雲雨巫山 | 拾伍

 

 

「ね?お願いだから。お墓の事も、いろんな事も。この40年はまだまだ決めなくていいし、ゆっくり一緒に考えましょ」
「イムジャ」

掌を包まれたままで呼ぶ。
幾度伝えれば良いんだ。俺の事などどうなっても構わんと。
「あなたは、どうなんだ」
「え?」
「あなたもその四十年、共にいて下さるのですか。
先の世界にあなたの事はどう残っているのですか」
「・・・え~っとね?」

その心裡は読み切れん。
それでもその声で、あなたが明らかに何かを隠そうとしているのだけは判る。
「イムジャ」

先の世界を知り、そしてもしもあなたが俺よりも先に眠ると判っているなら。
そのあなたを一人で眠らせることが、俺に出来るのだろうか。
そんな事は耐えられん。その時が来るなら必ず共に眠りたい。

今のように共に眠り、時の螺旋の中で共に起き、次の世では迷うことなく初めからあなたを見つけたい。
今の朝のよう、この眸を開く瞬間に最初にあなたを映したい。
永遠に結ばれる絆を、迷う事無く最初からあなたと結びたい。
廻り道しかせぬ俺だから、せめて待たせる事無く出逢いたい。

それなのに、あなたは答をくれようとはしない。
共に居てくれるのか、そうでないのか。
「居て下さるのですか」

居て下さるなら李 成桂など物の数でもない。
この世の誰も、俺の首を獲る事など出来ない。
千年でも萬年でもあなたと共に生きよう。
けれどもし居ないなら。
それならあなたの教えて下さった四十年は、何の意味も無い。
「下さらないのですか」
「・・・実はね?」

あなたが小さく声を落とし、申し訳なさげにこの顔を見上げる。
まるで賜薬の宣旨を待つ心持で、その鳶色の瞳を覗き込む。
其処に一瞬の嘘の欠片が過る事も見逃さぬよう眸を凝らす。

「よく、分かってないの」
「・・・は」
「あなたの奥さんに柳氏っていう人がいるのは、歴史上の事実よ。
ああ、でもこれって多分私の事で、先に死んだのかどうかまでは、私は知らないの。国史で柳氏を勉強した記憶もないのよね」
「御存じ、無いのですか」

其処さえ御存知ならば、後の事など塵芥だ。
何故その最も肝心の一点を御存知無いのだ。

「私が勉強不足か、それともやっぱり歴史は男性メインだからなのか、よく分からないんだけど。ひどいわよね? 男尊女卑だと思わない?
女だっていろんな歴史上の女傑がいたはずなのに、たいがい残ってるのは三大悪女とか言われて、それも出て来るのは今から先よ。
朝鮮時代だもの。チャン・ノクスとチョン・ナンジョン、チャン禧嬪。ドラマにも何度もなってるわ。
チョン・ナンジャンの時代は 文定王后って女傑の名前は残ってるけど」

逸れて行きそうな話に、思わず小さな手を握り返す。
「そんな話は、今はどうでも」
「どうでもよくないの、ヨンア」
「イムジャ!」
「あなた自身がこれから選ぶ道がもしも史実と一緒なら。それはきっと私が原因だし、そして私の為にそうしてくれる。
私のせいであなたが道を間違えるなら、私も悪女ってことよ。
でもね、テグさんたちと会って、和尚様にもまたこうして会えて、崔家のお墓にもお参り出来て、メヒさんがいる事も知って、だから言っておきたいの。
ヨンア、勢いで決めたりしないで。この鉄原があなたの故郷だし、この菩提寺に崔家のお墓がある。
メヒさんの妹に会ったからって、あんな風に睨んだりしないで。剣を握ったりしないで」

その繰り返す懇願の声に約束を返す事は出来ん。
同じ事が起これば、俺は幾度でも同じ事をする。
たとえあなたがするなと言おうと、あなたを傷つける者をそのまま見逃す事も、黙って見過ごす事も絶対に出来ん。
だからと言って、あなたを怯えさせたかったのでは無い。

「あなたを脅す気は」
「分かってる。ヨンアは私を驚かす気はなかったって。でもね、そういう風にこれから私の為にあなたがたくさん苦しい思いをするのかなって思う方が辛い」
「あなた自身は!」

此処まで来て、墓の前で他の女が既に入っていると知ったあなた自身の心の痛みは。
俺ですらこれ程驚いたものを、それでもそうして俺の事ばかり考え続けるあなた自身は。

「いっそ恨み言の一つでも聞かせてくれ」
「恨み言?何で?」
「何故ではないでしょう、何とも思いませんか」
「お墓にメヒさんがいる事?」
「はい」

それなのにあなたはまた笑う。
秋の陽に髪を梳かせて、その瞳を胡桃色に透かせて。

「ねえヨンア、知ってる?もし子供のいる人を好きになったら、絶対にその相手に聞いちゃいけない事があるの」
「俺に子は」
「分かってるってば」

この方は薄く透ける色の瞳を三日月の形にして言った。
「たとえばの話よ。まあ聞いて」
「・・・何ですか」
「私と子供と、どっちが大切?そう聞いちゃいけないの」
「それは」

それは確かに禁句だろう。思わず小さく首を傾げた俺に畳み込むような声が掛かる。
「そして、もうひとつ。絶対に考えちゃいけない事があるの」
「・・・まだありますか」
「うん。もしも1人しか助けられないとして、自分とその子がその人の目の前で溺れたら。
崖から落ちそうになったら、どっちを助けるか。それを考えちゃいけないの」
「俺は」

子が居らずに、本当に幸いだ。今だからこそ迷わずに誓える。
「大切な者はあなたしかおらん。迷わずあなたを助ける」
「うん、そうよね。あなたは絶対そうする。分かってる。でもそれは今のあなたに子供がいないから。私が言いたいのはね」

俺のこの方は、こうしていつでも知らぬ顔を見せる。
昨日までそんな表情を浮かべた事が無いのに、今日はまるで観世音菩薩のような、穏やかで包み込むような笑みを。

「子供は誰かと愛し合った何よりの生きてる証だわ。相手とどうなろうと事実は変えられない。何の罪もない。すてきな思い出の証でしょ。
関わる全員が無条件に守って、大切にしていかなきゃいけない。
そう思えないなら最初から子供のいる人と、変えられない過去のある人と、付き合ったり、愛し合ったりする資格はないと思ってる」

確かに子ならばそうだろう。
けれどこの過去まで一纏めに包んで、その痛みまであなたが背負うと言うのか。
俺自身よりもあなたが心を痛めて、それでも共に生きると言うのか。
何処まで馬鹿な方だ。そして何処まで愛おしい方だ。

「罪を憎んで人を憎まずよ、ヨンア」
そう言ってこの方は、照れ臭げに微笑んだ。
今度は己がよく知る、少し道化たいつもの笑顔で。
「やだ、今私すっごくいいこと言ったでしょ!」
「・・・はい」
「でしょ?ほめてほめて」
「さすがに両親の前では」

俺が墓所を眸で示すと、この方は慌てたように姿勢を正した。
「そうよヨンア、まずはご挨拶しなきゃ」

 

 

 

 

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