不倶戴天 | 壱

 

 

【 不倶戴天 】

 

 

凍りつく蒼天から、冬の透明な陽は全てに等しく降り注ぐ。

空から落ちた雪が塗り替えた白一色の大地に。雪中に点々と赤を落とす寒椿の木の根元に。
頂いた雪で撓りながら静かに春を待つ桜の裸枝に。そして雪に足跡を刻んで歩くこの肩に。

その陽の恩恵が届かぬ日陰、永久に凍る薄昏い部屋の隅。
お前は恥ずべき生涯の終わりまで、只管に過ごすが良い。

俺は今日そのお前を嘲笑いに、こうして向かう。

真白く地を塗り替えた雪の中、今でも真赤な憤怒を抱いて。
腕を持とうと失おうと決して赦せんと、真黒の心のままで。

 

*****

 

「ヨンア」
寝屋の寝台の上、この方が胸に擦り寄る。
花の香の髪を指先で梳き、ゆっくりと己の鼻先で弄ぶ。
「・・・はい」

しんしんと底冷えのする真冬の夜。
一筋の月すら入り込めぬ程、隙間なく閉じた窓。
それでも外から凍るような夜気はひっそりと忍び入る。

だからこそ腕の中、この方の暖かさが離せない。

寝台の掛布団が肩から滑らぬように細い肩向こうに伸ばした腕を差し入れる。
ぐるりと包んだ布団の端を丹念に、その肩の下へと折り入れる。

そうする俺に、腕の中で小さな笑い声が響く。
「・・・何ですか」
「昔映画で見たの。子供が寝る時にお父さんが毛布で包んで、その端を今みたいに丁寧に巻きつけるのよ」
「子、ですか」

幼子を包んでいるつもりなど無い。
俺のこの方が寒邪を引き込むのが怖いだけだ。
「心配しなくても、あなたと一緒ならあったかいのに」

この方が囁いて冷たい鼻先を咽喉元へ擦りつける。
冬の夜。もう互いの暖め方は知っている。
指を伸ばすのに僅かばかりの勢いが必要なだけだ。

一度伸ばせば止められん。ただ走り、追い詰めて。
逃げ場を失くして困り果てたあなたが最後にこの背に縋って泣き声を上げるまで離してやれない。
だからまだ、少しだけ怖い。
冬の夜、その白く細い躰を寒さの中で寝台に泳がせるのが。
月を遮った寝屋の中、あなたが温まる前に指を伸ばすのが。

だからこうして愚図愚図と刻を稼ぎながら、腕の中のあなたをゆっくりと確かめている。

「あのね」
今宵の寒さの中、その鼻先は冷たいままだ。
こうして腕で暖め息で暖めて全ての熱を与えたいのに、この方は咽喉元でゆっくり瞬きを繰り返す。
長い睫毛の起こす小さな風が、咽喉から全ての肌を粟立てる。
焦らすつもりなど無いのは分かっている。ただ知らぬだけだ。
いつまで経っても知らぬまま、倖せでこの息を詰まらせる。

「明日王様に・・・徳興君を移す相談をしようと思うの」

腕の中で小さく響くその悍ましい名。
倖せで詰まった息が憎しみで止まる。

あの腕を落とした刹那の赤い飛沫が。
そして残る腕を持ち去る侍医を止めずに眺めたあの夜が、眸の前にまざまざと蘇る。

あなたに告白する事はない。侍医とのあの夜の遣り取りを。
知る必要などない。あなたは泣いて止めたのだ。
あの涙がなくば、奴が持ち去ったのは腕ではなく首だった。
それを止めたあの涙は、必ず侍医に届いている。
今でも徳興君が生きている。それが何よりの証だ。

二度と見える事もない。
次にあの面を拝むのは王様からのお許しを得、晴れて奴の首を斬り落す時だと思い続けた。
腕が遣えぬのは判り切っている。
侍医があの腕を持って行く瞬間を俺は黙って眺めていた。
腹の底で哂いながら。お前にそうしたかったのは俺だと。

動けぬように関節を潰し、苦しむその面を沓裏で踏み付け、あの方へ毒を盛った指を一本ずつ斬り落とし。
最後に奸計を企てたその頭を、胴体から斬り離してやりたかった。

それでも俺は腕を一本捥いだ。故に残りの一本は侍医にやる。
俺と奴がそこまで憎んだあの徳興君を動かす。
あの顔をまた眸にし、そして忌まわしい声を耳にする。
幾度でも思わねばならん。まだ生きていると。
そしてその度乞うだろう。早く殺させてくれと。
薄汚いその命で、奪ったものの萬分の一でも償わせろと。

「何処に」
寝屋の中、尋ねた声は己が思った以上に掠れて低い。
この方は気付かぬのか、気付いても黙殺するか、それには触れぬままで俺に寄り添った。
「だから先にあなたに訊こうと思ったの。犯罪者なんだし、普通の家にはもう住ませられない。でしょ?」
「ええ」

王様への謀反を企てた大逆人だ。
それを見届けた証人は他ならぬ、当時征東行省にいた俺自身。
そして共に居た迂達赤たちが幾らでも明かせる。
加えて当時医仙だったこの方に、二度も毒を盛ったその事実。
王族とはいえ、その二件でも充分死罪に値する。

しかし王様は飼い殺すおつもりだ。その役目を終えるまで。
奴の首が下賜される迄を数え、最後にこの手で落す事を夢見て、その日までは生かしておくしかない。

死ぬ勇気など端から持ち合せん、己が可愛いだけの鼠だ。
最低限の飯を喰わせ最低限の水を飲ませ、そして息さえさせておけば良い。
生きる限りあの男は元への駒となり、王様の面目も立つ。

「治療自体はもう終了よ。腕の傷は完治した。外科的にはね。ただあとは段階的なリハ・・・訓練が必要なの。
筋力が落ちれば 残った腕もすぐ動かなくなる。そうなれば誰かの介助がいる。
誰にもそんな事はさせたくないっていうのが、私とキム先生の共通の意見だから」
「判りました」

そうだ、侍医の言う通り。
あんな男の犠牲になる者がこれ以上増える必要など無い。
後は王様の御目の届く処で生きながら腐れて行くが良い。
「場所は考えます」
「うん。訓練には担当が通うから、皇宮からあんまり遠くない所が」
「ええ」
「明日、一緒に王様のところで話してくれる?」
「勿論です」
「よかった」

この方は安堵の息を吐き、俺に腕を巻きつけ直す。
その細い輪で緩やかに俺を抱き締め、胸に頬を寄せ
「あなたがあの男を見たら辛いかなと思ったの。だから先に確認しておきたかった。会う事になっても大丈夫?」
「・・・はい」

大丈夫だ。何故ならあなたが今、抱き締めてくれるから。
この暖かさがあるからどうにか怒りを鎮める事も出来る。
心配なのは寧ろ、その暖かさを永久に喪った侍医だろう。

厭な話を終えた所為か。
腕の中で聞こえ始めた小さな寝息を感じつつ寝屋の隅、油灯の焔の向こうの暗闇を睨む。

月光を閉ざした寝屋の中、油灯の暖かさの輪の外の寒さの溜まる淀んだ闇を。

 

 

 

 

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