遑【参】 | 2015 summer request・vacation(ドチver)

 

 

 

 

大君媽媽が御心に元との決別をお決めになる最大の裏切りは、媽媽が元にいらして八度目の年に起きた。
僅か十二歳で逝去された甥王に代わり、元は大君媽媽ではなく兄君忠惠王の庶子、尹氏の御子息慶昌君媽媽を封冊した。

高麗の皇宮は、満場一致で大君媽媽を次期王として推挙した。
それなのにその決定すら覆し、元の血を引く御母上すら持たぬ、庶子であられる慶昌君媽媽を。

大君媽媽は、その裏切りに傷つかれただけではない。
この動きが分かるや否や、雪崩を打ったように周囲から日毎に去っていく者たちに傷つき、疲れ果てていらした。
昨日までは御自身を次期王として担ぎ上げ祀り上げた者らの心の変わりよう、その裏切りに疲れ切ってしまわれた。

高麗の王は代々、禿魯花に出て来た。
元の宮で元に親しみ、元の風習を覚え、元と顔つなぎをし。
大君媽媽の御父君も、兄君も、甥君も禿魯花として過ごされた。
けれど此度は、その代々の倣いさえも破られた。
新しい王様、慶昌君媽媽は、禿魯花にも出ておいでではない。
今まで次期王の候補として、御名が挙がった事もない。
その方を突然、王として封冊する。これが元の裏切りでなくば何だと言うのだ。

媽媽のお側に侍った者たちは思っていた。
次期高麗王は、必ず禿魯花として元に行かれる。
だから己も其処へ侍り、慣れぬ異国の風土にも耐えよう。

しかし慶昌君媽媽の封冊がその全てを変えたのだ。
禿魯花に出ておらずとも、庶子であろうとも王になれる。
ならば己が辛い異国の生活に辛抱する事はない。
慣れた高麗で次の王を見つける方が手っ取り早い。

その人心の乱れが雪崩を起こした。
人が減り続け寂しさを増す宮を眺め、去っていく昨日までの同僚、昨日までの媽媽の供を見詰めながら心で呟く。

お前たちは去っていくが良い。それでも私は必ず残る。
たとえ二度と高麗の土を踏まなくとも媽媽のお側で、この命が尽きるまで御守りする。
運命は九つの時から決まっている。この天子様、天の定めた御方に尽くすと決まった。

そして同じ頃私は、元で共に過ごしていた女人を娶った。
媽媽が元にいらして四年目に、御衣装を管理する繍房の女官として高麗よりやって来た娘だった。

「嬉しい」
そんな場合ではない事は判っているが、黙ったままにもいかない。
妻を娶った事をお伝えすると、媽媽の御顔が久々に晴れた。
「異国でもそうしてドチが幸せになれると聞いて、心より嬉しい」
「・・・媽媽」

こんな時だと言うのに、身勝手な決定をした私をお責めにもならず、それどころか卑小なこの身に余る御言葉を掛けて下さる。
私が頭を下げると、媽媽はその目をふと窓の外の空へ向けられた。
「ドチヤ」
「はい、大君媽媽」
「細君と、帰っても良いぞ」
「いいえ」
私はそのお問い掛けに即座に首を横に振った。

「帰る時は、聖君となられた媽媽と共に帰りましょう」
大君媽媽の見つめる窓の外、鳥が一羽渡っていた。
「あの鳥のように、自由に飛べれば良いのにな」

私はこのまま、地に居るままで良い。
ただ願わくば、媽媽に自由に飛んで頂く為の翼を捧げられれば、どれ程嬉しい事だろう。
この命と引き換えにその翼を得られるならば、喜んで死ねるのに。

私は己の流す涙で霞んでいく、空の鳥を眺め続けていた。

 

*****

 

「・・・御酒を、召し上がりませんか」
二人で構えた慎ましい部屋へ戻ると、妻がそう聞くことがあった。
大君媽媽の不遇に心を痛め、元の裏切りに憤り、心配を掛けまいと妻に告げることもならず、一人悶々と悩む時。

夕餉の卓で、妻はそんな風に聞く。
それが何の合図なのか、次第に分かるようになってからは、妻は私に聞かず黙って酒を用意するようになった。
夕餉の卓に置かれた盃を見ながら笑む事も、息を吐く事もあった。

大君媽媽のお力になりたいと、焦りが募るばかりだったそんな時。
元の魏王より、魯国大長公主様の婿候補として大君媽媽を宮にお迎えしたい、お会いしたいとの親書が届いた。

大君媽媽が既に元の者に、たとえ王族に対しても例外なく御心をお許しにならぬのはよく判っていた。
「しかしこれは、千載一遇の好機だぞ」
チョ・イルシン殿は興奮した面持ちで唾を飛ばし、内密に部屋に集った私たちを血走った目で見渡した。

「魏王の公主を娶る事が叶えば、大君媽媽もまだ王となる機会が巡って来よう。さもなくばこのまま沈んでしまう」

大君媽媽が沈んでしまわれるなど、それだけは許されない。私は、必ずとお約束したのだ。
必ず聖君として、大君媽媽を高麗へお帰しすると。
「大君媽媽には内密に、指定の日、魏王の宮へお運び頂く」
そのチョ・イルシン殿の囁きに、私は頷いた。

媽媽にあの空を飛んで頂きたい。それだけを願って。
その為なら喜んで命と引き換えにする、そう誓って。
後で真相をお知りになった媽媽に、どのような罰でも与えて頂こう。
媽媽が大空を飛べるのなら、この命は喜んで捧げよう。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    さらんさん、今宵も素敵なお話をありがとうございます。
    たった一人…、されど誰よりも自分を護ってくれる大事な一人が、ドチなのですね。
    本当の味方は、窮地にこそわかるものだと言いますが、自分から離れていった者達をどんな思いで見送ったのかと、泣けてきます。
    でも、慶昌君とて決して自分から望んだ地位ではなく、あのような悲しい最期が待っているのですから、王位というものは羽根をむしり取られた美しい鳥のようなものかもしれません。
    そんな哀しさを、さらんさんは見事に表現してくださいました。感謝、感謝です。
    さらんさん、明日からまた新しい一週間ですね。
    お互い、頑張りましょうね。

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