赤更紗【前篇】| 2015 summer request・金魚売

 

 

【 赤更紗 】

 

 

坤成殿の窓際、明るい夏の陽に透けて輝く硝子の鉢。
その硝子細工の鉢は射す光よりも遥かに薄く透き通り、鉢を満たす水はどの池よりも川よりも清らかに見える。

その水の中を泳ぐ赤更紗が、ひらりと赤い尾を躍らせる。

坤成殿の扉外、王の内官の声がする。
「チェ尚宮様」
扉内を守るチェ尚宮は、其方を見もせぬ王妃へ目礼すると、静かに扉の外へ出で、すぐに戻る。
「・・・王妃媽媽」

窓際の椅子へ腰を下ろし無言のまま赤更紗を見詰める王妃へ、チェ尚宮が抑えた声を掛ける。
「何だ」
「王様が、お呼びで御座います」
「何故」
「詳細は」
「呑気なものだ」

王妃は息を吐き、窓際の椅子から音高く立ち上がる。
「理由も判らず、主の呼び出しに応じるとは」

胡服の裳裾を翻し、音高く坤成殿の扉から表の回廊へ出る王妃の背に黙して従い、チェ尚宮は息を吐く。

確かに美しい姫君だ。しかしこの気の強さ、どうにかならぬものか。
これであのお優しく、聡明な王様の御相手が務まるとは思えぬ。

実の御母君様にすら顧みられることの少なかった、十の御歳までこの命と引き換えに御守りした王様。
高麗に戻られると知った時には、どれ程に嬉しく、そしてどれ程に心が痛かった事か。

徳成府院君 奇轍が我が物顔に幅を利かせる皇宮。
王様の御立場を揺るぎないものにするために甥にまで目を光らせ、愚かな真似を仕出かさぬよう気を張ってお帰りをお待ちした。

その王様が、元より連れ帰った女人がこれだ。
おまけに甥は腹を割かれた上、訳の分からぬ赤毛女を連れ帰る始末。
一体全体、どうなっている。
何方にも、女人の難が付き纏うておるとしか思えぬ。

チェ尚宮は回廊の床だけを見詰め、王妃の後ろで首を振る。

 

*****

 

「お呼びですか」

呼び出されたのは王様の御部屋ではない。
憎い宗主国の王の娘を、御自身の御部屋に呼び出すわけなどない。
大臣衆との会議に使用する宣任殿に踏み入り、玉座の王様へ問う。

この方は妾がこうして玉座脇、離れた壁際に据えた王妃の席へ腰を下ろしても、一顧だにしようともされぬ。
胡服の下、背筋に棒でも入れて支えておるかのように背を伸ばし、視線を真正面の宣任殿の扉へ当て、堅い声で呟くだけだ。
「傷は如何か」

妾に何かあれば、この国が、御自身の民が危うくなる。ただそれだけが理由の様子伺い。
妾の身を案じておられるでも、痛みを気に懸けておられるでもない。
「問題なく」

返す自分の声を遥か遠くから響くもののように耳にしながらお伝えすると、王様は息を吐いた。
「診立は」

まるで真冬の草原を吹き渡る吹雪のようだ。温かさなど欠片も無い。
触れるもの全て薙ぎ倒し、凍らせて渡っていく地吹雪のような声だ。
妾も、王様も。
外はまだ夏の盛りと言うのに。

「受けております」
返る声すら、もう無いようだ。
妾の返答に頷くと、王様は用は済んだとでもいうよう口を閉じた。

固い横顔を最後に見ると、王様は如何にも鬱陶しいもののように、宣任殿の扉へ視線を投げていた目すら閉じた。
今日もお顔を見る事はなかった。
そのまま椅子を立ち、宣任殿の脇の扉を抜ける。

もう王様がどんな御顔をしているのかすら忘れそうだ。だからこそ幾度もなぞって思い出す。

あの日、元の宮で、共に逃げようとこの目を見つめて下さった目を。
幼い日、月の下の馬車で、逃げようとこの手を掴んで下さった手を。
その目を求めて、その手を信じて、今もこうして待つ己の愚かさを。

妾は、本当に愚かだ。

宣任殿を後に、こうしてまた一人、誰も待つ者のない殿へと帰る。
待っているのは、あの窓際の赤更紗。

あの赤更紗も淋しかろう。広い硝子鉢の中、独りきりで泳ぐのは。
それでも二尾にはしてやれぬ。待つ者がいなくなるのは淋しすぎる。

 

*****

 

「お呼びですか」

この方に呼び出された私室の扉を叩く。
返らぬ声に不審に思い、その扉を静かに押し開く。
「ねえ」

扉を開けた途端、如何にも腹立たし気に投げつけられた声に、微かに眉を顰める。
「漢方の先生、私、もしかして人質?」
「・・・は?」

天界の方を人質になどとんでもない事だ。
私は首を振り、苛立たし気に振り立てる赤い髪を見る。
「違うならなんで、何もさせてくれないの」
「何も、とは」

この方が隊長に連れられ、この世へいらした初めての夜。
眩い光を額から発し、その光の中、目にも止まらぬ鮮やかな手捌きで王妃媽媽の刀傷を治療された日。
ご自身が刺した隊長の肚をもう一度深く割き、縫い合わせたあの日。

こうして皇宮までお連れしたのは単なる成り行きだ。
暫くゆるりと滞在され、隊長の傷が癒えればお帰りになる。
それで良いではないか。これ以上何をされたいと言うのだ。

「あのサイコは診察に来ない。王妃を診察するわけでもない。これじゃ監禁罪よ。
用が済んだんなら早く送ってって!返してよ!」
「隊長以外は、お送りするわけには」
「何でよ!!」
「医員様をお返しすると誓ったのは、隊長ですから」

嘘だ。こうして口にする己には分かっている。
あのチョ・イルシンが、己の株を上げるためどれ程に卑劣な手も使う男が、簡単に切り札を手放すわけがない。

新たな王様。未だそのお心の裡は読めない。
傷ついても、正道を歩むお覚悟のある方か。
奸計に、甘言に乗り、安楽な道を行く方か。

この天界の医員様のおっしゃる通り未だに此処へ留め置かれている事が、何かの証拠なのかもしれない。
この方の自由を奪い、こうして留め置いている事が。

「私は籠の鳥でも、金魚鉢の金魚でもないの。こんなところに1日だっていたくない。
ご飯はまずいしお風呂は不便だし、トイレなんて考えたくもない有様だし、息が詰まってほんとに死にそう!!」

そう叫ぶこの方を目の前に、私は深く項垂れた。
本当だ。この方は今まさに籠の鳥、鉢の中の赤い金魚。
隊長が快癒し天界へお返しするまで、言葉通り、そんな身の上になってしまわれた。

 

 

 

 

来ませんでしたか?遠い遠い昔。
平岩弓枝さんの世界では
よく出てくるんですが
夏=金魚売りって図式が
江戸時代はあったかも?^^

でもでも高麗ではね・・・・・フフフフ (victoryさま)

 

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