「隊長」
典医寺の庭、小さく声を掛けると麒麟鎧の歩が止まる。
声は返らずとも、何処かへ去って行くおつもりはないらしい。
そう考えながら傍へ寄る。
「・・・あの方は」
「はい」
「今も魘されるか」
「いえ、お元気です」
「振りでなく」
「ええ、元気な振りではなく」
「そうか」
春の庭、そこから臨む皇庭の櫻へと眼を遣りながら隊長は頷いた。
「良かった」
「結局、中医は隊長だったという事です」
「中医」
首を傾げ、櫻を見ていた視線が鎧の肩越しに私へ振り返る。
「小品方か」
「・・・ああ、私は孫思の千金方で学びましたが」
「医書だろ。俺には判らん」
武士が小品方を御存知と言う方が驚かれるというところに思い至らぬのが、いかにも有数の文官貴族崔氏の御嫡男らしい。
薄く笑った私をどう誤解されたのか。
隊長はその眉間に不穏な気配を漂わせながら、鎧を着けた体ごと此方へと向き直った。
「侍医」
「はい、隊長」
「何故取り持つ」
「・・・何をですか、隊長」
判っている。
何故医仙とあなたの仲を取り持つのだとお尋ねになっていらっしゃることは。
だから誤解しないでほしい。
私はもうとうに、この手から解き放った想いがある。
そしてあの方にはまだ教えて差し上げたい事がある。
人を癒す事。死と向き合う事。そして最後まで決して諦めない事。
足りないなら見つければ良い。楽になるなら話せば良い。
あの時あなたが諦めず隊長へ向かわれたように、必死に助けようとされたように、今の私はこの御二人のためにここにいる。
名の記された医簿を持たない隊長が医仙の中医となったように、この隊長は医仙にしか診られない患者なのだ。
あの方だけが隊長の心を癒し安らがせ、病を治せる医官なのだ。
その為にはお互いに半歩ずつ、歩み寄り続けねばならない。
怖くとも。何が起きるか判らなくとも。
空とぼけた私の返答に苛つくように一歩大きく踏み出した隊長の頭の先が、伸びた梅の枝を掠める。
「邪魔だな」
気勢を削がれた隊長は舌を打ち、その枝を大きな掌で乱暴に払う。
「お止めください。夏には梅が実ります。大切な薬木ですから」
「伐れよ」
「実が終われば伐ります。隊長も御存知でしょう」
私が低く笑うと、その顎が頷く。
「梅は伐るから強くなり、枝葉が次々伸びて来るのです。実りも良くなります」
「ああ」
「そして櫻は」
先程まで隊長が見ていた遠景の櫻へと眼を伸ばし、噛んで含むようにゆっくりとお伝えする。
「伐れば終いです。そこから木腐れし枝も伸びず、花どころか木ごと一本丸々駄目になる」
「ああ」
私の声に、隊長が不思議な声で問う。
「何故俺という枝を伐らん」
「隊長」
「梅の木は伐るから伸びるんだろう。俺という枝を払えば良い」
「・・・何の為にですか」
「お前の梅花を咲かせて、良い実をつける為に」
結局そうしている誤解していらっしゃるわけだ。この方は。
誤解などではないのかもしれない。
それでももうこの手の中にも心の中にも、そんな想いは残っていない。
「隊長」
「何だ」
「ならば何故あなたは、櫻の枝を伐ろうとするのですか」
「・・・何の事だ」
「伐れば終いと判っているのに、立ち枯れると御存知の筈なのに、何故伐ろうとなどされたのですか」
「煩い」
「伐らずにいらして正解です」
聞くに堪えぬと思われたのか、隊長は大きく息を吐くと踵を返す。
「梅伐らぬ馬鹿に言われたくない」
最後に吐き捨てる隊長に、心の中で苦く笑ってお伝えする。
私こそ、櫻伐る馬鹿には言われたくありません。
たとえ振り上げたその鉈を、振り下ろせないと信じてはいても。
私も今回は肝が冷えたのです。これくらいの雑言は許してほしい。
日増しに暖かくなって行く春の風も、櫻花を散らすには早い。
薄桃の雲のような満開の花を抱き、遠景の櫻が優しく揺れる。
あの櫻花が散る頃には、お二人はもう少し近寄れるだろうか。
それだけを祈りながら診察棟へ戻る途を歩き出す。
戻れば鼠取りの罠を仕掛けねばならない。
すぐに何でも大袈裟に捉えてしまう、意地張りの天の方の為に。
そしてその方が元気でないとご自身が病に罹ってしまいそうな、庭を遠ざかって行く麒麟鎧の方の為に。
*****
「隊長!」
チュンソクと共に午後の鍛錬の手筈を整える俺に向け、迂達赤の数人が駆けて来る。
「何だ」
呼んでおきながら奴らはしばらく顔を見合わせ、聞きづらそうに互いを伺う。
「何だよ」
苛りとして重ねて尋ねると、決意したかのようにトルベが一歩俺に寄る。
「嘘ですよね」
「何が」
「典医寺で医仙と抱き合っていらしたなんて、嘘ですよね」
「・・・・・・」
「ほ、本当なんですか隊長!」
頭が、痛い。
「トクマニ」
低く呼ぶと吹抜を忍び足で抜け出ようとしていたトクマンが雷に打たれたように体を震わせ、その場で足を止める。
「誰に、何を言った」
「言っていません、隊長!」
慌てて首を振りながら奴は訴えかけるように言った。
「聞かれたんです。迂達赤隊長が医仙と典医寺で密会しているのは真かと。それで、それは嘘だと答えました。
俺達の隊長は、そんな公私混同をする方じゃないと」
トクマンの言葉に周囲の迂達赤の奴らが激しく頷く。
それに勇気づけられたか、トクマンは決意したように顔を上げた。
「ただ隊長は王命で、医仙をしっかり守っているだけだと。だから必要なら早朝だろうと深夜だろうと医仙のお側にいると。
診察部屋だろうと寝所だろうと入るし、危なければ抱き上げても守ると。それは護衛で、決して密会などの私的なものではないと」
その瞬間に見舞った蹴りを膝裏に受けて、トクマンの長身が吹抜の土床に頽れる。
其処にいる全員が、庇う事もなくそれぞれの首を振った。
「お前、喋り過ぎだ」
チュンソクが土床のトクマンへ手を貸して起こす。
「真か嘘かそれだけで良いものを」
チュソクがそう言いながら、トクマンの頭を叩く。
「お前のいい加減な噂に尾ひれがついたんだぞ!それで隊長の面目が潰れたらどうするつもりだ、馬鹿野郎!」
トルベが頭を抑えたトクマンに向け、踏み込みながらそう凄む。
他の迂達赤の奴らも頷き、トクマンは困り果てて俺を見る。
「まずかったですか、隊長」
「考えろ」
そう残し吹抜を抜ける俺を、その場の全員が頭を下げて送る。
午後の鍛錬でゆっくりと己の咎を省みれば良い、トクマン。
時間なら腐るほどあるはずだ。明日から眠る暇も与えん。
昼は典医寺の守り、夕は鍛錬、夜は王様の康安殿の歩哨を。
そのつまらん口が回らなくなるまで、鍛え上げてやる。
*****
「・・・ア」
春の午睡の中に、呼びかける声を聞く。
「・・・ヨンア」
呼びながらこの額にかかる髪を優しく掻き上げる、温かく細い指。
このままもう少しだけ寝た振りを続けたい。
春の櫻の舞い散る中、とても懐かしい夢を見たような気がする。
懐かしい笑顔に久々に会い、声を聴けた気がする。
春の陽射しの下であなたの細い指が、俺の髪を滑る。
そこから額へと下り、そして鼻を辿り、唇を優しく撫で、最後にこの左眉へと戻る。
そこにある傷を幾度も愛おしそうに確かめるあなたの指が伝えている。
こうして逢える。また逢える。伐らぬ限り、諦めぬ限り。
何処までも命を繋ぎ、こうして春の終わりに散っても、来年の春また見事に開く櫻花のように。
その櫻を伐るなと教えた、あの朋の声。
俺とこの方が咲き続けるよう祈った、朋達の笑顔。
その梅伐らぬ馬鹿共の為に俺は死なん。そして必ずこの方を護る。
二度と命を無駄にはしません。だから泣かないで下さい。
あの夜にこの方の瞳と涙に誓った約束は、最期まで守る。
仕方なかろう、知らなかったのだ。
命を捨てて守る事と、命を重んじながら護る事の違いを。
あなたを己の命よりも大切に思った時、あなたもまた己の命より俺の事を大切に思ってくれるなど。
だから俺の為に決して死ねぬと、思って下さる事など。
あなたが俺の為に生きる、幾度でも戻ると誓って下さるように。
俺もあなたの為に生きる、そして幾度でもあなたの許へと戻る。
暖かい春の午後、縁側での嘘寝入り。
あなたの小さな膝枕が心地良いから、眸は開けられん。
顔を辿る細い指先がこそばゆくても。
そろそろ気付いたあなたが、俺の顔を覗き込む気配がする。
傾けた長い亜麻色の髪から、庭のどの花より春の香がする。
「ヨンア・・・起きてる?」
柔らかい髪、温かい息が頬をくすぐる。
「・・・いえ」
眸は閉じたまま、もう暫し。
足りないところを補い合うのが真のぱあとなあならば。
俺はいつもあなたが足りない。どれ程抱き締めようと傍にいようと。
誰の目も届かぬ処など、婚儀を挙げた後も滅多に見つからん。
櫻の許で、今暫し。俺の返事にこの方が、楽しそうに噴き出した。
【 春花摘・終章 桜伐る馬鹿 梅伐らぬ馬鹿 ~ Fin ~ 】

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

SECRET: 0
PASS:
侍医も素晴らしい同志だったのよね~
ウンスとヨンが お互いに必要な存在だって
見抜く洞察力で 自分の役割についてもちゃんと
わかってたのね~
もっと 生きていて欲しかったな~
2人の良きアドバイザーとして
でも 侍医の死で 二人とも強くなったってのも
ありますね。
トクマン… 一言余計だわ… (゚_゚i)
アンポン~
SECRET: 0
PASS:
春花摘・・ありがとうございました。
毎日の慌ただしい生活の中、サランさんの「春花摘」のお話のおかげで、心も体も春いっぱいな気持ちになれました。
ヨンが、「櫻伐る馬鹿」にならないように心配りをしてくれていた侍医。
自分とウンスが、心では共に相手を求めていることを打ち消すように、朋友侍医に対して「梅伐らぬ馬鹿」と、声をかけるヨン。
この二人の男の仲、ドラマでも好きでした。
ヨンとウンスが互いに歩み寄り、櫻が咲き続けるよう祈った朋達は、今、櫻の舞い散る中、ウンスに膝枕してもらっているヨンの笑顔に安心していることでしょう。
「ヨンア・・・起きてる?」
「・・・いえ。」
季節に負けないくらい、優しい気持ちになれました。
SECRET: 0
PASS:
さらんさま
お伝えしたい感想も、気持ちもたくさんたくさんありますが。
一言だけ・・・
ヨンを幸せにしてくれてありがとうございます。
ヨンが幸せで、私も幸せです。
さらんさんにヨンの声が聞こえてくる時間が、少しでも長く続いてくれることを祈らずにはいられません。
あなたがいてくれて、あなたのお話を読ませていただけて・・・幸せです。
明日は顔を腫らして出勤です。
ありがとうございました。
SECRET: 0
PASS:
さらんさんこんばんは。
ウンスの膝枕で懐かしい夢を見ていたのですね。
侍医の気持ちもヨンは気付いていた。
そしてヨンの気持ちも勿論侍医はわかっていた。
でもウンスに止められない気持ちを抱き始めたヨンと
ウンスをヨンを見守る事で医術を極めたい気持ちが勝った侍医の心の内
ウンスを思う二人の男のやりとりとても面白かったです。
トクマンが言いすぎたお陰でヨンとはウンスの噂が一気に広まったんですね~
ニヤニヤしちゃう❤️
命を捨ててでもウンスを護る
自分の命を護りつつウンスも護る
いかに後者が難しい事なのかやっと気付いたのですね。
愛する人が出来たら一生側に護る為にも、その人を悲しませない為にも命を落とすわけには行かないですもん。
それに気付いたヨンはきっと今まで以上に強いんでしょうね。
そんな鬼神ヨンも暫しウンスの膝の上で午睡とは❤️
本物の花の匂いよりも
惹かれるのはウンスから漂う花の香り
懐かしい夢見だったようですし、寝たフリと分かってるウンスの膝枕でそのままでいたいですね~
SECRET: 0
PASS:
幾度でもあなたの許へと戻る…。
本当にヨンとウンスならどの時代に生きても必ずお互いを見つけて一緒になるんだろうな、うらやましい(*^^*)
SECRET: 0
PASS:
さらん様
ウンスの膝枕で見た夢だったんですね。
チャン侍医、チュソク、トルベ・・・皆がいた頃の。
なんだかちょっとだけ泣いてしまいました。
それにしてもヨンの狸寝入りがかわいい(≧▽≦)
「俺はいつもあなたが足りない」って・・・。
あんなに独り占めしてても、まだまだ足りないんですね。
言われてみたいわ(//∇//)
SECRET: 0
PASS:
あ~~夢だったんですね(^^)
ウンスの膝枕で、懐かしい人達に
会えたヨン。
よかったですね!
そして、皆さまへ~の記事で
このお話が、画像ヨンスペシャルの
布石だったとは?
流石さらんさん素敵です❤
今夜からお話をUPしてくださるんですね。嬉しいです❤
楽しみにお待ちしております♪
SECRET: 0
PASS:
さらんさん♥
春爛漫の時季を迎え、素敵なお話の数々を
ありがとうございます。
気付くと、その人ばかりを見ている。
なぜか、好みが変わった…。
いつも話題に出て来る…。
当の本人よりも、端で見ているほうが
よくわかる…というのが、恋愛の初期かも
しれませんね。
誰かに肩を押されなければ
一歩が踏み出せない純情な二人…。
まさか、本物の鼠が取り持つなんて(^_^;)。
それにしても、チャン侍医は個性的で
魅力のあるキャラでしたね…。
あの時に無念の死を遂げてしまったのが
つくづく残念です。
さらんさん、この週末は休めましたか?
もしや、さらんさんもお仕事?!
(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾ああん、辛い~!
SECRET: 0
PASS:
春花摘終章とってもすてきなお話でした。
ちょっとほろ苦く、もどかしい頃の二人を思い出しますね。
縁の下の力持ち的な侍医がとっても頼もしい。
ヨンはウンスの膝枕でこんなすてきな夢を見れて妄想する私まで幸せな気分です。
さらん姉さんありがとうございます。