時間がない?それとも食べたくない?」
「食べる気になれず」
「ちょっとだけ、舌を見せてくれる?口開けて」

こんな風に、四診を受ける事になるなど。
この方はいつでも俺の横に居た。
何も語らず、そして問わずとも、この体の事を誰よりも御存知だった。

役目の終わりと共に迎えに来れば、何よりもまず先にこの懐に走り寄った。
細い指で俺の頬を撫で、額に触れ、頸を確かめ、手首の血脈を探ってくれた。

それは俺の体を、そして心を、ずっと支えてくれたのに。

「うーん。ほんとにあなたにしては珍しい。私は詳しくないけど・・・あの呼吸法。座禅組むの。今もしてる?」
「・・・いえ、最近は」
「した方が良いのかもしれない。心が楽になるならね。これ、精神的なストレスだと思うわ。
脳・・・頭が、疲れちゃってるの。それが原因。柴胡加竜骨牡蛎湯にしようかな」

つまりは思い悩むなという事か。頭を空にしろ、雑念を捨てろと。
全て無かった事に出来れば、楽になれるという事か。

「・・・イムジャ」
「なあに?」

告げたい言葉が、咽喉に詰まっている。
どう伝えてもあなたに真直ぐに伝わるとは思えない。それでも。

「雨が酷い」
「うん、もうすぐ梅雨明けかも。こんな雨の中、来てくれてありがとう」
「雨が、酷い」
「・・・うん。そう、ね?」

繰り返す声に、この方の瞳が開け放つ扉外を確かめる。
「止むまで、此処に居て良いですか」
下手な言い訳に、ようやく気付いたあなたが明るく笑んだ。
「もちろん。お茶持ってきてあげる。ついでに薬もオーダーして来るから、ちょっと待ってて」

そう言って椅子を立ったあなたの、細い手首を掴まえる。
「この頭よりも、あなたの心は疲れていた」
「ストレスへの耐性には個人差があるわ。どっちがつらいなんて、比較することは出来ないの」

手首を握る手を解こうとする指先を無視して、あなたの瞳だけを見る。
「心を守れなかった。護っているつもりで」
「うん。そうだった。でももう良いの」
「良くはない」

良くはない。何も良くない。
「同じ過ちばかりだ。あの時も言われたのに」

体だけじゃなく、心も守って。確かにそう言われたのに。

俺にとっては体が無事なら、命さえあれば心は後でも慈しめると思える。
傷を癒す機会はある、傷ついた心ごと抱き締められると思えてしまう。
生きてさえいれば良い。そうすればやり直せる。その機会は必ず在る。
遅すぎる事など無いと。

しかしこの方は違った。
あの天界の一言の中には、淋しさも悲しみも辛さも含まれていた。
独りで安全な場所に逃がすのではなく、危地を共に超える事も意味していた。
教えてくれた言の葉に、そんな意味まで付き纏うとは思ってもみなかった。

「今宵だけでも良い」
細い手首を掴んだまま、あなたの瞳に懇願する。

言わねばならぬ事は多過ぎるのに、こうして握るだけで温かい掌。
錯覚でも良い。一晩で良いから、このままでいたい。
話さねばならぬ事がある。
「今宵だけ、話がしたい」
「これから?」
「はい」

その空いた手がこの頬を撫で、額を確かめ、頸に触れ、そして手首の血脈を探る。
暫く瞳を閉じ無言で脈を取った後
「分かった。じゃあ、特別に雨宿りさせてあげる」

あなたはそう言って、そのまま俺の手を引いて寝台を立たせた。

 

 

 

 

13 件のコメント

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    さらんさん、おはヨンございます!
    正しいと思ってしていた事が誤りだった
    信じて疑わなかった事が目の前を通り抜けて行った
    「体だけじゃない、心も護って」
    そんなに深い思いがあるとは汲み取れなかったよね。
    ヨンの想いを伝えるチャンス!
    雨が味方してるかな。
    今夜ちゃんと想いや気持ちを伝えて、しっかり話してくださいね~!

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    今日も胸が痛い~!ヨンはどうすればいいのかわからないんだろうな、、。お互い大切なのはわかってる。けど、ウンスが同じように黙って、無視して、無理して何かをしたらヨンは絶対怒るでしょー!自分はしていいのかー!心を守ってないぞー!それは蚊帳の外って言うんだぞー!さらんさんが書いてるままですけど、、。(笑)どうやって分かり合っていくのか。続きが待ち遠しいです。

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    ふぅ~~~
    緊張する……
    さらんさん、どうしましょう……
    緊張し過ぎて、今日一日どうやって過ごそう
    さらんさ~~ん

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    あ~胸が締め付けられる
    ヨンの後悔 こうなった今でも伝えたい事
    そして一部の望み
    氷が溶けるように
    ウンスの気持ちも溶けますように

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    女性は思い切って腹を決めてしまうと未練も断ち切ってしまうと思います…
    ウンスも今そんな状態かなあ?
    ヨンの思い、言の葉はウンスの琴線に触れるかなあ…
    口下手でも、心がこもって入れば届きますよね~
    ヨンへの愛情が無くなった訳ではないですものね?
    ウンスの心が疲れ切ってしまって自分を守る為の結論ですもの。
    ヨンは自分が傷付けたら、その分自分が必ず癒やしてみせるって思ってましたものね~
    早くお互いの心が寄り添えると良いですね!
    これを二人で乗り越えられたら、固い固い絆になるでしょうから…
    毎回 二人が早く寄り添えるように願ながら、切なく読んでいますp(´⌒`q)

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    おはようございます。
    辛い~辛すぎる(T ^ T)
    この2人がこんな風に心のすれ違いが起こるなんて、耐え難いです。
    早く仲直りしてくださいませ。

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    ヨン!
    思いが溢れているのにうまく言葉にできない口下手なヨン。
    きっとウンスに気持ちが伝わるから、がんばれ~!
    …ウンスぅ~そろそろ許してあげてぇ~

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    あのまま、ヨンが帰ってしまうのかなぁ?と思っていたので良かったです(^^)
    ヨンとウンス。
    この二人が離れるなんて
    天と地がひっくり返っても
    有り得ないと思ってます(^^)
    早く元の二人に戻ってね❤

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    ん…^_^;
    俯く頭も、俯く心も…握った手から伝わる気持ちも。
    全部が全部、伝わらなくても…
    年上女房様…
    貴女の旦那様…(¨;)
    俺様のお方…貴女に逢えてようやく心が生まれた御仁です。(;>_<;)
    貴女の気持ちが、心が伝わる迄、長く時をお互いに費やす時間が必要です…ね。くくってはいけない言葉ですが
    言い表すと。(;>_<;)
    しょうがないなぁ…(ー。ー#)
    結局。心配せずにはいられないし、ほっとけない。(⌒‐⌒)
    元通りにはならない。二人らしい新しい形になるから…逃げないでね。^_^;

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    ウンス もう心が固まってしまったのかな?
    凄く割り切って落ち着いてる感じ。
    ヨンはどうやってウンスの心を溶かしていくのでしょう。
    今回は予想だにしなかった展開でドキドキです。
    時間が待ち遠しくてたまりませんf^_^;

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