「御免」
水刺房の入口。
声を掛け房へ踏み込んだチェ・ヨンは、中の様子を確認し思わず太い息を吐いた。
水刺房の中央に置かれた大きな卓。そこに恭しく乗せられた皮と布の二重の袋。
鎮座するのは金よりも余程価値のある、冷たく透き通った大きな氷の塊。
その周りに置かれた大小の銀の器、駝酪と思われる白い水。
鶏卵や砂糖壺。桃、杏、竜眼、西瓜、蜜漬にした苺や柚子。
その宅を囲んで呆気に取られた様子の水刺房の尚宮たち。
呆れた顔のチェ尚宮。その周りに控える数人の武閣氏。
そして一人、してやったりと誇らしげな顔のウンス。
「・・・医仙」
「待ってたの!包丁は研いであるわ」
「何を」
「氷を削ってもらうの!」
この人前、ウンスの面目もある。問い詰める事は出来ない。
ヨンは諦めたように後ろを振り向きチュンソクを眸で促す。
チュンソクは訊き返すことすらせず、何処か気の毒気にヨンへ無言で頷くと、引き連れた迂達赤の兵たちに
「各自・・・包丁を持て・・・」
それだけ言って水刺房の隅、包丁の並ぶ水場へ進んだ。
全員がその場に用意した包丁を握るのを見届け、衆人環視の真中でウンスが胸を張る。
「ヨ・・・大護軍」
「はい」
「まず、この大きな氷を、3つくらいに切ってくれる?」
「・・・はい」
ヨンは逆らう事すらせず無言で氷の目に包丁の切先を突き立て、その柄を上から万力でぐいと押さえつけた。
氷はその目に沿って、そのままごろりと崩れた。
同じように反対側からも割り、大きな三つの塊を作る。
「で、これを」
三つの塊のうちの一つを指さしたウンスが、得意げに続ける。
「これくらいの大きさに、ザクザク割ってほしいの。割ったらこの銀の器にどんどん入れてね」
これくらいと細い親指と人差し指で作った輪を見、指した銀の器を眸で確かめ、ヨンは黙って頷いた。
「自分が割ります、大護軍」
見ていられぬとばかり、チュンソクが横からヨンに助け舟を出す。
「残りのこの氷は、出来る限りうすーく、小さく削ってくれる?で、こっちの器にどんどん入れてって」
ウンスは別の大きな銀器を指してそう言った。
「じゃあ、手分けしてよろしくお願いします!」
そう言ってウンスはまた違う銀器へと、駝酪を注ぎ込む。
チェ・ヨンを始めその場の迂達赤と武閣氏は無言のまま、其々の隊衣の袖を捲り上げた。
*****
銀器を乗せた盆を捧げ持つ水刺房の女官たちを先導し、チェ尚宮は足早に回廊を抜け、坤成殿に辿り着く。
王妃の私室前に控えた筆頭内官アン・ドチが、チェ尚宮へと丁寧に頭を下げる。
「王様もいらっしゃるのか」
確認するチェ尚宮へと微笑み、ドチが頷いた。
「はい、チェ尚宮様」
「それでは丁度良い」
頷いたチェ尚宮は坤成殿の扉前、小さく声を張る。
「王様、王妃媽媽、チェ尚宮でございます」
「・・・入れ」
王の返答に、坤成殿の扉横の武閣氏が守っていた扉を開く。
「チェ尚宮、どうした」
窓を背負って卓に腰を下ろしていた王妃。正面の玉座へ腰を下ろしていた王。
二人はチェ尚宮に続いて入室する水刺房の女官達の姿に、驚いたように眉を上げた。
女官たちは王と王妃へ深く頭を下げたまま、手にしていた盆を其々の目前へ捧げる。
そして腰を折ったまま後退りし、静かに退出する。
王と王妃の目はそれを追う事も出来ず、目前の盆に乗った珍妙な物に釘付けになっている。
雪ほど白く細かいもの。その白を彩なす色とりどりの果実。
それらの真中に置かれた雪とも氷ともつかぬ、そして白とも象牙色ともつかぬ、丸い大きめの塊。
「媽媽、医仙がお見えです」
その時掛かる扉外の武閣氏の声に、王妃が顔を上げる。
「御通しせよ」
開いた扉から勢いよく入って来たウンスが、まだ氷菓に手を付けないままの王と王妃を見て目を丸くする。
「媽媽、王様、溶けちゃいますよ」
「・・・医仙、これは」
王がこれ、と銀器の中を目で指し、ウンスへ尋ねる。
「ピンスです。ぜーんぶ、思い切り混ぜちゃってください!」
「混ぜる、のですか」
ピビダと聞いて、王と王妃の目が丸くなる。
同時にチェ尚宮の眉が厳しく顰められる。
王、王妃ともあろう天上位の方々の食卓で、民のような食べ方、器の中身をぐしゃぐしゃに混ぜるなどあってはならない。
「医仙、それは」
「分かります。お行儀悪いですよね?でもピンスは特別です。絶対その方がおいしいんです。
だからぜーんぶ混ぜちゃって下さい」
言い張るウンスの言葉に、王が可笑しそうに声を顰めて笑い始めた。
「チェ尚宮」
「・・・はい、王様」
「ここは医仙を信じよう。この皿の中身の最も美味な食し方を御存知なのは、間違いなく医仙なのだから」
「・・・はい」
王は脇の王妃へ、目で問いかける。
王妃は楽しそうに頷き、銀器に添えられた杓文字を手に取った。
*****
「な、何ですかこれ!!」
水刺房の大卓の周りを囲む人垣の中、トクマンが驚いたように大声で叫ぶ。
「美味いですよ!」
チュンソクも己の手の皿から冷たく甘い塊を匙で掬って口に運び
「確かに、雪に砂糖をかけたような・・・」
その声に同意するよう、テマンもこくこくと頷く。
ならばチュンソク、今年の冬には雪を喰え。飽きるほど砂糖をやるから、腹一杯喰うが良い。
チェ・ヨンは胸の中で口汚く毒づく。
迂達赤と武閣氏の選り抜きの剣上手をわざわざ集め、削らせたのが氷など、ふざけるにも程がある。
それもウンスでなく命を飛ばしたのがあの叔母、チェ尚宮だと思うと、腹が立って仕方ない。
ウンスを諌めるのがチェ尚宮のやり方とばかり思ったものを、まるで自身も尻馬に乗るが如く。
唯一の救いは其処に集った兵のどの顔にも、満面の笑みが浮かぶ事だ。
さもなくば人目を気にすらせずにウンスを詰問するところだったと、ヨンは息を吐いた。
「大護軍」
水刺房の隅。
ウンスの作った氷菓に手を付ける事も無く腕を組み眸を閉じて大柱に凭れるヨンに、戻って来たチェ尚宮が声を掛けた。
「来い」
望むところだ。
ヨンは柱に凭れた背を起こし、チェ尚宮を見詰め顎で頷いた。
「喰い終わったら、兵舎に戻れ」
水刺房を出る刹那に残したヨンの声に
「はい!」
その場の迂達赤と武閣氏が姿勢を正し、一斉に返答して頷いた。
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