雲雨巫山 | 柒

 

 

「ムン・チフ様と共に幾度もここにいらしていましたね。俺もよく覚えています」
「そうだな」

この庭の桜木の下、目だけで笑っていた少女。
季節を共に超えて来た、俺の幼馴染の隊仲間。
この心に埋められぬ穴を穿ち逝った俺の初戀。
「亡くなられた事も」
「・・・ああ」
「御気の毒だと思います。ただ、旦那様」

シベクは俯いていた眼を上げ、ようやく俺を見た。
「何だ」
「メヒ様が今、本家の墓に入っている事を御存知ですか」

その声に、鉛を呑んだような鈍い重さがこの肚に落ちる。
「・・・崔家の墓所内に、弔われているのか」
「はい」

イムジャ。

透明な秋の陽射しの中で笑う、永遠の魂の片割れ。
この命と引き換えても欲しいと乞う、唯一人の女人。

あなただけが今の俺の真実。
そしてあなたの瞳に映る俺だけが真実だ。

あなたを追い駆け、待ち続け、手にしてまだ足りぬとねだった。
心のまま走り、その最後の息まで護り、傷つける者は赦さぬと。
それで良い。他には何も要らぬ。欲しい物も護りたい者も無い。
その誓いには一点の曇りも、毛筋ほどの偽りも無いのに。

螺旋は続く。遥かな刻の中、俺達はみな運命に導かれるのか。
導かれて出逢い、運命が絡み合い、心は惹かれ合い、そして呪いも続くのか。
業は断ち切れぬのか。

俺の眸に困惑した視線を伏せたままのシベク。
二頭の馬の向こう、あなたに手を握られ嬉し気に笑む爺。

そしてこの眸の中、もう秋景色の中のあなたしか映らない。

思った事など無かった。生きると呼ぶには程遠かった頃。
こうして此処に戻り来て、もう一度笑える日が来るなど。
イムジャ。こんな運命が今になり、足許に絡む。
この心を縫い止めて、先には行かせまいとする。

絡みつくのは、あの鞭のような真黒くしなやかな髪。
縫い止めるのは、声を立てず笑むあの漆黒の闇の瞳。

変わらぬものなど何一つ無い。時は進み戻る事は無い。
何故なんだ。何故今になってまたその名を聞く。
ましてその最後に、崔家の敷地内に眠るなど。

あの野辺送りの後、葬ったのではないのか。
隊長の、そしてメヒの悲しい野辺送りの列。
野原に伸びる薄暮の中の、影のような列しか記憶にない。

その後はただひたすら眠った記憶しかない。
全てに蓋をし、そして夢の中でだけ会える事を楽しみに。
連れて行けと願い、夢でなく会える事だけを望みながら。

あなたを待ったあの頃。
眠らずにに待てたのは、信じていたからだ。
怖かったのは彷徨い歩くあなたの事だった。
寒くはないか。怪我などしていないか。
無鉄砲なあなたが無理をしているのではないか。

走って行ってやることも出来ん。
ただ空に向かい、幾度も呼んだ。

戻って来い。俺は此処にいる。
此処で待っている。あなたが戻るまで。
眠る間など無い。
あなたが無事に戻るよう、この地を平定せねばならん。
凍る間など無い。
戻って来た時、必ずあの丘で待っていなければならん。
そうでなければまた探させる。また呼ばせる事になる。
そんな事になれば、二度と生きてはいかれない。

揺るぎも迷いも疑いもなく、ただ長かった。
その長過ぎた時の螺旋を、丘に戻ったあなたが断ち切った。
弾んだ息で、溢れる涙で、そして瞳とその声で。

全てが正しく進んだと思っていた。
あなたが戻りもう一度進み始めた時は、正しく刻まれていると。

正しい返答を聞き、正しい時を過ごし、この永久の誓いを護り、生涯横にただあなただけが居てくれれば良いと。

胸に立てた墓標に一握ずつの砂をかけ、ようやく全て埋まった今。
あなたを傷つける者は赦さない。そして何があっても変わらない。

メヒ。お前を赦すなと言うか。憎めと言うのか。
忘れられるより、憎まれる方が楽だと言うのか。

一体何故なんだ。もう全て忘れ楽に眠れば良い。
そうしたかったんだろ。全てが辛すぎたんだろ。
だからこの言葉を信じなかった。願いは聞き入れられなかった。
なのに最後に何故、この俺の横を選ぶんだ。
あの時にお前が残れば、この声が届いていれば今の俺達はない。

俺の横に立って笑っていたのは、もしかすればあの方ではなく。

「・・・旦那様」

不安げなシベクの声に絡繰り人形のように頷きながら、この眸はすぐ向こうに立つ、明るい陽の中のあの方を見つめ続ける。

指を伸ばし、触れて確かめ、この腕に閉じ込められるほど傍に居る。

考えられん。あの方以外には考える事は出来ん。
今ここでこの眸に映る、この景色だけが真実だ。

たとえ何が起きようと、あの頃に戻りたいとは思わない。

イムジャ。

こんな事になるならあなたを連れて来なければ良かった。
この旅の最後にその瞳に映る己が、裏切り者になるならば。

 

 

 

 

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10 件のコメント

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    あの時はそうするしかなかったのでしょ
    メヒはメヒだよ…
    縁があったのは ウンスだったってだけよ~
    ウンスは うん 大丈夫だよ。゚(T^T)゚。
    連れてきてくれてありがとうって言いそう
    勝手な想像です。

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    ウンスを心から愛するヨンだから
    心が痛いですよね(..)
    でも
    ウンスなら大丈夫です!
    だって先の世の
    ヨンの祀堂の碑文を知ってるものね❤
    さらんさんのお話が再開されて
    また幸せ日々を過ごしてます。
    ありがとうございます❤

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    メヒはチェ家の墓に眠ってるんですね。
    ヨンもその事は知らなかったみたいですね…
    ヨンも今知ったその事実をウンスにどう伝えるのか
    ヨンはウンスに裏切られたと思われるのが怖いですよね。
    あの時のメヒはヨンを置いて逝ったのに。
    ウンスを苦しめたら死んだメヒでもヨンは許せないでしょうし…
    どうするのかな。続きが気になります!!

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    さらんさん…今宵もお話を更新いただき、ありがとうございます。
    やはりメヒが弔われていたのですね…。
    かつて若かりし頃は互いの背を護り、戦いに明け暮れ、それでも愛しかったメヒですが、結局、最後はヨンを信じ切れず、頼りきれず、命を絶ったのでしたね。
    愛する人を護りきれなかったという心の傷は、ヨンにとっては憎しみにも似た苦い味がするのかもしれません。
    でも、男前ヨンと同様、さらんさんとこのウンスは、複雑な思いを抱えつつも、きっとメヒのことも受け止めるのではないでしょうか。
    今、目の前に居るヨンが其処に立っているのは、メヒと生きた過去からの繋がりでもあるのですからね。
    崔瑩のお墓に刻まれた文字の理由…、さらんさんならではの解明を楽しみにしております。
    さらんさん、ゆっくりお休みくださいね。

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    メヒは許婚だったから,そしてもしかしたら両親がもういなくて,チェ家のお墓に入れてあげたのかな。
    実は私史実を知った時,ちょっと妄想した事があって。
    史実では寵愛されたユ夫人が第二夫人だから,メヒが正式に婚儀を上げていないとは言え,許婚だったから第一夫人扱いになってるとか・・・(史実と二次の合わせた妄想ですね( ´艸`))
    それだとチェ家お墓に入ってるのも納得ですしね。
    とにかくヨンが心配しなくてもウンスは理解してくれると思います。
    続き楽しみにしていますね♪

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    そう来ましたか!
    ウンスがこの時代に来たことで歴史が修正されて本来の流れになっているのでは・・・
    そんなことウンスが言っていたような・・・・
    またヨンの事が心配でウンスが無理しなきゃいいけど・・

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    裏切り者になんてならない..
    だって心はイムジャだけ
    あの頃にも戻りたいとも思っていない
    だけど過去は消せないから
    ヨンの過去も含めて イムジャは愛してるはず
    だからそんな風に 己を責めないでほしい
    曲がったことの許せない 真直ぐな性分
    ある意味 めんどくさい性格?
    でもそれが チェヨン
    だからこそイムジャが愛した男
    何も裏切っていないのだから
    苦しまないで
    そして これからの二人の生活だけを思いめぐらせて

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    そう来ましたか。。。
    楽しい新婚旅行だったね。。では終わらない、さらんワールド。
    さてウンス。どういう態度をとるのでしょうか?
    そして、何故崔家の墓所内に弔われることになったの?
    さらんワールドに引き込まれます。
    早く次が読みたーい!!

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    う~ん
    メヒが葬られてるとは‥
    最初から知って、承知しているのと、ハネムーンで現地で知らされるのは違うよね‥
    ウンスは第二夫人?
    この時代、第二夫人って側室?
    系譜にも、他全てに正妻のメヒって事?
    史実ではウンスは第二夫人とも側室とも見たような‥
    差がわからず すいません

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