2016 再開祭 | 薄・中篇

 

 

腕を組み真白な馬場の景色を眺めるチェ・ヨンの脇。
鋤鍬に円匙は疎か、雪を掻けそうなあらゆる道具を手にした司畜営官が列を成し、柵の中へと入って行く。

冬の間の見慣れた風景。
未だ薄暗い刻からの仕事は、夜に積もった雪を掻く事から始まる。
余りの寒さに溶けるのを忘れた雪は柔らかいうちに柵の外へと放り出され、其処で根雪の山になる。

雪が大方なくなったところで、外周の散策を終えた馬が馬場へ放される。
白い息が馬場を雲のように煙らせ、その中を好きに駈け跳ね廻った馬達の足跡と熱で残った雪も完全に消えた頃。
鍛錬の騎手が鞍を掛け、いよいよ本格的な鍛錬が始まる。

その中にあの若駒の馬体を見つけ、チェ・ヨンの視線が止まる。

まだ鞍を掛けるには幼い駒はチェ・ヨンを見つけると尾を立てて、泥を飛ばす勢いで駈けて来た。
そして柵越しに目を細め首を伸ばすと鼻を擦り寄せる。

連れて来た責任感で、こうして見に来るだけなのに。
そう思いながら擦り寄った鼻先を撫でてみる。
「隊長様」

厩を行き来する営官が、そんな様子に馬草を抱えたまま足を止めて言った。
「本当にその若駒が可愛いのですね」
否とも応とも返答せず、チェ・ヨンはその黒い濡れた目を見る。
「・・・怪我をさせるな」

暫しの無言の後で白い息と共にそれだけ呟くと、チェ・ヨンは踵を返した。

可愛いなどという掴み処のない甘やかな気持ちを持った事はない。
ただ知りたい。生まれたばかりの仔馬から手を掛けて、何処まで戦場で通用する軍馬に育つのか。
呂布の赤兎馬とまでは望みが過ぎても、そこそこにはなるだろう。

馬は良い。どれだけ離れて見ていても、気付けば必ず駆けて来る。
余計な事など尋ねたりしない。確りと躾ければ駈手の言葉を聞く。
進めと言えば進み、行くなと言えば何処にも行かない。
待てと言えばいつまでも、其処で黙ったまま待っている。
操る手綱をを信じ、声を信じ、決して背くことはない。

人は駄目だとチェ・ヨンは思う。
行くなと言っても行き、待っていろと言っても待たず、信じろと言っても信じない。
この声は相手の中で都合良く捻じ曲げられる。

厩から兵舎ヘ深い雪中を戻る足跡が刻まれる。
沿って連なる殿舎の屋根の上、足跡を残さないように飛びながら影が一つ従いて来る。

 

*****

 

高い枝から雪のように、薄桜の花弁が降り注ぐ。
その桜雪は銘々の肩に落ち衣を滑り落ちていく。
「隊長」

呼ばれた声に足を止め、黒い眸だけが振り返る。
変わらない無言に呼んだ男の顔に苦笑が浮かぶ。

チェ・ヨンの何がそれほど気に入ったのか、皇宮侍医チャン・ビンは折に触れて声を掛ける。

隊長、茶を飲みにいらっしゃいませんか。

熱意と期待を込めた声で飽きもせず。

そしてごく稀に気紛れでチェ・ヨンが頷くと嬉し気に典医寺へ招き入れ、香高い茶を淹れた。
誘ったからと茶話に興じるでもない。互いに無言の静寂の刻。

ただ今回はどうやらそんな茶の誘いではないらしい。
呼んでは良いが先を続けないチャン・ビンに焦れ踵を返す。
背を向けたチェ・ヨンの横に並び
「王様に少し、御体を動かして頂いた方が良いようです」

ゆったりとした懐手で何気ない風を装いながら、チャン・ビンは周囲に届かないよう小さく言った。
理由はチェ・ヨンにも判る。
禿魯花に赴いた事もない庶子の出自を快く思わない政敵が、皇宮に溢れている。
心を塞いでいると知れ渡れば、それを口実に玉座を引き摺り下ろしたい者は多い。

年齢に相応しい笑いを忘れた、若き王の顔を思い浮かべてみる。
チャン・ビンの救済を直訴しに行った時は、笑ってから淋しそうに自らを戒めていた少年が。

「宜しければ馬にでも」
「馬鹿か」
提案を無下に一蹴する声に、チャン・ビンは横のチェ・ヨンへと視線を流す。
頑として視線を真直ぐ前へ向けたまま
「王様が馬術を修めれば敵は如何思う。次は剣を抜くかと思うぞ。却って足許が危うくなる」
そのチェ・ヨンの声にチャン・ビンは成程と小さく頷いた。

「動かすならば蹴鞠か投壷でもしろ」
「・・・ですが」
尚も食い下がるチャン・ビンのしつこさに、初めてチェ・ヨンの視線が戻る。
チャン・ビンはそれを受け困ったように微笑んだ。

「王様よりのたっての御希望です。隊長が近頃、頻繁に厩舎へと通われている事を御存じで。
共に居る為に、乗馬を習われたいと」

 

*****

 

「可愛い馬だ」
王は踏台の上に伸び上がるようにして、柵越しの若駒を飽かず眺めた。

桜の許、チェ・ヨンとチャン・ビンだけが傍に侍る馬場。
周囲を気にせず春の陽を浴びる王が久々に浮かべた明るい表情に、男二人は静かに頭を下げる。
「名は何と」
「名」

付けねばならないのか。以前にも問われたそれに、チェ・ヨンは押し黙る。
王は若駒からチェ・ヨンへと目を移して頷いた。
「そうです。名があり、呼んで心が通じる。隊長が親なのだから、付けてやらねば呼びようがない」

春に出会い夏、秋、冬。何度巡ろうとも気持ちは変わらない。
死にたがる親が授ける名など、生き延びた馬には忌まわしかろう。
「名は・・・」

王の声に背く事は出来ない。総てから自由になれる日まで。
チェ・ヨンは感情の籠らぬ声で言った。礼を失さぬように。
「名を御呼びになるまでも御座いません。馬とお呼び下さい」

玉座の主が変わり、季節が幾度巡っても変わる事はない。
道端の石ほど好きにして良い命と扱われるなら、名など授けるだけ無駄なのだから。

堅い声に王はチェ・ヨンを見詰め、チャン・ビンは小さな嘆息を漏らした。

 

 

 

 

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