春花摘・終章 | 桜伐る馬鹿 梅伐らぬ馬鹿・序篇

 

 

【 桜伐る馬鹿 梅伐らぬ馬鹿 】

 

 

「伸びたな」

高い背の頭の先を掠める梅の枝を鬱陶しそうに大きな手で払い除け、麒麟鎧の隊長が典医寺の診察棟へ踏み込んだ。

三寒四温のこの時節、今日は朝から重い雲が垂れ籠めた空。
隊長はその薄鈍色の空が覗いた扉を後ろ手で静かに閉める。
「ええ。昨年枝を払いましたから」
「道理で」

春浅い典医寺の薬園の梅の木を窓から振り向き頷く横顔に
「わざわざ迂達赤から、梅見にいらっしゃったのですか」
意地悪く確かめると、隊長は声に詰まったようにこちらへ視線を遣り、一度強く唇を噛んだ後
「医仙は」

まるで賭けにでも負けたよう、悔し気にそう呟いた。
気にしていらっしゃるなら素直に認めれば宜しいものを。
私が咽喉奥で笑うと、本当に厭そうにその端正な横顔の視線で思い切り睨まれる。

「・・・お元気な、振りをしています」
「振りか」
「ええ。相変わらず夜は魘されていますから」
私の返答に息を吐くと、隊長は窓外に投げた視線を戻す。
「どうにかならんか」
「どうにか」
「話を聞くとか、薬を出すとか」
「そうですね」

隊長のおっしゃる通りだ。そして私自身があの折、医仙にお伝えした通りなのだ。
下医医病 中医医人
あれ程偉そうにあの方へお伝えしながら、私はあの頃目の前にいたこの隊長も救えなかった。
全てを諦めかけ、この世に戻って来るおつもりが無かった隊長をあの分厚い壁の中、底無しの凍った闇から救い出したのは医仙だ。

そして今、隊長を救って下さった医仙が目の前で苦しんでいても、まだ救えずに苛立っている。
誰よりも下医なのはこうして立ち尽くしている、何一つ出来ない己自身だ。

それでも諦める事など無い。それだけは、絶対に。
薬が判らねば幾晩眠れずに夜を明かそうと、必ず見つけてみせる。
話を聞いて楽になるなら、幾晩眠れぬ夜が続こうと聴いてみせる。

ただ、あの方は。

診察部屋の窓に寄りその窓枠に隠れるように身を凭れ、そこから外の気配に耳を澄まし、眼を光らせる隊長の姿を見る。

医者というのは不思議なものだ。勿論基礎があり、日々の研鑽を積み、経験がものをいう。
しかし医簿に名が載れば、医者になれるという訳ではない。
私が診るより話を聞くより、今あの方に必要なのは。その体を労わり心に積もる辛さを聞き、癒せるのは。

そこまで考えて首を振る。今はまだどちらもお認めにはならない。
目の前で息を殺し、窓外の気配を探っている隊長も。何もかも笑顔で誤魔化し、元気な振りをする医仙も。

「お茶でも」

尋ねる声に首を振り窓枠から体を起こすと隊長は黙って大股で扉へ歩み寄り、それを開いて出て行った。
鈍色の空の下少し肩を落とし、その頭の先で梅の枝を揺らしつつ、庭を横切り消えていく麒麟鎧の背。

誰よりも医仙にもう一度明るい太陽に戻って欲しいと望むのは、ああして一人去って行くあの人だ。

 

*****

 

俺が悪かったのだろう。
判っている、そんな事は誰に言われずとも。
今も俺が悪いのだろう。
医仙が笑わなくなったのも、魘されるのも。

帰してやりたい。もう十分だと思う。
これ以上この下界に居ても、あの方は苦しいばかりだ。
何処にいても耳に飛び込んで来た騒がしい声も、何処にいても見えていた春の陽のような笑顔も、もう見る影すらない。

あれ程苦しんでいる、そんな状況に叩き込んだのは己の所業だ。
帰すと誓いながら帰せず、火女たちに攫われる時すら守れずに。
その己の愚鈍さに、思わず固く眸を閉じる。
眉間に厳しい皺を刻んだままで、一つ一つを思い返し、頭の中でその目録を墨で塗り潰して行く。

天門。此処から飛び出た天界が総ての始まりだった。
拐し。絶対に塗り潰す事の出来ん事実だ。
王命。何の言い訳にもならんと塗り潰す。
約束。これだけは必ず果たすと目録に朱印をつける。

参理。最早眼中にないと真黒く塗り潰す。
奇轍。絶対に手出しはさせんと、そのまま大きく残す。
笛男、火女。見つければ容赦はせん。しかし奴らは蜥蜴の尾。頭である奇轍を潰せば良いだけだ。
塗り潰す事は出来んが、薄墨で潰すに留める。

こうすれば見える。何をすべきか、誰を片付けるか。
天門。拐し。約束。奇轍。簡単だ。
己の罪を償い約束を果たす為に奇轍を排除する。
目録の全てが黒く塗り潰されれば良い。

その目録に書かれていない言葉は見えぬものとして扱う。
知らぬものとして、頭の中から追い払えば良いのだろう。

あの声も笑顔も、天門の蒼白い光の向こうに去って行く事。
木陰に隠れてつつ後を追ってでも、守る必要が無くなる事。
どれ程離れても風に乗り、胸が締め付けられる程懐かしい花の香の漂う女人が、眸の前から消えてなくなる事。

どれ程この手を伸ばしても、もう掴めない。
声が嗄れる程名を呼んでも、もう逢えない。

それで良い。
その全てと引換えでも、あの方が再び何処かで笑えるのなら。

頭の中の目録に残った文字だけをもう一度刻み込み、眸を開ける。
この身の横、立て掛けていた鬼剣の柄を握り締め腰を上げる。

これ以上あの方の周囲に敵が増えぬうちに。
これ以上目録に余計な言葉が並ばぬうちに。
これ以上あの方が、この下界で苦しむ前に。
無駄な枝葉はさっさと伐り捨て、もう一度咲かせてやらなければ。

この眸の届かぬ場所で良い。その香を二度と感じられなくて良い。
ただ何処かで咲かせてほしい。あの明るい笑顔をもう一度。

 

 

 

 

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