「王様、おつらいでしょうね」
康安殿を辞し、この方を典医寺へと送り届ける回廊。
左右へ雪を抱く凍えた冷たい回廊に、双つの白い息が立つ。
細い指が、白い頬が、薄い耳朶が寒さで瞬く間に紅く染まる。
役目とは言え、鎧しか着けぬ己を今更悔いる。
この方を包んでやれるものが何もない。
寒かろうが、皇宮の中で堂々と手を握るわけにはいかん。
出来るのは風上に立ち、この鎧で粉雪交じりに吹きつける北風避けの盾になる事だけだ。
そうして並んで歩くこの方の小さな囁き声に顎で頷き返す。
「恐らく」
「私ならいやだわ。ガマン出来ない。いくら逃がさないためでも、あなたを傷つけた人間を私たちの家の離れに住ませるなんて」
「・・・ええ」
俺とて考えただけで身の毛が弥立つ。あの男が宅に居るなど。
あの門の中に立ち入らせるなど、絶対に御免蒙る。
あの男の為に失ったものは余りにでかい。
一匹の鼠の命では、到底補い切れぬ程に。
それでも私情よりも時に大義名分を重んじねばならん。
煮えくり返る腸を納め、表向きは薄笑みを浮かべねばならん。
それが王様のお選びになった道。俺が従うと決めた道だ。
「どうしようもないの?王様にも媽媽にもよくないわ。第一あなたによくない。皇宮の中じゃ、気になるでしょ」
言い募るこの方の心底不安げな声に首を振る。
「俺は」
私情を優先するか。
それなら今すぐ剣を抜き去り、あの首を落としに行く。
名分を優先するか。
それならこのまま、しばらくあの面を拝まねばならん。
瞬時の迷いがこの後を決める。
「構いません」
元への最大の手駒として。王様の名目として。
何よりこの方を安堵させる手立てとして、嘘も方便だ。
己の唇から吐かれた嘘は、白い息になり北風に飛ばされる。
そうして消えていけ。吐いた途端に悔いるこの言の葉など。
*****
「チェ・ヨン殿」
「侍医」
「どうなさいましたか」
典医寺の診察部屋に立ち入った途端の温かさで、吹きつけた粉雪に凍りかけた鎧の面に小さな滴が浮かぶ。
この眸が探すのを察した侍医が、すかさず空いた診察台から薄い掛布を手渡した。
凍えるこの方をその掛布で頭から包み、ようやく息を吐いて侍医へと向き合う。
「話せるか」
診察部屋に患者がいない事を確かめ、その顔へと眸で促す。
奴は黙って頷くと静かに先に立ち扉を抜けた。
「ヨンア」
続いて扉を抜けようとしたこの背から、高い声が呼び掛ける。
その声に肩越しに振り向き、鳶色の瞳に向け首を振る。
「暖まっていて下さい」
「だけど」
「此処に」
何度も聞くべき名ではない。そんな必要など無い。
小さな頭から包んだ掛布を直す振りで、布越しにその頬を指先で掠めるように触れる。
そして不安げな瞳へ小さく顎で頷きそのまま眸を戻すと、侍医に続いて診察部屋の扉を抜ける。
先を行く侍医の後につき、そのまま奴の部屋へと招かれる。
整えられた部屋の中、窓際の炉に掛かる薬缶から立ち上る柔らかい湯気が、射し込む冬の光を霞ませる。
部屋内を進み、向かい合わせに据えられた椅子の一脚へと音を立てて腰を下ろす。
侍医はその荒々しい音に苦く笑むと、薬缶の湯を使い、手際良く茶を淹れ始めた。
「徳興君ですか」
此方を振り向かぬまま、その背越しの声だけが問い掛ける。
「ああ」
窓からの光の中、見るともなしに奴の手元を見る。
茶器に湯を差し茶葉の開くのを待つ段になって、その手がようやく止まる。
窓から射す光の中、奴は肩越しにゆっくり振り向いた。

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そりゃね みんなモヤモヤでしょう。
こちらが嫌だということは、 当然
向こうも嫌でしょう。夢の皇宮暮らしには
程遠い 牢ですよ…
侍医が…なんて言うかしら。納得してくれるかな?
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さらんさん❤
此度のお話。
黒ヨン暗ヨンですよね(^^;
徳興君の腕は、ヨンと侍医が
持っていったけれど、脚は・・・
あの悪知恵だけで生きてる男!
嫌な予感がしてなりません。
どうか皆に厄が起こりませんように!
続きが気になります(^^;
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さらんさん♥
更新いただき、ありがとうございます。
ウンスは、自分が二度も殺されかけたのに
自分よりもむしろ、大事な人が傷つけられる
ことのほうが許せないのですね。
存在そのものが「毒」のような徳興君。
そんな「毒野郎」でも 誰の手も煩わさずに
身の回りのことくらいはさせねばならず…。
こんなにモチベーションが上がらないリハビリも
哀しいものがありますね…。
しかも、骨の髄まで腐りきった徳興君のこと、
この先の関わりも 一ミリとて明るい要素は
あり得ません(-_-;)。
さらんさん(;´Д`)ノ
ハラハラしつつ、この後の展開を心待ちして
おりますね。