夏休み【中篇・弐】 | 2015 summer request・夏休み

 

 

「隊長」
「おう」
夕早い時刻。
陽射しは未だ西の空、櫨染に変える事すらなく白いままだ。
康安殿から兵舎へ戻った俺に、チュンソクが声を掛けた。
「夕の歩哨は全て交代しました。明日の休みの奴らを、兵舎から出しても良いですか」
「任せる」
「は」
この声に頷くとチュンソクは兵舎の吹抜けを見渡す。
「明日の休みの奴らは、これだけか」
「はい!」

其処に立った奴らから、抑えきれぬ高揚感を滲ませた大声が返る。
チュンソクはその声に悩まし気に眉を顰めると
「今更言うまでもないが、判ってるな。隊長に迷惑が掛かるような、馬鹿な真似は絶対にするなよ」
老婆心から苦い声で、居並ぶ奴らへ告げた。
「は!!」

返る兵たちの声を聞き
「では行け。何かあれば即兵舎へ戻れ、良いな」
「は!!」
「では、明後日な」
奴らは深く頭を下げ、嬉し気に吹抜の扉から飛び出して行く。しかし案の定だ。その場に残るあの丈高い男の影。
「・・・トルベ、どうした」

チュンソクが気付き、奴へと声を掛ける。
「お前が真先に飛び出して行くと思ったが」
「いや、副隊長、実は」
「トルベ」
掛けた声に、チュンソクとトルベが此方を振り向く。
「は、はい」
「飲みに行くぞ」
「・・・は?」

チュンソクとトルベの重なった声が、兵の去った後の妙にしんとした吹抜けの天井に響いた。

 

*****

 

「隊長、道が」
「煩い」
「・・・はあ」
坤成殿へと真直ぐに向かう俺の足に気づいたトルベが、横でしきりに此方を気にしている。
それに碌な答えも返さず、ただ足早に回廊を歩く。

坤成殿への入口へ立って初めてようやく足を止め、俺はトルベを振り向いた。
「何処の尚宮だ」
「は」
「お前の頭痛の種の一つ目は」
「ああ、坤成殿で奥向きを、って隊長」
「連れて行け」
「え」
「その尚宮のところへ」
「・・・隊長」
「気が変わる前に」
「は、はい!」
トルベは慌てたように足早に俺を先導し、坤成殿の回廊を進み始めた。

 

「あら、トルベ。早いのね」
坤成殿の最奥。
其処へ屯する尚宮服の一団の中より上がる華やかな声を聞く。
周囲の他の尚宮達が、その嬉し気な声に、漣のように笑う。

馬鹿野郎が。
戸惑ったような奴の顔を一瞥し、俺は半歩前へと進み出る。
途端にこの顔を凝視し、尚宮の一団の顔が一息に紅潮した。
「迂達赤隊長、さま」

顔は知られているものだ。俺からするとどの尚宮も区別がつかん。
先刻トルベへ向かって華やかな声を上がったと思しき処へさりげなく眸を流し、誰にともなく僅かに顎を下げる。
「詫びに来た」
「え」
その声に、そこに佇む尚宮たちが一斉に息を呑む。

「人手不足でな。奴に休暇返上を頼んだ」
斜め後ろのトルベを振り向き顎で示すと、尚宮達の群れの中から一人の尚宮が二歩進み出る。
これが相手か。
「すまん」
一先ずそう言うと、その尚宮が力一杯首を振る。

「それでわざわざ、隊長さまがおいで下さったのですか」
「筋だ」
「そんな事構いません、此方こそ心苦しいばかりです」
「此度は中止で構わんか」
「勿論です!!」

悲鳴のようなその声に思わず耳を塞ぐのを堪えつつ、最後に再度その尚宮へと真直ぐに眸を当てる。
「悪い」

俺のその眸に戸惑うように目を泳がせ頬を紅くし、その尚宮は
「いえ・・・いえ、良いんです。とんでもないことです」
約束を反故にされ怒るどころか、何故かとても嬉しそうに幾度も繰り返した。

 

*****

 

「て、隊長」
「何だ」
「あの」
その後の声が続かぬのだろう、トルベは俺を凝と見詰めて声を切る。

先刻の紅潮した尚宮たちの頬が呼び寄せたような、赤々とした陽光が西空を染め上げ始める。
その夕陽が足許へ落とす木々の影を踏み、トルベと二人皇宮の大門を抜ける。
「酒楼は」
「はい、こっちです!!」
そう言って駈け出しそうな奴を横目に、太く息を吐く。

チュンソク。
お前の肚が、今日は痛いほど良く判る。
道理でお前があれ程疲れて見える筈だ。
こんな下らぬ些末事に日々対応すれば。

まあ頭を使うのがお前の役目だ。悪く思うな。
肚裡で呟きながら、暮れ始めた大門外の大路を足早に急ぐ。

 

「トルベ!」
提灯の下がる酒楼の入口を超えた途端、掛かった声に足を止める。
これが二つ目の頭痛の種か。
肚に力を入れその女人の顔が見えるよう、横のトルベを掠めて一歩前へと足を進める。
「え、隊長さま、どうして!」

何故だ。見知らぬ奴らが、何故これ程に的確に一目で俺を見抜く。
そんな疑問を頭の隅に、先ずは目の前の女人へ顎を下げる。
「詫びに来た」
「え?」
そう響く甲高い声に、顎を下げる。

「今人手不足でな。奴に休暇返上を頼んだ」
「そうだったんですか」
「此度の遠出は無理だ。悪く思うな」
「勿論、そんな事思ったりしませんよ!」

女人はそう言うと、本当に嬉し気に此方を見詰めて目を細めた。
「でも、今晩くらいは飲んで行かれるお時間はありますか」
「いや、戻る」

この声に女人は歩を進め、俺の上衣の袖に微かに触れるほど寄る。
「それは、本当に、本当に、残念」
その上目遣いに顔を背け、後ろのトルベを振り返る。
「戻るぞ」
「はい、隊長!!」

奴は今日見た中で最高に活き活きとした面で、最高に嬉し気に俺へ返答した。
馬鹿野郎が。せめて少しは残念気に萎れて見せろ。
さもなくば口から出任せと露見するかもしれんだろうが。

最後に残る女人へと眸を当て
「次は奴の休みに、皆で来る」
それだけの言葉を接ぎ穂に俺は踵を返す。

「必ずですよ、隊長さま」
背で掛かるその声に、俺は二度と振り向くことはなかった。

 

「隊長!!」
「・・・何だ」
「俺は隊長に、一生ついて行きますよ!!」
「下らん」
すっかり暮れた空の下、皇宮へ戻る大路を、奴と連れ立ち足早に歩く。
「飲みたかろうが、今宵は兵舎でじっとしていろ。
さもなくばこのまま実家へ戻れ。そう遠くなかろう」

俺の声にトルベが首を振る。
「いや、良いです。兵舎の中でゆっくりします」
「別の店で、酒でも買って行け」
「いや、もう今宵は胸がいっぱいで!!」
「本当かよ」
「本当ですよ!!」

ああ、じゃれつくほど懐くのはテマンだけで十分だ。
今にも俺に向かい抱き付きそうなトルベの手を叩き落とし、無言で皇宮の大門を目指す。
少しは肩を落として見せろ、せめてその振りで構わん。
この世の何処に土壇場で夏の休みを取り上げられ、そんな嬉し気に破顔する奴がいる。

もう御免だ、こんな面倒に巻き込まれるなど。
「二度目はない」
「勿論判ってます。次はうまく!」
「・・・・・・」
懲りん奴だ。

呆れ顔の俺と嬉し気な奴とが連れだって皇宮へ急ぐ背後。
始まったばかりの夜の大路の喧騒が、この袖を引くよう追い駆けてくる。

酒も女も、此度はお預けだな。こいつには良い薬だろう。
その喧騒を振り切るよう、薄闇の中を俺達は歩き続ける。

 

 

 

 

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