帰郷【弐】 | 2015 summer request・里帰り

 

 

玄関前、庭の木、裏庭まで水を遣り終えて、急いで表へ回る。
ついさっき水を遣り終えた庭。
そこにハラボジとチュソクヒョンが、剣を構えたまま向き合っていた。

俺はその場に足を止めて二人の様子をじっと見た。
こうなったらもう近寄って行けない。それくらいは分かる。
何だよ、俺が戻ってから始めてくれても良かったのに。

チュソクヒョンは逆鱗勢のまま、剣先を小さく動かす独特の構えだ。
ハラボジはそこへ切先を合わせると、そのまま豹頭勢へ振りかぶり、ヒョンの剣先を払おうとする。

始まった。俺は思わず唾を飲む。

ヒョンは一歩下がると、いきなり初めて見る構えを取った。
両手ではなく片手で剣の柄を握ると、振り下ろすハラボジの剣の切先を往なす。
そのまま斂翅勢から一気に剣先を片手のまま斜めに振り上げ、その切先をハラボジの目の前、ぴたりと付けた。

ハラボジはその剣先の向こう、ヒョンの目をじっと見て、剣を下ろし黙って鞘に納めると、頭を下げた。
嘘だろ。たったの二打で、あのハラボジが剣を退くなんて。

チュソクヒョンも同じく剣を鞘へ納めて深く頭を下げると、次に頭を上げた途端に、ハラボジへ向かい小さく寄った。
「父上」
「あれは何だ」
ハラボジの声に、チュソクヒョンの足が止まる。
「は」
「何故、柄を片手に握り代えた」
「・・・ああ」

チュソクヒョンは気まずそうに頭を掻いた。そして
「隊長の教えです。両手で握らずとも良い時は、片手の方が剣の勢いを殺さぬからと。
父上の教えとは異なりますが」
「そんな事は構わぬ」

ハラボジはそう言って大きく頷いた。
「追いつく事も出来ん。打ち負けて教えも何もあるものか」
「しかし」
「お前の剛力あっての事だ。普通の腕力では片手で剣は操れん」
「父上の鍛錬のお蔭です」
「いや」

その時のハラボジの笑顔を俺は目を瞬いて見返した。
そんな風に笑うハラボジを後にも先にも見た事はない。
「良い師に巡り会ったな」
「・・・父上」
「型は基本、しかし型破りも必要だ」
「はい」
「大切にせよ、チェ・ヨン殿とのその縁を」
「はい」

鞘に納めた剣を片手に下げ、チュソクヒョンは頭を下げた。
ハラボジは黙ったまま、頭を下げたままのチュソクヒョンをその場に残して庭を歩いて、部屋の中へと入って行った。

チュソクヒョン。そう言ってそこに駆け寄りたかった。
けれど脚が動かない。 何だろう、余りにも強かったからなのか。
それとも今こうして離れて見詰めるヒョンが、別人みたいに見えるからか。

蝉の鳴き声の中で俺は足を止めたまま、剣を下げたチュソクヒョンを離れた場所からずっと見ていた。
やがてヒョンが頭を上げ、剣を握り直して家の中へ入っていくまで。

 

*****

 

「チュソク、もっと食べろ」
「いや、もう食えません」
ヒョンの帰って来た日の夕餉は、卓の足が折れる程の馳走が並ぶ。
ハルモニもオモニも、腕に縒りをかけて朝から大騒ぎで料理を作る。

アボジがそう言って卓の上を指すと、チュソクヒョンは首を振り、ハルモニとオモニに頭を下げた。
「俺の為に、わざわざ済みません」
「何言ってるんですか、水臭い」
オモニが笑って首を振る。そしてハルモニを振り向くと、
「お母さまがチュソクさんの為にお作りになったの。どうぞ召し上がって下さい」
「いえ、本当にもう十分です」
「チュソクも食が細くなったわねえ」

ハルモニがからかうみたいに、笑いながら言った。
「昔は今の倍は食べたわ」
「母上、それは若い頃では」
「そうね、十五、六の頃」
「それは縦に伸びる頃でしょう。今も同じだけ食べたら横に」
ヒョンの声に
「・・・違いない」
ハラボジがぼそりと相槌を打つ。食卓を囲む全員が、その素気ないハラボジの相槌に、声を上げて笑う。

夏の夜が過ぎて行く。
外からの風が、ヒョンの肩までの髪を揺らして過ぎて行く。

 

*****

 

「ウジュン」
「何だ、チュソクヒョン」

夜の庭に立つチュソクヒョン。背中越しに呼ばれて、俺は走り寄った。
「背から見られていては気になる。どうした」
「気付いてたのか」

背中にまで、その丸い目ん玉が付いてるみたいだ。
ハラボジとの打ち合いを見てから、うまくヒョンに声が掛けられない。
こうして背中から見ていても、ヒョンが別の男に見えた。

剣を握ったあの姿は、もう俺が気楽に抱き付いてヒョンなんて呼んじゃいけない、別の男みたいに。
ハラボジに剣を向けたからじゃない。
あの片手で剣を操る強さが、もう俺とは違うところにいる男のような気がした。

そしてヒョンはいきなり、背中越しの俺に言った。
「・・・ハラボジを、頼む」
「ヒョン」
「アボジを助けて差し上げろ」
「何で、そんな事急に」
「黙って聞け」
ヒョンは珍しく、厳しい声でそう言った。
ヒョンに並んだ俺は、無言のままで頷いた。

「お前が御二人を支えて、この家を背負って行くんだ。良いな」
「ヒョン」
「良いな」
「・・・分かった」
「よし」

ヒョンは変わらない。
俺が頷くと分厚くて大きな手がこの頭に乗り、髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。
「帰って来て良かったよ」
「ヒョン」

夜の中、ヒョンの声がすぐ隣で聞こえるのに。
その声は暗い空から聞こえる気がして、俺は隣に立つヒョンを闇の中でじっと見つめる。
「ヒョン」
「何だ、ウジュン」
「どこかに、行くのか」
「明日は兵舎に帰るだろ」

そうじゃなくて、そんな事じゃなくて。何でそんな事を言うんだ。
そう怒鳴りたいのに、声が出ない。
戸惑ったこの目に気づいたのか、ヒョンは横目で俺を見る。
「ウジュン、兵ってのはそんなものだ。言える時に言っておく。
でないと次にいつ会えるか判らんからな」
「うん」
「明日兵舎に戻ったら、次にいつ帰れるか。だから言うだけだ」
「じゃあ、やめちゃえよ!」
「・・・・・・」

俺の叫び声にチュソクヒョンは困ったように笑った。
「なあ、ウジュン」
「迂達赤なんかやめて、帰って来いよ。ここでハラボジと一緒に剣を教えればいいだろ!元迂達赤の剣士なら、教え子だっていっぱい」
「ウジュン」

チュソクヒョンは体ごと俺に振り返った。
「男としての幸運は、何だと思う」
「え」
「俺はな、尊敬できる人に会える事だと思う」
「ヒョン」
「その人の為に死んでも良いと、思える人に巡り会える事だと思う」
「それが、チェ・ヨンって人なのか」
「そうだ」
「俺には分からないよ、ヒョン」
「今に分かる。お前がそんな人と会った時にな」

分からない。分からないし、分かりたくもない。そんな人がいるから、ヒョンはこんな風に遠くなったんだろうか。
ハラボジに打ち勝って、そして迂達赤に戻って、次にいつ会えるかも分からないくらい遠い人になったんだろうか。

「家族より大切なのか。いつ帰って来るかも分かんないくらい、それでも良いくらい大切なのか」
「比べるものではない。家族は無論、何より大切だ」
「でも帰るんだろ。次にいつ帰って来るかも判んないんだろ」
「ウジュン」
「俺には分からない。ハラボジの教えよりチェ・ヨンって人の教えを、ヒョンが大事にするなんて」
「ウジュン」
「分からないよ!!」

そう言って、俺はヒョンを庭に残したまま部屋に駆け戻った。
乱暴に扉を開き、中へ飛び込んで、力一杯音を立てて閉めた。

初めてだ。俺はいつだって、しつこくヒョンを追い駆けてた。
そのヒョンを庭に残して、一人で部屋に戻って来るなんて。
だけどヒョンにはチェ・ヨンがいるんだろ。
俺より大切な、家族と会えなくてもいいくらい大切な人なんだろ。

だったら俺は、迂達赤なんて行かない。
チェ・ヨンなんて奴、どうだっていい。

床にごろりと大の字に転がって、俺はきつく目を閉じた。

そうやって勝手に出て行くんなら、俺だって好きにする。
俺がハラボジの跡を継いで、文官になったアボジの分まで、次にいつ帰って来るか分からないチュソクヒョンの分まで、ハラボジと二人一緒に必ずこの家を盛り立ててやるんだ。
その時になって謝ったって遅いんだからな。

大の字に開いた両手両足を床の上でばたばた動かしながら、俺は天井に向かって叫んだ。

「ヒョンの馬鹿野郎!!」

 

 

 

 

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