
ウンスの背を追いながらチェ・ヨンは声を掛けてみる。
「布は良いのですか」
「もういい!一緒に歩くのも嫌なんでしょ」
「そうでは」
なんと言えば良いのだろうとチェ・ヨンは惑う。
嫌なわけではない。嫌なら端から連れて来ない。
ただ照れ臭いのだ。
その顔を兵に見られたくないだけだと、怒ったままのウンスにどう言えば通じるのだろうか。
無言のチェ・ヨンに痺れを切らしたように、今度はウンスが足早に歩き始めた。
今にも転んでしまいそうな、まるで歩きたての赤子のような、ウンスの不安定な足許が怖い。
いつでも支えられるよう半歩詰め、チェ・ヨンは横を護る。
典医寺への途中の東屋まで差し掛かり、ようやく息を吐く。
人目の無い此処でなら、少しだけ安心して話せる。
「・・・イムジャ」
チェ・ヨンの声にウンスの足が止まる。
「何よ」
チェ・ヨンが東屋を眸で示すとウンスの瞳がそれを追いかけ、ようやく嬉しそうに緩んだ。
「別に、人前でベタベタしたいわけじゃないわ」
夏の東屋の池、水面を風が渡る。
東屋の中、少しは人目を避けられるその影に腰を下ろすウンスの脇、 チェ・ヨンは立ったまま池を眺める。
「子供じゃないんだし、そんな事であなたの気持ちを計ろうって思ってるわけでもない。ただ一緒にいられる時は」
「・・・はい」
「その時は、あなたが笑ってくれたらいいなあって思うのよ。もっと楽しそうにしてくれたらいいなぁ、って。
なのにいっつもそんな風に見えない。怒ってる?つまんない?」
「は?」
ウンスの言葉に驚いてチェ・ヨンの口から上がった声に、ウンスはまた不満げな目を当てる。
その目に首を振りながら、チェ・ヨンは否定の意を示す。
「いえ」
「だって、そう見えるんだもの」
「たとえ見えても」
「じゃあ、そういう顔をして見せてよ。嬉しいんならうんと笑ったり、楽しいって口で言ってくれなきゃ」
「それは」
言わなければ伝わらないのか。笑わなければ見えないのか。
相手の仕草から目線から、その肚の裡を読む事はないのか。
ウンスが以前言った言葉を、チェ・ヨンは繰り返してみる。
「ぱあとなあ、では、ないのですか」
「そうよ。だから何でも話してって言ったじゃない」
「見れば分かりませんか」
「分かるわけないわよ、黙ってたら」
そういうものなのか。
だとすれば天界とは以前ウンスが言ったように、 随分と呑気な場所のようだ。
奸計を告げろと言って告げるはずもない敵を相手に、その肚を読む事に慣れて来た自分には到底思いも及ばない。
恋慕う相手と共に居るからへらへらと笑い、その一挙手一投足に驚けと言われても。
笑う事すら忘れて過ごした時間の長かった自分。
ウンスと出会って以来、これまでで一番笑っているとチェ・ヨンは思う。
そして目の前で膨れるウンスをじっと見つめる。
「端切れは・・・どうしますか」
絞り出したチェ・ヨンの声に、ウンスが頷く。
「欲しい」
「では市井に求めに行きましょう」
「わざわざ外に?」
もう一度兵舎へ戻りあいつらの好奇の視線に晒されるよりましだ。
諦めたチェ・ヨンは微かに顎先で頷いた。
*****
呼び出された夕刻の典医寺。
既に陽は傾きかけ、扉脇の歩哨も引き上げている。
何故ウンスは近頃、こうも頻繁に自分を呼び出すのか。
チェ・ヨンは溜息をつきながら典医寺の部屋の扉を叩く。
「どうぞ」
扉のすぐ裏、近い処で返るウンスの声にチェ・ヨンは首を傾げ、その扉を大きく開く。
「・・・・・・ばぁっ!!」
扉に踏み入った瞬間に顔の前に突き出された棒を武人の本能で大きく払い除け、次の瞬間に鬼剣の柄へと右手が伸びる。
鞘から抜くのをどうにか堪え、チェ・ヨンはその棒の先を眺めた。
先日市井で求めたと思しき白い布が、棒先に巻かれて揺れている。
その布には墨で何やら線や点が描かれている。
「驚いた?驚いたでしょ!!」
布の逆側の棒の先端を両手に握ったウンスが扉の影から言って、嬉し気に小さな顔を覗かせた。
「・・・本当に、いつになれば覚えるのですか」
布を眺めて鬼剣の柄を握る手を緩め、チェ・ヨンは一言ずつ区切り、諭すようにウンスに尋ねた。
「え?」
「兵の前に棒を突き出すなど。斬れと言っているのと同じです」
此度はウンスの思い違いではない。
自分は心からうんざりした表情を浮かべているはずだ。
そう思いながらも、チェ・ヨンはその表情を改める気にもなれない。
相手が自分以外ならば、危険が及ぶのはウンス自身だ。
ふざけていたでは済まない事にさすがに気付いたのだろう。
チェ・ヨンの不機嫌な顔に、ウンスも黙り込む。
「・・・ごめん。もうしない」
「ええ」
腹は立っても気落ちした様子のウンスを見れば、機嫌の一つも取ってやりたい気分で、チェ・ヨンは口調を改めた。
「これは、何です」
「よく見てよ、分かんない?」
「全く」
「お化けよ!!」
ウンスはチェ・ヨンの問い掛けに、気を良くしたように明るく言った。
「・・・は・・・」
その白い、ひらひらとしたもの。墨で描かれた小さな点と線。
これが独脚鬼だとウンスは言う。
チェ・ヨンは白い布の、先端の尖りを指で示した。
「では、この頭のものは」
「角よ」
「黒い点は」
「目に決まってるじゃない!」
「この線は」
「口よ、可愛いでしょ?」
可愛らしい。確かに可愛らしくて笑ってしまいそうだ。
但し白い独脚鬼ではなく、それを拵えたウンスが。
チェ・ヨンは眸を逸らすと、小さく咳払いをして頷いた。
「ねえ、それにしても」
チェ・ヨンの眸が穏やかになったのを確かめてウンスがそう言い、ぐるりと回り込んで、逸らしたチェ・ヨンの眸を覗き込む。
「あなたには、なんにもないの?」
「何がです」
「怖いものとか」
「・・・怖いもの」
低く繰り返すチェ・ヨンの声にウンスは大きく頷いた。
「試したりしないから、ちょっと教えてよ!」
「怖いもの・・・」
あなたの転びそうな歩き方が怖い。
だからいつでも、横で支えたくなる。
チェ・ヨンは目の前の、わくわくした顔のウンスに首を振る。
言えるわけがない、心の中でそう思いながら。

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う~ん 言えないね
言えないよね。 言っちゃいたいけど
言っちゃおうか?
だいぶスッキリしちゃうし
ウンスだって ビックリするだろうけど
喜ぶんじゃない?
あれ 違ったりして… (//・_・//)
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さらんさん、こんばんは(#^.^#)。
可愛らしいオバケのお話、ありがとうございます。
二人のやりとりが初々しくて、照れ臭さを隠そうとするヨンも相変わらず素敵で…。
ウンスに振り回されていても、嬉しそうですよね❤︎
さらんさん、一週間お疲れ様でした。
週末もお仕事でしょうか?(´Д` )
少しはゆっくりお休み下さいねσ(^_^;)