「イムジャ」
爺の診立ての後、秋の宅の庭を案内しつつこの方へと問う。
「なあに?」
「怒っていますか」
眸を見上げるあなたが愛おしい。魂と引換えにしても欲しい。
それでも俺は尋ねなかった。先にあなたに尋ねはしなかった。
この宅を爺に譲って良いかと。
尋ねてどんな答が返ろうと、既に心は決まっていた。
戻って来られぬ俺が持つより、爺が持つ方が遥かに良い。
父上があれ程信を置いた爺が住まってくれれば本望だ。
爺の言い分にも一理ある。
もしもこの方との間に子を授かればさぞ愛おしかろう。
この世の全てを与えてやりたくなるだろう。
それは金子や邸や、珠や財宝などではない。
金子より遥かに価値ある、生きる為の智慧。
邸より遥かに暖かい愛しい者との出逢い。
珠より遥かに貴重な掌中の宝の慈しみ方。
財宝より遥かに大切な方を護るための力。
俺の持つその全てを、授かる事の出来た愛しい子に渡したい。
そして教えたい。生きていれば、必ずお前も出逢えるのだと。
この父のように、どれ程打ちのめされようと時がかかろうと、生きてさえいれば必ず出逢えるのだと。
父の全てが此処から始まったよう、お前もお前の場所から始めろ。
与えられる物などそれしかない。それだけを与え道を示してやる。
見金如石。あの父上の金言と共に。
「もしかして、お屋敷の事?」
この肚を見透かすように、その瞳が悪戯に笑む。
「・・・はい」
「どうして怒るの?私は専門医じゃないけど、視力の落ちた人には環境の変化はストレスになるわ。それは常識だもの。
でも失明ではないと思うの。かなり進んではいるけど。私たちは今すぐに、ここに引っ越してこられない。
テグさんたちが住んでくれて、守ってくれれば、一番いいじゃない」
「子は、どうします」
俺の問い掛けにこの方は、小さな貝のような耳を赤くする。
「だって・・・まだ授かってもいないのよ?」
「ええ」
「もし授かったら」
赤い耳のまま、白く細い指がこの指先をそっと絡め取る。
「羨ましいって思うなあ。開京にも鉄原にも、いろんなところにハラボジやハルモニやがいるのよ?
お休みごとにいろんな場所に遊びに行けるわ。
私は田舎育ちで家族もみんな近くにいたから、学生時代の夏休みや秋夕に田舎に帰るっていうのがなかったの」
「宅を譲って構いませんか」
「当たり前じゃない!あなたのものよ。あなたが選ぶ道が一番いい。安心して気兼ねせずに住む場所があるのは、病気の時にはいいのよ」
絡め取られたこの指先を振りながら、あなたは陽射しの中で笑む。
「あなたのもので他の人にあげちゃダメって言うのはひとつだけ」
「一つ、ですか」
「そう。それ以外のものならあなたが誰に何をあげても構わないわ。
私が絶対に一生ダメって譲れない、許せないものはひとつだけ」
その言葉に背が固くなる。我儘なこの方の事だ。
知らずに譲ると言い出せば大騒ぎになり兼ねん。
「何ですか」
「え?」
「赦せぬものとは」
「・・・ええーっ?」
その大声に思わず歩を止め、陽射しの中のこの方を見つめる。
何故突然それ程叫ぶ。
この方は呆れたようこの眸を見上げ、その瞳を丸くしている。
「ねえヨンア」
「はい」
「これって、ハネムーンよ?覚えてる?」
「・・・はい」
はねむーんの則は知らぬ。
それでも今の言葉、譲れぬものと何か係わりがあるという事か。
「最高にロマンティックなはずなのに」
深い息を吐き、絡んだ指先を解き、この方は勝手すら知らぬ宅の庭を怒ったように先へと歩き始めた。
手が掛かる事は判っている。
だからこそ後で気まずい事にならぬよう、まず尋ねた。
それが尋ねた先からいきなりこの様だ。
知らずにいても騒ぎ、知ろうとしても騒ぎになるとは。
「イムジャ」
「知らない」
「イムジャ」
「聞かない!」
息を吐き首を振り、その場で歩を止め細い背に呼び掛ける。
「ウンスヤ」
「そんな風に呼んだって、絶対ダメ」
それでもあなたは足を止め、数歩離れた処から振り返った。
走って逃げぬだけでも以前よりはましという事か。
「判らぬから訊いた。何処が悪いのですか」
「なんにも考えないで聞くからでしょ!」
陽射しに透けた亜麻色の髪を振りたて、其処からこの眸を睨む瞳を静かに見つめ返す。
「考えぬわけでは」
「じゃあ今から考えて」
俺が持つもの。他の誰かに譲れば決して赦さぬもの。
「・・・あなただ」
俺が持ち、決して誰にも譲れぬものなどそれしか無い。
「あなた以外なら何でもくれてやる」
この声に陽射しの中、その白い頬までが紅くなる。
まるであなただけ一足早い夕陽の中にいるように。
「惜しい、ヨンア!すっごくステキだけど、私の答えとは違うわ」
それでもそう言って、あなたが此方へ一歩戻る。
互いの距離が一歩寄り、その息遣いが近くなる。
俺が持つもの。譲ればあなたが決して赦さぬもの。
それでもこの方ではないと言うその声に首を捻る。
「あなた以外にはありません」
「うーん、じゃあ降参?」
「いえ」
その問い掛けに首を振る。降参など真平だ。
「じゃあ5秒あげるから考えて」
もう既に俺の様子を愉しむように、この方がそう言って笑う。
「5」
俺が持つもの、譲れば決して赦されぬもの。
「4」
あなた以外には無い。譲れぬものなど何も無い。
王様に至っては、譲る譲らぬという方ではない。
「3」
仲間を渡すくらいなら、相手を全て斬り捨てる。
鬼剣を譲れぬ事は、この方は誰より知っている。
「2」
降参など御免だ。諦めればあなたは臍を曲げるのだろう。
この手を振り払い、また先刻のよう背を向けるのだろう。
「1、タイムアップね」
声と共に此処へ戻ったあなたが再び、この指先をその細く
暖かな指で絡め取る。
「誰にも、二度とこの手を握らせないで」
腕の中に戻ったその柔らかい声が、この耳朶を震わせる。
「あなたの心を誰にもあげないで。そんな事したら許さない」
その声に眸を瞠り、手を握られたまま立ち尽くす。
この手を握らせるな。
手を握られた俺、そして握ったままのあなたに秋の陽が射す。
この心をやるな。
馬鹿げた答が、思い当たるものを探した頭の中を幾度も過る。
まだ傾かぬ秋の透明な陽が、写し取る俺達の影を庭へ伸ばす。

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も~ なんて可愛らしいんでしょう
この手を… 心を…
当たり前です~ 誰にもそのようなことはと
思っていたでしょうが
ウンスの口から改めて聞くと
もうすぐにでも抱きしめちゃいそう~
離さないわよ~ 手も 心も ( ̄▽+ ̄*)
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さらんさん❤︎
ハネムーンに相応しい、可愛らしいやり取りを、涎を垂らさんばかりに指を咥えているのは、何を隠そう、私です(・ω・)ノ。
寡黙で、特に甘甘な言葉を発しないヨンに、ハネムーン中くらいはイチャイチャ会話をしてみたくなったのかもしれませんね、新妻ウンスは…(#^.^#)。
でも、子や孫に残すとしたら、お金や動産よりも大事なものがある、というヨンの考え方は素晴らしく…❤︎
宵越しの銭など持たずに、ぱあっと使っちまう私には、共感すること多々ありです。
…え? そういうことじゃない?
ご、ご、ごめんなさいっ!(´Д` )
さらんさん、遅めのランチを食べながら拝読させていただきましたが、さらんさんはきちんと食事されてますか~?❤︎
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これは・・・ 完敗 です ♡
ヨンさんじゃなくても、
可愛い、こんなウンスさんだったら
誰でも惚れちゃいます。ね^^
尤も、ウンスさんがこんなことを思って告げる
相手は一人だけ、でしょうけど(*´艸`*)