「ウンス殿とも話していました。傷は完全に塞がったと。
この後の処遇について、チェ・ヨン殿にご相談したいとおっしゃっていまいたが」
振り向いた視線で俺を捉え、侍医は静かに告げた。
「お話はされましたか」
「皇宮の離れの殿に移す」
「・・・皇宮内に置くのですか」
侍医の声に一瞬の躊躇が混じるのを聞く。
それでも伝えねばならん。この男が妙な気を起こす前に。
「ああ」
「外からの侵入を一切遮断する道をお選びになりますか」
「飼い殺すには仕方ない」
「この後の訓練は相当長く続きそうです。今は寝台から立ち上がるにも、苦労している有様ですから」
「これだけ長く寝ていればな」
「ええ」
良い頃合いに茶葉が開いたのだろう。
侍医は一旦言葉を切り二つの茶器を盆へ乗せ、向かい合わせの椅子を据えた卓へゆったりした足取りで戻って来た。
卓向うから差し出された茶器から上る湯気越し、侍医の面に特別な乱れは見て取れん。
だからと言ってその肚裡は読めん。
名分の為に全てを押し殺し機会を伺うのは、この男も相当得意そうだ。
「私はもう良いのです」
己を見詰める此方の肚を読んだか。
口元に薄い笑みを浮かべて、奴は先に口を開いた。
「チェ・ヨン殿とウンス殿に教わりました。たとえ殺そうとも、喪った大切な人が戻るわけではない。
正々堂々と次に逢いたい。だから腕一本で我慢しましょう。但し、赦すつもりはありません」
「そうか」
本心かどうかは判らん。問い詰めて白状するとも思えん。
命を奪う兵と、命を守る医官の違いか。それとも心根の根本が違うのか。
しかしもし本心なら、喪っていないあの方への悪行を理由に此処まで怒りを持ち続ける俺は、相当執念深いというわけだ。
小さく顎を振り、眸の前の茶器を掌に受ける。
あの方が絡む以上、己自身にもどうしようもない。
あの毒の事を思い出すだけでも、この掌が震える。
例え幾年経とうと、気が遠くなる程に待とうと、あの男への引導は俺自身がこの手で渡す。
侍医がもう良いと言うならそれは構わん。
俺には言えない。 時が経ったから忘れた。誰かに諭され気が付いた。
あの方に関しそんな徳は俺には無い。
いつまで経とうと憎む。この肚の底から憎み続ける。だからこそ生かす。何故なら憎いからだ。
あの方の恐怖の萬分の一も味わうが良い。
自ら死を訪う事は赦さない。お前が根性無しで幸いだ。
待っていればいずれ死の方が、お前を捉えに訪れる。
その最期の瞬間を、身悶えしながら動かぬ体で待てば良い。
肚裡を誤魔化すように茶器に口を付け、胸の怒気で吐いた息を吸うように、香り高い茶を一口含む。
例えこの世の最上の甘露とされる茶を啜ろうと、肚の裡に燻る黒い怒りは収まる事は無い。
あの男が何処かで息をしている限り。
*****
「大護軍」
チュンソクが声を掛け、私室の扉を押し開く。その遠慮がちな声に扉へ振り向く。
「おう」
「繕工府から遣いが。仁徳宮の修繕が完了したので、大護軍の立ち合いで確認をお願いしたいと」
王様への拝謁からおよそ二十日。
急な申出に無理は無いとはいえ、思ったよりも時間が掛かった。
ようやく完成かと息を吐く。
その息を誤解したか、チュンソクの顔が曇る。
言葉を切った奴は思わし気に此方を見つめた。
「俺が、大護軍の名代で」
「行ってどうする」
奴の声に首を振り腰掛けた椅子から立ち上がる俺に、奴は渋々其の名を口にした。
「しかし徳興君が」
「ああ」
「ご覧になりたくないでしょう」
喉の奥から洩れた哂いで、片頬が歪む。
「構わん」
「大護軍」
部屋を横切り、扉口に立つ奴の目前を抜ける。
奴は慌ててこの背へ従き、吹抜への階段を一足飛びに降りつつ、どうにか此方の翻意を期待するよう声を上げた。
「それでも」
「チュンソク」
それでも。
お前が続けたい声は判る。
それでも見えるならば少しでも遅い方が。一度でも少ない方が。
何も好んで奴の獄の確認になど出向かずとも。
そうして逃げて何になる。
奴は息をしている。それが俺が奴に望む事だ。
そして息の音が止まるまで、この眸で見届ける。
「確認の後、禁軍と話す」
「護軍に声を掛けておきます」
「信頼できる奴以外は置けん。内通は御免だ」
「そのようにお伝えします」
足早に吹抜を抜ける俺に従き、奴は吹抜の扉口で頭を下げた。
それと入れ替わるよう、扉外に立つテマンが脇に従く。
「テマナ」
チュンソクの声に振り返るテマンの真直ぐな目に向かい
「頼むぞ」
そう伝える奴の声に強く一度だけ頷くと、テマンはこの背の半歩後に、影のように寄り添った。

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侍医 ウンスに教わったことで 気持ちを
収めてくれたのね よかった。
いやよね~ できれば 会いたくない
そりゃ~ 会いたくない。
チュンソクに任せられない訳じゃないいんだけどね
自分で確認しないと 気が済まないのでしょうね。
侍医の気持ちも含めて…
モヤモヤモヤット… スッキリしたいですね。
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さらんさん
「不倶戴天」も4話目となり、「え?今さら?」と
思われるかもしれませんが、ウンスはこれまで
キム侍医とともに、あの毒野郎の治療にも
携わっていたのですね!
うう~…、ヨンも気が気ではなかっただろうなあ。
殺したい相手が、回復してくる日々を
愛するウンスが助けているわけで…(-_-;)。
そう考えると、医師とは因果な職業ですし
それを見守る武人のヨンも、これまた因果な…。
さらんさん
このところ、夜はだいぶ冷えますね。
どうぞ、ご自愛くださいね♥