不倶戴天 | 捌

 

 

帰宅の迎えに出向いた夕の典医寺。
小さく叩いた扉内、微笑んだ愛おしい小さな顔が
「お帰り、ヨンア」
言いながら隙間から覗いた次の瞬間。

鳶色の瞳は見開かれ、続いて伸びた小さな手が有無を言わせずこの頬へ当てられる。
「イム」
「黙って」
普段ならこの声にそのように険しい声で応える方ではない。
だいぶひどい顔をしているのだろうと察しはつく。

温かい手はそのまま額へと移り、そして頸へ手首へと、何かを探るよう道筋を辿る。
「どうして?」
戸口に立ち尽くした俺に向け、険しかった声が今は震えながら繰り返す。
「どうして、ヨンア、どうして?」
「・・・何がですか」
「来て」

俺の声に首を振り、その温かい指先が痛い程に手首を握り、扉の奥、部屋内へと強く引かれる。
そのまま動かぬ俺に業を煮やしたように、扉向うでこの方が振り返り瞳で問うた。
「イムジャ」
「なぁに」
「何か問題が」
「そうじゃないけど座って診たいの。ひどいわ、あなたの顔色も脈も。朝は普通だった。
どうして?何があったの?今ならキム先生もいるから」
「侍医とは昼、会っております」

それで察しがついたのだろう。
この方は紅い唇を引き結び、隙間から息を吐いた。
「ヨンアも行ったの」
「はい」
「徳興君でしょ」
「はい」
「それならなおさら入って。話しましょ」
「イムジャ」

陽が落ちれば手裏房の酒楼への訪問がある。
己の切った期限は三日。それ以上は延ばせない。
「問題ありません」
「その顔色で?イライラしてるでしょ。少し肩をもみたいの。楽になるかもよ?その間に薬湯を煎じてもらうから」
「申し訳ありませんが」

頑として動かぬこの足に諦めたか、それともこれ以上負担を掛けまいと思ったか。
この方はご自身を律するよう深く息をした。
「じゃあ、帰ったら必ず薬湯を飲んで。それだけは約束してくれる?」

無理に笑みを浮かべて、此方へと尋ねる。
こんな顔をさせるのも鼠の所為だと、尚更に怒りは募る。
「今晩は出る予定が」
「一緒に行く。それはいい?」

共に出掛ければ、この方が委細を知る事になる。
知る必要など無い、あの名を聞く必要など無い。
それでも此処まで譲って下さる気持ちを思えば、これ以上無碍に首を振り続ける訳にはいかん。
「奴の件で出ます。イムジャは」
「ヨンア」
手首を強く掴んでいた手は、次に柔らかくこの掌の中を包む。
「あきらめてってば。中途半端に知るより全部知ってた方がずっとスッキリする。
あなた1人にそんな顔をさせるなんて、絶対に嫌」

それが判るから聴かせたくない。
抱え込む方ゆえ知らせたくない。
此方を真直ぐに見つめる瞳から眸を逸らす。

愛おしいから見せたくない。
私憤で動く姿に大義は無い。
それでも共にいる以上、隠しておくにも限りがある。
「・・・判りました」

全てが終わりあの首を落とす時、あなたは納得するだろうか。
それともあれ程あなたを苦しめた男でも、殺すなと言うだろうか。
今判っているのは、今宵は一人では出られんと言う事だけだ。

頷いた俺にようやく心から笑み、 この方はもう一度この掌を柔らかく包み直すとそっと離し
「トギ、三黄瀉心湯を出してー!」

大きな声で言いながら、部屋の奥へと歩いて行った。

 

*****

 

「久し振りじゃねえか、ヨンア」

すっかり暮れた冬の夜。
門をくぐった途端に飛んで来た師叔の声に頷き、東屋へと進む。
「・・・お?」

いつものように酒で鼻の頭を赤くした師叔が、この背の後の顔に相好を崩す。
「何だ、天女も連れて来たか」
「こんばんは、師叔」
笑み声でそう伝えるこの方の横を守るテマンが、続いて小さく頭を下げる。
「おいおい、三人連れとは珍しいな」
「師叔」

改まった声に、師叔が首を傾げる。
「何だよ、おっかねえ顔して」
「話がある」
「すりゃあいいじゃねえか、見た通り誰もいねえよ」
「ヒドたちは」
「奥にいるぞ。何だ、あいつらにも話か」
「部屋で話したい」

手裏房に限って他に漏れるとは考え難い。
それでも尋ねた声に師叔はそれ以上訊かず、酔っているとは思えぬ確りした足取りで立ち上がった。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

3 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    よっぽど 酷い顔色なのね
    侍医も気付くんだから
    ウンスは 当然
    さぞかし 心配でしょ 
    辛い話も半分子しますかね…
    そうしたら 少しは軽くなるかしら?
    ヨンの話しの察しはついてるのよね
    師叔は…

  • SECRET: 0
    PASS:
    「罪を憎んで、人を憎まず」
    そう言ってたウンス。
    どんな時でも命を大切にする
    医者のウンスだから、ヨンが徳興君の
    首を落とすと言ったら、止めるでしょうね。
    私なら・・・止めないかも?
    やっぱり許せないから(–;)
    さらんさんのお話を読ませて
    いただく度に、何かしら自問自答を
    している私が居ます。
    本当に素晴らしいお話を
    ありがとうございます♪

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん
    他のシリーズももちろん素晴らしいですが、今回の「不倶戴天」もぐいぐい引き込まれ、日々、拝読する時間が楽しみでたまりません。
    たった一匹の卑劣で黒い鼠のために、神経をすり減らしているヨンと、そんなヨンのストレスを誰よりも先に気づくウンス…。
    ああ…、徳興君って、存在そのものが「毒」なのですね…。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です