威風堂々 | 62

 

 

「・・・イムジャ」
夜の典医寺の門を抜け、半歩前で忍び足になったこの方へ静かに声を掛ける。
鍛錬も受けていない方が歩調を遅くしただけだ。足音も気配も消えてはおらん。

すっかり暗い庭の中、その軽い足音はしっかり響いている。
それでも懸命に周囲に目を配る様子が余りに可愛らしくて、俺は足音を消したまま従いて行く。
「何を」

顰めた声の問い掛けに、尖らせた紅い唇の前に白い指が立つ。
成程、黙って従いて来いとおっしゃりたいか。
小さく笑って頷くと、その後は声を掛けずに護る。

後ろに従う武閣氏たちもさぞ可笑しいに違いない。
薬木の合間の階をそうして辿り、薬園の奥へと辿り着く。
ここまでで良かろうと横のこの方を見ると、鳶色の瞳が俺を見上げ、白い温かい手が俺の手を握る。

後ろにまだ武閣氏がいる。
別棟には侍医も他の医官も、薬員たちも残っておろう。
背後の気配、窓から漏れる灯、扉の隙間からの声。
その中で急に手を握るこの方に、驚いて目を瞠る。

いくら婚儀前夜だからと、急にどうしたというのだ。
そんな俺に瞳を三日月に緩め無言でこの手を引く小さな手。
薬園の中の道、私室の扉へと引き摺られつつ息を吐く。

相も変わらず何を考えているのか、その肚の裡が読めん。
俺を扉前へと立たせると、空いたこの方の片手がそのまま扉を静かに空ける。
「入って」

吐息のような声で囁き、この方が細く開けた扉から部屋内へと入る。
幾らまだ月が東空に在ろうと、暗い事には変わりない。
そして明日の夜になるまで、この方はまだ妻ではない。

扉の隙間から漏れる暖かな光。踏み入るつもりなど無かった。
窓に降りた鎧戸の隙間なり閉ざした扉の此方側からなり、無事眠っているのが判れば良いと思っていた。
まさかこうして引き摺られ、典医寺の私室にまで御伴するとは。

踏み込まぬ俺に業を煮やしたか、一旦部屋内へ入ったこの方が細く開けた扉の隙間から顔を突き出す。

は や く!

紅い唇だけが動くのを確め、深く息を吐くとその隙間へと滑り込む。
あの時の幼子の顔。こうして内緒で俺を手引きし部屋で話したかったのか。
向かい合ったこの方は部屋内だと言うのに声を潜めたまま、その唇を指先で押さえ、くすくす小さく笑い始める。
「ずっと思ってたの」
「・・・何をです」

この方の私室とて、もう数え切れぬ程訪れた。
辛い言葉を投げつけられても声が聴きたくて。
傷つけてしまうと判っているのに逢いたくて。
こんな風に向かい合う日が来るなど知らずに。

部屋の内、窓際に設えた棚。室内の卓と置かれた椅子。
そして奥の階。そのまた奥に置かれているであろう寝台。

衝立で目塞ぎされたその奥を、俺は見た事はない。
高麗へと攫われ、この方が王様へとねだられた豪奢な寝台。
眠れないと訴えたこの方に与えられたであろう、絹の敷布と上掛けの羽根布団。
その階の奥を見ぬように、目の前のこの方だけを見つめる。

「私は迂達赤兵舎に潜り込んだのに、あなたは1回もこの部屋で一緒に寝たことないでしょ?」
「必要ないでしょう」

わざわざ共寝する必要など。もうすでに俺達の宅がある。
王様に頂いた分不相応にでかい宅。それを何故、婚儀の前夜にわざわざ典医寺へ連れて来るのだ。
「だから独身最後の夜は、私の部屋のツアーをしてあげる」
「つあー」
「お部屋紹介よ」
「・・・いえ、勝手は知っております」
「えー、でもここの布団の寝心地の良さは知らないでしょ?」
「それは」

横になった事がないのに知るわけがない。
それでも向かい合い、椅子へ下したこの尻が落ち着かん。
帰りたい。一刻も早く。
この方の顔が見られた。声を聞き、暖める事も出来た。
それだけで良い。もう十分だ。

婚儀の前夜、慣れた寝屋でなく違う部屋にいるだけで。
そして別棟にキム侍医や他の奴らの気配を感じるだけで。
背筋に蟲が這うように落ち着かん。
「今宵はもう」
「・・・帰るの?」
何故それ程に、細い声で問い掛けるのだ。
「はい」
「どうしても?絶対?」
「・・・イムジャ」
「私が一緒にいてって言っても?」

どうしろと言うのだ。
こうして向かい合い腰を下ろしているだけでも、壁越しに典医寺中の耳目を向けられているような気がするものを。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    独身最後の夜…
    修行最終日なのに… 最難関な!
    ウンス 可愛らしいけど けど
    鬼! 悪魔!
    ヨンにとっては拷問?
    でも 明日からは 夢のようなパラダイス!
    もう 夢じゃないよ 現実だよ! ♥(///∇///)

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