不倶戴天 | 拾壱

 

 

月明りを頼りに夜を駆け、早朝に辿り着いた水州の入口。
減紫の暁の空の凍った月が、まだ雪を照らしている。
「どの寺だ」
「ヨンア」
チュホンの吐く白い息の中、そのまま寺へと向かおうとする俺を引き留めるよう、鋭い声でヒドが呼ぶ。
「一旦宿を取る。ついて来い」
「時間が無いんだ」
「来い」
「ヒド」

手綱を絞り己の跨る馬の脚向きを変え、先に立ったヒドが鞍上で振り返る。
そうだ、こんな顔で叱られたことがあった。

赤月隊の頃。
隊長に教わる雷功がうまく行かずに、倭寇を追い駆ける戦の合間、寝る刻を惜しんで運気調息と鍛錬を繰り返した頃。

寝ろ。
林中に張った野営の焚火の前、頭の上から敷物を被せられた。
時間がないんだ、ヒョン。怒鳴る俺をそのきつい眼で睨んだ。
無茶を通せば上達するか。襟首を掴まれ、そう低く諭された。
もう誰も失いたくないんだ。言い返した俺に、ヒドは言った。
今とそっくり同じ言葉を、同じ眼で。

「守りたいなら、まず休め」

お前が怪我をすれば皆が悲しむ。失いたくなくば己を律するのが先だ。
気を整え、あとは出来る事をしろ。背の後は家族に任せておけ。

相変わらず頑固だ。 俺の怒鳴り声など聞き入れられるわけもない。
「・・・判った」

今は暖かい焚火ではなく、白い月が俺達を照らす。
地に落ちる影は焔で揺れる事無く、雪の上に蒼く伸びる。
それでもその顔も、声も変わらない。
あの時と同じよう小さく顎で頷くと、ようやく馬上のヒドの眼が緩んだ。

 

*****

 

仮初の宿の部屋、ヒドは部屋に入るなり懐から蝋燭を取り出すとそれを灯して俺を残し、後ろ手に扉を閉めた。
互いに何を言う事も無い。この後はヒドの運気調息もある。
刻は迫る。無言のままその場に結跏趺坐を組み眸を閉じる。

深く吸い、丹田に溜めて細く吐き。
暗いのは明けやらぬ東の空か。それとも階段を下りて行く俺か。
一段、そしてまた一段。ゆっくりと踏み外さずに。

暗い。けれど寒くも淋しくも無い。
その先には白く温かく、優しい光が溢れているのを知っている。
一段、そしてまた一段。底の底まで踏み外さずに。

陽も月も雲も風も、木も石も山も海も、世界の全てが其処にある。

振り返る亜麻色の髪の後姿。鳶色の瞳。紅い唇が動く。

ヨンア。

またこうして逢えた。
体は暖かく軽く、もう息の音も聞こえず、ただ想う。
護りたい。護りたい。
こうして魂だけになっても、光の中のあなたを護りたい。

信じてる。行って。そして帰って来て。
私はここよ。ここで待ってる。

頷いて上がって行く。俺は此処にいる。
どれ程あなたが恋しいか、どれ程護りたいかを知った心を抱いて。
一段、そしてまた一段。急がずに踏み外さずに。

眸を開く。
灯した蝋燭の光が、揺らぎながら消えてゆく。
そして扉向こう今日初めての朝陽が、桟の隙間から眩く射し込んだ。

扉外を守りつつ、相変わらずと舌を巻く。
ヨンア。帰ってきた女人を連れ運気調息をするお主を守った、あの川べりを思い出す。

これ程に迷いなく気を整え、これ程揺らぎなく戻って来る。
噂にのみ聞く毒遣いの男に気を取られる事も、これから会う遍照に無駄な憂いを抱く事もなく。
出掛けに女人に暴言とも思える言葉を叩きつけ、それでも全く乱れなく。

信じている。そして信じられている。
ただ護ると闇雲に走るだけでなく、相手に良かれと突き放せるか。
そして相手がそれを知っていると信じるからこそ、口に出せるか。

お主は何処まで行くのだろう。
あの女人だけをその腕に抱きその背で庇い、何処まで高みを目指す。
あの山か、それともその上に光る空か。
東の山の稜線を染め始めた朝焼けに目を眇め、赤い空気の中で思う。

お主は何処まで流れるのだろう。
あの女人を護る為に自身の全てを捧げ、何処に辿り着けるのだろう。
あの川か、それともそれが注ぐ海原か。
木々の影に遮られながら朝日に輝く川面を眺め、川音に耳を澄ます。

ヨンア。 俺の弟はここまで成長し、俺達は皆変わった。
お主が、そしてあの女人が変えてくれた。
俺達の周囲にはまた人々が集っている。守らねばならん命がある。
隊長の言葉を胸に何処までも駆けるお主だからこそ。
そして唯一とその心が定めた女人を護るお主だからこそ、お主ら二人だけは護る。

嵌めた鋼の手甲の紐を解き、ゆるゆる外し懐へ落とす。

護る部屋内、お主の気配が戻る。
扉の隙間から漏れる気配を探るまでもない。
今のお主の気の前では、夜の山道で遭う虎も避けて行くだろう。
山の王とて無駄死にはしたくなかろうからな。

山の稜線を白く照らす朝陽に、目を細めて立ち上がる。

俺も整えねばならん。まずはお主の足手纏いにならぬように。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    ウンスの為に…
    で これほど強くなれるって スゴイのね
    ここまで 変えた ウンスもまた スゴイ存在ね
    ヒドヒョンだって こうして 変わってきてるでしょ
    だって 家族だもん!

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    いよいよ遍照に会うのですね。歴史上のあの方ですね。
    物語が動き出しました。何かドキドキします。
    どんな出会い方をするのか楽しみです。

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