医仙が隊長の名代に見張りに立つ若い迂達赤の兵と共に典医寺を飛び出し、そして手に凍傷と刀傷を負った隊長と共に翌明け典医寺へ戻って来た日。
お二人とも、何も言葉にする事は無い。
少なくとも私に、そしてご様子から察するに王様にも王妃媽媽にも。その日何故か早馬を駆り皇宮を飛び出たというチェ尚宮様にも。
それでもその夜、何かが起きた事は確実だ。
お二人は以前より半歩ずつ、お互いに歩み寄ったように見える。
お互いは半歩ずつでも、合わせれば一歩になるのだ。
そして皇宮で人の耳を塞ぐことも、人の口に戸を立てる事も誰にもできない。
隊長と医仙が皇庭の端の池の東屋で手を握り合っていたというのは、今や皇宮中の皆が知っている。
*****
「ねえ、チャン先生」
梅の季節は終わり、庭の向こうの皇庭には優しい色の櫻が満開だ。
寒さの苦手な医仙はようやく初めての開京の冬を超え、日増しに暖かくなる陽射しの当たる窓際で、勢い良く振り返った。
「どうなさいましたか」
「あのね、最近また・・・」
珍しくそこまで話して口籠り、医仙はそのまま窓外を眺める。
「見ないな、って思って」
「見ないとは、一体どなたを」
私の意地の悪さも堂に入ったものだ。
しかしこうして嗾けなければ、この意地張りのお二人はどちらも絶対に認めようとはしない。
目の前の笑う振りが上手なこの方。
王様や王妃媽媽の御前で初対面の徳成府院君に啖呵を切り、そして裏で足を縺れさせ冷や汗をかき震えていた方。
言葉が足りなさすぎる不器用な方。
いつでも物陰から守る事しか知らずに、それでも気配に顔を上げれば必ず医仙を守っていらっしゃる麒麟鎧の姿。
しかしたとえ天人と天下無双の武士とて、人を超えるものではない。
人は口にしなければ、相手に心は伝わらないのだ。
大切だと。大切だから、一緒にいたいと。
それを認めねば、ここから何一つ進んで行かないのだ。
一歩だけでは足りない。半歩ずつでも、寄って行かねばならない。
もしいつか離れ離れになるとしてもそれは互いが、そして周囲が全ての手を講じた後でならなければ。
そうでなければ互いが不幸になる。二度と逢えぬ天門を挟んで。
諦められず、事実を認められぬまま、何か出来たのではと悔いだけを残してしまう。
それは私の生き方にも、そして医官としての道にも反する。
無い薬なら作ってみせる。聞いて解決するならば聴く。
以前のこの方のように、あれが無いこれが無いと騒いだりはしない。
投げ出す事だけは絶対にない。何故なら。
「医仙」
「んー?」
そうして背伸びをして、春の窓越しに隊長を探すあなたが最初にこの目の前で見せて下さったではないですか。
心の止まった隊長の胸を押し息を吹き込んで、戻る気のなかったあの方の、確かに途切れた脈を動かしたではないですか。
今でも覚えている。あの時握って確かめた隊長の止まった手首の血脈が、もう一度拍動を始めた時を。
耳を近づけて確かめた隊長の口から、弱々しく温かい息が洩れたあの時、あなたの瞳から落ちた涙を。
諦めるなど、最もあなたらしくない。
薄汚れた策略に乗り、隊長も、そして私も愛したその真直ぐな瞳を、太陽のような明るさを、花のような笑みを忘れるのは愚かしい。
けれど私にはまだ残っている。あなたとの特別な絆が。
諦めない、最後まで。
無い薬なら作ってみせる。心が晴れるなら聴いてみせる。
高麗でのあなたの先輩医官として、あなたの中医になってみせる。
「悔しくはないですか」
「何、どうしたのチャン先生、突然?」
「奇轍たちの言いなりですか」
「・・・え?」
「大切な者を同じ目に遭わせるとでも言われましたか」
半分は当て推量、半分は扉の外から聞こえた寝言。
隊長が扉に立たなくなって以来、この方の寝所の近くで仮眠を取る私の耳に聞こえて来る苦し気な声の隙間に。
「大切じゃない」
「自分以外はどうでも」
「やるならやれば」
そして必ず、そこで飛び起きる気配がした。
もうひとつ、攫われた医仙と共に耳から血を流し典医寺で診た迂達赤の皆に聞いた話。
「あの白髪の笛男が笛を吹いたんです」
「確かに。聞き取れるか取れないかの音で、それでこの様だ」
彼らは痛そうに耳を押さえ、顔をしかめて口々に言った。
笛。出血。耳の中は診る限り爛れてもおらず傷も無い。
そしてこれ程血を流すとすれば、切れたのは外から見えぬ耳の奥。
そんな所を外から傷一つ付けずに切るなら、恐らくその笛使いは音功を操るのだ。
以前から幾度も医仙を襲っている紅い衣の女が火功を使い、手にしたもの全てを熱して投げつけるように。
初めて火使いの女に襲撃された時の医仙のご様子。
隊長が飛び出した後の典医寺の部屋の寝台の影に蹲り、歯の根も合わぬ声で何か不思議な事をおっしゃった。
恐らく天界語なのだろう、しかしあれは常人ではないでしょう、とそんな意味の事を、強張った顔で。
そんな内功遣い達に目の前で人を斬り殺され、それを無理矢理に見せられ続ければ。
そして大切な者を同じ目に遭わせると言われれば、常人ならば心が負けて当然だ。
そして手に傷を負った隊長と戻った医仙が、その夜から以前ほど苦し気に魘されないようになったのは。
隊長。あなたが戻った今、そしてお二人の間に佳き何かが起きた今。
私が守るべきはもう、目の前の医仙だけではない。
そしてこの方が、私に守って欲しいと願っているのは。
「私も及ばずながら、隊長を守ります」
その声に窓際からこちらを見たままの医仙の顔に赤みが差す。
「その大切な者とは、隊長と」
「・・・王妃媽媽とチャン先生。でもX-womanはチェ・ヨンさんをまず最初に殺すって」
こんな時なのに、思わず笑いそうになる。
一体どこまで嘘の下手な方なのだろうか。
ご自身でおっしゃっているではないですか。その挙げた名の内、誰より大切なのは隊長なのだと。
「私はここにおりますし、十分気を付けます。王妃媽媽にはその火功遣いは疎か、徳成府院君も容易には近づけません。ただ」
その時医仙の佇む窓際を、素早く横切る小さな黒い影。
「医仙、鼠が」
私が言った瞬間に、この視線を追った医仙が甲高い悲鳴を上げた。

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ぎゃ~
鼠! って それは巨大な鼠?
噂をすれば 現れちゃったかしら?
侍医も大変ね 双方にあの人を守って…
なんて 言われちゃあね
あ~ やってられない 気分でしょうが
どうも この二人 ほっておけないのよね~
侍医もお疲れ様です。 f^_^;
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チャン侍医も男前❗
素敵な殿方ですね(^^)
パートナー❤
この頃のヨンとウンスの関係が
ドラマを見ていても
微笑ましくて愉しかったです(^^)