西氷庫【弐】 | 2015 summer request・かき氷

 

 

椅子を引いて腰を掛け、何気なく窓の外へ眸を流す。
チェ・ヨンは其処に誰も居らぬ事を確かめてから低く声を落とす。
「俺の本貫を御存知ですか」

チェ・ヨンの前の椅子を引き腰掛けながら、ウンスは左右に首を振る。
「ううん、どこ?」
「郷貫は鉄原邑です」
「うん」
「山に囲まれ水は豊かで、冬場は途轍も無く寒い」
「そうなのね?」
「ええ。こうした処では何が出来ると思いますか」
「山に囲まれて、水が多くて、冬は寒い・・・」
「山深くに、天然の氷室が出来ます」
「え?」
「洞などの奥から染み出た水が冬の寒さで凍りつく。山深い故、夏の間も溶けぬ。
それが重なって年中凍った室が出来る」
「そうなの!」

山遊びを多くしてきたお陰だ。
人は滅多に立ち入らぬ、獣ばかりの深山に餓鬼の頃見つけた氷室がいくつかある。
チェ尚宮とて知っているはずだ。
それとも己同様、無益な争いを避けるため敢えて王妃の前で口にしなかったのか。
それはそれであの頑固な叔母らしいと、ヨンは薄く笑む。

「典医寺の治療で氷が必要ならば、侍医が氷牌を持っている筈です。
私用に使う氷を、西氷庫から受けるつもりはありません」

この男がここまで言い切ればもう何を言っても無駄だと、ウンスは黙って頷いた。
「氷が欲しくば山を登りましょう。虎か熊が出るかもしれませんが」
「命まで懸けるほどじゃないわよ!」
慌てたように大声で言い首を振るウンスに、ヨンは笑って頷いた。
「この夏は諦めて下さい。俺も長くは皇宮を空けられぬ。次の夏にはお連れします」
「分かった、でも」

尚もしつこく食い下がるウンスに、ヨンが呆れた眸を向ける。
「私たちが直接貰うんじゃなきゃ、いい?もしもすごいもの作ったら、あなたも食べてみる?」
「・・・イムジャ」

一体何をする気なのか、相変わらず想像も出来ぬ。
期待に満ちたウンスの瞳を避けるように、ヨンは典医寺の部屋の天井の木目へ黒い眸を投げ上げた。

 

*****

 

「叔母様!!」
「・・・はい、医仙」
「あ、あ、あの、チェ尚宮様」
駆け寄ったチェ尚宮に医仙と呼ばれ、ウンスは慌てて呼び方を改める。
昨日の王妃の坤成殿での会話を、注意深く思い出しながら。

ヨンの話してくれた氷室の話は、きっと言ってはいけないのだろう。
そうでなければ今までずっと黙っているはずがない。
でも牛乳も砂糖も卵も氷もあるなら、そしてそれを王妃に使うのは許されているなら。
「水刺房に、一緒に行ってもらえませんか?」

わくわくと見開かれるウンスの目にチェ尚宮は首を傾げる。
「それは・・・構いませんが」
「あと、最後にどうしても欲しいんです。氷が」
「ああ、昨日もおっしゃっていましたね」
「はい!」

チェ尚宮は脇に控えた武閣氏の一人に視線を流す。
その武閣氏がチェ尚宮の視線に頷き、坤成殿の扉前でチェ尚宮の守っていた空間を埋めるよう、僅かずつ陣を広げて立ち直す。
「参りましょう」

そうだけ言って坤成殿の回廊を足早に歩き出したチェ尚宮の背に、ウンスは慌てて追い縋った。

 

水刺房まで足を運び、その入口で立ち止まると
「邪魔するぞ」
チェ尚宮は中へとひと声を掛けた後、ウンスを伴って踏み込んだ。
「チェ尚宮様」
水刺房の裳を着けた女官に呼ばれ、チェ尚宮は頷いて背後のウンスを振り返る。
「何を御所望ですか」

その声に頷きながら水刺房をぐるりと見渡し、ウンスは目の前の水刺房の女官へと指を折り始めた。
「銅でも銀でも構いません。なるべく大きな器、それから牛乳」
「駝酪だ」
チェ尚宮の的確な訂正に
「はい、チェ尚宮様」
水刺房の女官が頷いた。
「あとは砂糖と、鶏の卵。それから塩。あと・・・」

ウンスが言葉を続けるのに、チェ尚宮が驚いたように微かにその目を瞠る。
「医仙」
「はい?」
呼ばれたウンスがチェ尚宮へ振り向くと
「昨日は卵までとのお話でしたが」
「ああ」
ウンスは笑って頷いた。
「貴重な氷なので、どうせ作るならうーんと美味しいものを」
「・・・はあ」

同意なのか溜息なのか分からない息を吐くチェ尚宮に、ウンスは臆する様子も無いまま水刺房の女官へ向き直り、改めて続けた。

「それから」

 

*****

 

わんわんと降る蝉時雨の中、ウンスはチェ尚宮と並んで足を止めた。
「ここが、氷庫ですか」
「はい、医仙」

皇宮の奥。こんな場所まで踏み入った事は今まで一度もない。
一体この皇宮ってところは、どこまで広いんだろう。
ウンスは弾む息を押さえながら、目の前のぶ厚そうな煉瓦造りの小さな建物の入口に立つ兵達をぐるりと見渡した。
「叔母様」

小声で呼び掛けるウンスに、諦めたようにチェ尚宮が目を向ける。
「・・・なんだ」
「ここからは時間との勝負です」
「確かにこの暑さでは、氷は氷庫から出せば直に溶ける」
「おっしゃる通りです。それで、ですね」
「うむ」
「出来る限り刀の扱いに慣れた人を、大勢呼んでほしいんです」
「まあ、武閣氏でも迂達赤でも。で、何をする」
「氷を、うーんと細かく削ってほしいので」

思いも及ばないウンスの声に、チェ尚宮が目を丸くする。
「刀で、氷を削れという事か」
「はい!」
「ウンスヤ」
「はい?」
「良いか、氷というのは、上にものを乗せて冷やすものだ」
「ああ、この世界ではそうやって使うんですね?」
「・・・天界では、違うのか」
「もちろんそんな風にも使いますが、うーんと細かく削って上から蜜や果物を乗せて、そのまま食べるんです」
「氷をそのまま食べるのか」
「はい!」
「・・・珍妙な・・・」

解せないという風情で、チェ尚宮が首を振る。
「論より証拠です、パッピンス・・・って言っても今回は小豆が間に合わなかったから、ピンスですけど。
媽媽に、ぜひ召し上がって頂きたくて。よろしければ王様にも」
「・・・相分かった。参るぞ」

そう言ってチェ尚宮は真直ぐに、氷庫へ向かって歩き始めた。

 

*****

 

「て、大護軍!」
迂達赤の兵舎、駈け込んで来たテマンの姿に、吹抜に居合わせた全員の目が当たる。
「どうした、テマナ」
額に汗をかくテマンにチュンソクが問い掛ける。
「何かあったのか」
テマンは話す時間さえ惜し気に、その声に首を振った。
「チェ尚宮様が、お呼びです」
「坤成殿か」
チュンソクが重ねて問いながら吹抜の中、生木の段に腰を下ろしたチェ・ヨンへと目を当てる。
ヨンはその目に頷き返すと段から腰を上げた。
「いえ、水刺房で」

テマンの声に踏み出したヨンの歩が止まり、チュンソクの目が丸くなる。
「出来る限り、剣上手を大勢呼べと」
「水刺房」
「は、はい大護軍」
「水刺房に、剣上手を」
「はい」

その肚の裡を読めぬのはウンスだけで十分だ。
あの叔母までがそうなっては、明らかに己の手に余る。
ヨンはチュンソクへと曖昧に頷きながら
「今手の空いている奴を四、五人も呼べ」

ヨンの声に同じく不得要領な面で、チュンソクが頷いた。

 

 

 

 

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