比翼連理 | 52

 

 

「もう良かろう」
この指の誓いの輪を外すまでもない。
己が左手の親指の先、薬指の輪を擦って確かめつつ、チェ・ヨンは偶然を装い市の大路を一本裏へ入る。

饅頭屋を出で、宿へ戻るその途中。
ウンスは疑わぬままで添うてくる。

しばらく滋雨を頂かぬ裏道の土は続く夏の陽に灼かれ、ウンスの足音の響くたび小さな埃を舞い立てる。
そこに堂々と交じる足音の主に、振り向かぬまま声を掛ける。
ウンスは突然上がったヨンの声に、驚いたように足を止める。

この方も自分も、狙われておるわけではない。
ねだるように、欲するように、ただ纏わりついてくる視線がある。
まるで仔犬か仔猫のようだ。構え構えと小煩い。

鬼剣を抜くまでもない。敵意も殺気も全くないのだ。
怪しげな事を仕掛けようとすれば、どれだけ隠そうと気配は立ち上る。
今感じるのは隠すつもりすらない無遠慮な視線。
これで刀など持っておれば、其方の方が驚きだ。

目的が知りたいと、それだけの思いでヨンは問う。
「出て来い」
「はい、すみません」

余りにあっけらかんと言いながら出てきた男を見、ヨンはその出で立ちに苦く笑む。
己より二つ三つ若い。その呑気な様子。
伸び蓬けた髪を高く結い、着た切りのような衣を身につけ、大きな口で笑みながら。
その男は読まれた気配を恥じる風も無いまま、己の目前にやって来た。

「誰だ」
ヨンは鞘に納めた鬼剣を握ったままで、男へ向かい誰何する。
「俺はチェ・ムソンと言います。大護軍チェ・ヨン様ですか」
「如何にも。俺が兵と知っての尾行か」
「いえ、実は」

チェ・ムソンと名乗った男は頭を掻きながら、己ではなくウンスを真っ直ぐに見て頭を下げた。
「こちらの方と、お話したくて」
自分へと無遠慮に当てられたムソンの視線に、ウンスは目を丸くした。

「最初に見つけたのは、お二人が厩に馬を預けた時です」
「端からか」
ムソンの声に、ヨンは顎で頷いた。
「訳は」
「この方が異国風に見えたこと」

ムソンはそう言って、ウンスを見た。
「大食国の民の横で、立ち止まってるのを見て思いました。もしや言葉がお分かりかと。そんな様子だったし」
あながち間違ってはおらぬとヨンは首を振る。
この高麗の地の方でないのは確かな事だ。

「異国の者を探しておるのか」
ヨンの声にムソンは大きく頷いた。
「火薬づくりの為です」
「火薬」
「はい。元人なら知ってると思って、今は此処に移り研究しています」
「火薬の為に、移り家までしたか」
「酷いな、大護軍様」

ムソンは全く堪えぬ様子で大きく笑んだ。
「大護軍様ならお分かりの筈だ。これからの戦にどれ程大切か」
「今とて火薬はある」
「あんな大量に使わなきゃならない火薬じゃ、話になりません」

ムソンは素直に顔をしかめた。
「湿気に弱いんだ。一発で駄目になる。それをいつでも乾かして大量に持ち運ぶなんて話になりませんよ。そうでしょう」
「・・・まあな」
頭の廻りは悪くはなさそうだと、ヨンはムソンを値踏みした。
「で」
「今までも何度もいろんな奴に声を掛けました。元人ならどうにか伝手で、火薬作りの知恵のある者に渡りが付くんじゃないかと。
それこそ虱潰しに、片っ端から声を掛けましたが」

ムソンは臆面もなく、堂々と言い放つ。
「大失敗です。誰もそんな奴、紹介しちゃくれなかった。飯やら酒やら随分散財したんですがね」
その磊落な物言いにヨンは片頬で笑む。

しかし此処までだ。
これ以上この方には寄せられん。
何処からこの方の過去がどう漏れるのか予想もつかぬ。
ましてそれほど元の者と近しい男であれば。

国交を断ったからとて、奇皇后もトゴン・テムルも死んだわけではない。
死なぬ限りは生きている。どう息を吹き返すか誰にも知れぬ。
息を吹き返せばまた引導を渡すのは面倒だ。
「お門違いだ。他を当たれ」

ムソンへ向けて告げるとヨンはウンスを連れ、路地を大路へと戻ろうとする。
その背にムソンの声が掛かる。
「大護軍様」
「何だ」
「俺は倭寇をやっつけたいんです」
「やれ。頭を使い火薬を作ろうと、体を使い兵になろうと」

ヨンは埃を立てぬまま背後のムソンへ振り返る。
「国への忠、王様への誠、己への義に変わりなし」
「そうじゃないんですよ、大護軍様!」

どうやら頭は良いが、少々気の短い男らしい。
ムソンの大きくなった叫び声にヨンは息を吐いた。
「話す気はない」
「俺は悔しいんだ。皆殺しにしてやりたいんですよ!なかった事には、どうしても出来ないんだ!!」

市の裏途の真中で叫ぶムソンの顔に、ヨンの黒い眸が当たる。
ウンスはそんなムソンとヨンを、何も判らぬままに見比べる。
「何故だ!赤月隊なら判るでしょう、大護軍様!雷功を放つあの隊長の、最後の弟子のあんたなら!」

ヨンは素早く一歩寄り、ムソンの薄汚れた上衣の襟首を大きな掌で思いきり強く捻って掴み上げた。
「お前」

掴み掛かった勢いでばらけた髪が掛かる面に鼻を寄せ。
地を這う低い声で初めてヨンは肚裡から、今一度真に誰何する。

「誰だ」

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

2 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    さらんさん、今日もお話を更新いただき、ありがとうございます。
    またまた、ワケありの殿方が登場で、いったいどんな展開になるの?と、ワクワクしています。
    ヨンが絡むことなら、いつにも増してウンスは黙って見ているなんてことはできないでしょうね。
    危ないところにウンスを近づけたくないヨンの気持ちもわかりつつ、今回もハラハラドキドキのお話になるのでは…と期待に胸をふくらませる私です。
    さらんさん、蒸し暑い日曜日です。
    くれぐれもご自愛くださいね。

  • SECRET: 0
    PASS:
    またまたいわくありげな奴の登場に、ドキドキですね。
    毎回、ハラハラ&キュンキュンしてます。
    猛暑の日々。さらんさんも、熱中症や夏バテに気をつけて下さいね。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です