海路【前篇】 | 2015 summer request・海路

 

 

【 海路 】

 

 


※ 2014Xmas request:藤浪 外伝です。
先に其方を読んでからお読みくださいませ。

 

*****

 

拝啓、から始まるのが、書簡の常であろうに。

文頭の決まり文句どころか時候の挨拶も何もない。
いきなり本題から入るのが、型破りのあの人らしい。

決して達筆とは言えぬただの書き殴りのような文を読み返し、大きく息を吐き、空を見上げる。

おかしいと、先に疑うべきだった。
追い立てるよう異国へ送られる手筈を整えられた時点で。

「龍馬さんからの文ですか」
異国の港町の風に吹かれ髪を押さえた典医殿が、己の手許を覗き込む。

船を下りるたび、その景色が変わる。
石造りの壁、ぎやまんの飾り窓、赤い焼瓦の敷き詰められた屋根。
陽の色、海の色、空の雲、吹く風の匂いすらも風景の中で変わる。
花の香、木々の香、町の香、水の香、砂の香、その全てが変わる。

変わらぬのは唯一つ。横のこの方の香だけだ。

船上であろうと見慣れぬ街中であろうと、その花の香は変わらない。
それを横に感じるたびに、深く息を吸う。胸を掴まれるほどに懐かしい。
その掴まれた胸の奥から溢れ出る、痛いような、苦しいような物想いと共に。

それでも今日胸が苦しいのは、その香のせいではない。
「・・・瑩さん」
龍馬さんからの文を覗き込み、文字を追った典医殿の目が大きく瞠られる。
横に立つ己の眸を見上げ、名を呼ぶ声が小さく震える。
「文を覗くなど、悪戯は程々に」
そう言いながら文を握り締める己の手に、小さい手が重なった。

「帰りましょう」
そう言って小さな手を握り締めそっと放した後に、二人で石畳をゆっくりと歩き出す。

ああ、違った。 変わらないものがもう一つある。

色の違う陽が落とすというのに、地に伸びる影だけは変わらない。
途轍もなく黒く昏い、その影だけが。

 

*****

 

「瑩さん」
「大望、入口を」
「はい」
滞在の宿まで戻り、それだけ伝えて大望を入口の衛へ立たせ、ようやく寝台まで辿り着く。

設えられた寝台へ腰を下ろし、深く息を吐き両掌で顔を覆う。
これ程無理難題を押し付けられた使節団だなど、龍馬さんの文で知るまで思いもしなかった。

今上様が利用されて発した攘夷勅命。
それを持って閉鎖された我が国の港町。
武蔵国でまたしても起きた、浪士による仏蘭西兵の殺傷。
それを謝罪し扶助金を支払い、港の閉鎖は解かぬと伝えるなど。
そんな事を、勢いづいた相手国が呑むはずもない。

畏れ多くも今上様は己を京から逃がすおつもりで、使節団へと潜り込ませたのだ。
新しい名と身分を与え、国へ戻っても京へは帰らずとも良いと、そういう事だったのだ。
少なくとも使節団にいる限り、異国で命を取られることはない。
あの国の中で闘うような、血で血を洗うような争いはない。

自分は一体何の為に、あの時国許を離れたのだ。
異国で見聞を広め、学んで、そして国へと帰る。
その見識を今上様の御為に、そして国の為に役立てるのではなかったのか。
内より敵を知り、その脅威を退け、国を守る為ではなかったのか。

今こうして龍馬さんからの殴り書きでしか見えてこない、聞こえてこない、涯ない海の向こうの祖国。
あの人たちが迎えようと、血を流しながら待ち続ける朝。
それを助けるためではなかったというのか。
己だけが安全な場所へと逃がされて、ほとぼりが冷めたら帰る。
そして何もなかったよう次は学者として生きて行けという事か。

その時小さく叩かれた木の扉に、大望の背が動く。
「瑩さん、良いですか」

外から聞こえる小さな声に大望の目がこちらを伺う。
黙って頷く此方を確かめ開かれた扉の外、典医殿の横顔が覗く。

息を吐いて寝台から腰を上げ、扉へと歩み寄るこの姿を見つけ、その瞳が優しく細められた。

 

*****

「瑩さん」
「・・・はい」
「あの後、考えたんです」
明るい鳶色の澄んだ大きな瞳が、物怖じせずに俺を見る。

こちらも異国の言葉は解さぬが、それは相手も同じ事。
異国の楽なのは傍に同じ使節団の者が居ない限り、大きな声を交わせること。
周囲の異国人から珍奇の目では見られても、内容は決して漏れないことだ。

滞在する館から僅かに歩いた先。
晴れた空の下、河岸で典医殿と向き合った。
何しろいつであっても元気の良い方だ。声も良く通る。
はっきりとした口吻で迷いなく、きびきびと、典医殿はおっしゃった。

己とは違う。
これ程迷い、立場故に口を閉ざし、諦めに呑まれ、流れに流されてきた己とは違う。
だからこそ面倒だった。そしてだからこそ、惹かれて止まない。

「何を、考えたのです」
「私の役目です」
「・・・典医殿」
「ああ、もうその呼び方はやめてください」
典医殿はそう言って、陽の下で大きく笑んだ。
「瑩さん」
「はい」
「私の髪が、短くなったら嫌ですか」
「・・・・・・は?」

突然の典医殿の問いに、我ながら間の抜けた声が出る。
なぜ今藪から棒に、髪の話などを持ちだすのだ。
「髪、ですか」
「そう。髪」
「長かろうと短かろうと全く構いません、あなたはあなただ」
「良かった!武士に二言はないですよね」
「勿論です」

己の答に、向き合ったこの方が大きく笑んだ。
「瑩さん」
「はい」
「お願いしたいことがあります。一刻したら、もう一度逢って頂けませんか」
「それは全く構いませんが」

投げられる問いに何一つ満足に答えられぬと言うのに、この方の中では全て辻褄があっているようだ。
向き合ったこの方は頷くと、館へ向かい歩き出した。

その横につき、弾むように歩く小さな背を守り、溜息を吐く。
その頭の中が全く分からない。

じゃあ、と館の部屋の前で別れ、一刻程の後。
己の部屋の木の扉が、本当にもう一度叩かれた。
「瑩さん!」

外から聞こえる元気な声に今回はさすがに少し呆れた様子で、大望がこちらを振り返る。
苦く笑いつつ頷くと、大望は諦めたように首を振りながら、 木の扉を大きく開いた。

小さな横顔が見えるはずの場所に立つ、見知らぬ少年のようなその男。
いや。男ではない。
男の髪をした、地味な色の絣を着たその人を、大望と己の目が同時に認める。

「入れて下さい」
その明るい声だけは、聞き間違えようもない。
長かった髪をばっさり切り落とし思い切り短髪にした恩綏殿。
大望が強張った顔のまま、慌てふためいて部屋の中へ通した。

 

 

 

 

藤浪、大好きなんです❤

リクエストは「海路」、続きが気になってるんです。
幸せでしょうか・・・ (ぶんさま)

 

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