夏便り【前篇】 | 2015 summer request・鰻

 

 

【 夏便り 】

 

 

タウンもコムも離れへ下がり、夕餉を終えた宵の口。
それぞれに湯も使い終え、涼風が抜ける縁側にチェ・ヨンはウンスと共に腰を下ろす。

「ねえ、ヨンア」
ヨンはウンスの淹れたメシル茶を飲みながら、己を覗き込む瞳を見遣る。
「鰻ってこの時代にもあるの?食べた記憶がないんだけど」
「鰻、ですか」
突然のウンスの問いに、ヨンは穏やかに頷く。
「あります。お好きですか」
「やっぱりあるの?」
「はい」

蛇を連想させる外見といい、ぬるぬると滑るせいで調理に手間取る事といい。
王様の御膳に上がる事はない。その為皇宮の水刺房では、まず扱わぬだろう。
殆どの時間を皇宮で過ごしたウンスが、口にも目にもしなかったのは当然かもしれぬと、ヨンも腑に落ちる。
「鰻、手に入らないかなあ」

ねだるこの方に微笑んで、俺は頷いた。
「分かりました」
その太鼓判に嬉しそうにこの方が顎の前、小さな両手を合わせた。
「やっぱり頼りになる、うちの旦那様」

その一言で舞い上がるこの心も、何処まで単純なのか。
「しかし、何故」
「夏の伏日には、絶対に参鶏湯か鰻なの」
また不思議な事を言い出したこの方に首を傾げる。

「季節の食べ物なのよ。専門店ならともかく、普通の家では鰻を食べるなら夏。だいたいそう決まってるの」
「季節を限るのですか」
「そうよ。鰻は夏の便りなの。作るから食べて体力つけてね!」

悪戯な顔で笑い、ふざけたように腕を曲げて力瘤を作るこの方をじっと見る。
いつもならば有無を言わせず攫うよう膝に乗せる縁側で、今宵はこの方へと伸ばしそうな腕を、肚裡で宥める。

夜ですら蝉声の響く盛夏。抱き締めてはこの方が暑かろう。
蟋蟀の鳴声に代わるまでは、この腕の出番は少ない。
涼しくなれば、温もりが恋しくなれば、この膝の出番だ。

そう思いながら、亜麻色の長い髪に手を伸ばす。
伸ばした指の金の輪の、永遠の誓いの石が光る。
掌だけで花の香の髪を撫で、俺は目許を緩めた。

 

*****

 

「テマナ」

翌朝迂達赤兵舎へ入るなり其処で出迎えたテマンを呼び、懐から一通の書状を出すと、ヨンはそれをテマンへ渡す。
テマンは不思議そうに渡された書状を眺め、ヨンへと目を戻す。
「江華島へ、遣いを出して欲しい」
「江華島ですか」

思いも掛けぬ地名に、テマンが首を傾げる。
「ああ」
「わかりました。すぐに」
「迂達赤は使うな。手裏房に頼め」
そのまま走り出しそうな勢いを削ぎ告げたヨンに、テマンは振り向きもう一度深く頷いた。
「わかりました」

ウンスがねだるならば、出来得る限り最上のものを。
開京から近く、新鮮なまま手に入る最上の鰻ならば、江華島。

 

そして三日。
テマンが驚いた様子で兵舎の私室へと上がって来たのは、昼近い中天の夏の太陽が輝く刻だった。
「て、大護軍」
「・・・どうした」

夏の昼刻、歩哨以外の兵の鍛錬は控えている。
私室でチュンソクと額を突き合わせ、秋からの兵の鍛錬の方策をヨンは練っていた。

北の元、紅巾族、南の倭寇。今の高麗に休む暇などない。
眸を光らせ流れを読み、何時何処であれ出陣できるよう。

馬、弓、剣、槍、手縛、攻撃、防御、海での戦法、山での戦法。
王様をどうお守りし、残りの兵をどう分配するか。
横陣、魚鱗、鶴翼、偃月、鋒矢、どの陣を組む事が最も効率的か。
相打ちを避け自陣の兵を喪わず、如何に迅速に相手の将を取るか。

迂達赤だけではない。この先禁軍も官軍も、国境隊も待っている。
奴らの鍛錬も順につけて行かねばならぬと、効率的な順を計じる。
どの兵も死なぬ程度に、そして最高の武技の腕を持たせるために。

長閑に茫としている間などない。
今は蝉声だけが響く宵、気付けば蟋蟀や螽斯の声が取って代わる。
あの小さな体の温もりが恋しくて堪らぬ季節が直ぐにやって来る。

その中に響いたテマンの声に、ヨン達は揃って目を扉へと投げる。
「す、すみません。あの」
大護軍と隊長に揃って凝と見詰められたテマンは、扉口で狼狽えたよう口籠る。

「どうした、テマナ」
無言のテマンに見兼ねたチュンソクが助け船を出すと
「江華島から、荷が」

その声に僅かに笑むと、ヨンは頷いた。
己の事なら一を聞いて十を知るテマンでも、此度の荷はさぞや意外だったに違いない。
蛇のような鰻がのたくる桶を開けたテマンの、驚いた顔が目に浮かぶ。
「驚かせたな」
「は、はい」
「代金は」
「要らないからと、遣いの奴が」
「どういう事だ」
「わ、わかりません」

正直にそう言って首を振るテマンに頷くと、
「後で確かめる。そのまま宅へ運んで、タウンかコムに渡してくれ」
ヨンの声にテマンは大きく頷き返し、そのまま来た扉から駆け出て行った。
「何が届いたのですか」
ヨン達の遣り取りを黙って聞いていたチュンソクが、不思議そうに尋ねる。
「・・・夏の便りだ」
呟くヨンに尚更分からぬと言いたげに、チュンソクは首を捻った。

 

*****

 

いつもの通り典医寺でウンスと落ち合い、そのまま愛馬で宅へと戻る。
手綱を預けると、八手の葉ほど大きな掌で受けたコムは、微笑んで馬の鼻面を撫でる。
ウンスが鞍を降りるのに手を貸し、ヨンはそのままウンスに並び、宅の玄関へ歩き出す。
コムは珍しく厩へ牽くでなく、愛馬チュホンを門の脇の横木へと繋ぐと二人の後につく。
「ヨンさん」
「おう」
「昼に、テマンさんが荷を」
「面倒掛けたな」
「青鰻でしたが、念の為真水に」
「有難い」
しかし何処か不得要領な顔のコムに、ヨンは首を傾げる。
「どうした」
「ヨンさん、あれは」
「ああ」
「何人で、召し上がるんですか」
「俺達四人だろ」
「・・・それは・・・」

そう言ったまま口籠るコムに眸を当てる。
コムの戸惑う眼を見てヨンは短く訊いた。

「・・・荷は何処だ」

 

「ヨンア・・・?」
「・・・はい」

足の踏み場もないとはまさしくこの事だ。
ヨンはウンスと並び、背後のコムと三人で、厨の盥の中を凝と見る。

厨の床に置かれた二つの大盥。
その中にびっしり重なり合いのたうつ、黒く太い蛇のような鰻の山。
何匹居るのか、見当すらつかぬ。
頭数を数えれば良いのだろうが、その頭を見つけて掴んでいるだけで陽が暮れそうだ。

「こんなに早く手に入れてくれたのは、すっごく嬉しいんだけど」
「はい」
「こんなにたくさんは、さすがにちょっと」
「俺も予想外です」
「そうなの?」
「・・・ええ」

確かに書状に数は書かなかった。
新鮮なものを数匹送ってほしい。
代金は言い値で構わぬと、それだけを認め送ったものを。

「ヨンさん、テマンさんが、これを一緒に」
二人の話の区切りを待ってコムが言い、懐から大きな手で返状を取り出す。

渡されたのは江華島郡守から、此度の遣いへの丁寧な礼状。
皆様で召し上がって頂きたいので多めにお送りする、無論代金など頂くつもりはないと一筆が添えてあった。

奇轍と結託していた目の上の瘤、以前の江華島郡守を退けた己への義理立てか。
若しくはこれを機に、自領の特産物を王様の御膳へ上げるための橋渡しでも期待しておるのか。
何方にしても、物には程度がある。これ程の鰻を如何しろというのだ。

ウンスと並び大盥を覗き込むヨン、そしてその後のコム、三つの困った吐息がやがて重なった。
「これ、どれくらいで食べられるの?」
「青鰻ですから、すぐに」
「コムさん、タウンさんは鰻、捌けるかな?」
「俺は山育ちですし、タウンもどうだか・・・」
「長くは持たないわよねぇ。この暑さだし」
「ええ」
「いつまでもこうやって、飼うわけにはいかないわよね」
「喰うでなく、飼うおつもりですか」
「うーーーーーーーーん」

盥を見下ろし唸ったウンスは次の瞬間、目を輝かせヨンを見上げた。
「ねえヨンア、バーベキューにしよう!」
「ばーべきゅう」
「そう。コムさんたちと、迂達赤も武閣氏オンニも、典医寺も、手裏房のみんなも来れるだけ、呼んで食べよう!!」
その天界の言葉に、慣れぬコムが目を白黒させる。

始まった。ヨンは呆れて首を振る。

ああ、また始まった。この方の天界の則が。

 

 

 

 

 『鰻』で、
お願いします~(苦笑)(hinamiさま)

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5 件のコメント

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    『鰻』を
    こんなに美味しく料理(笑)
    お話にしていただいて嬉しいです!
    さらんさん~素敵です♪
    土俗村で食べた参鶏湯を思い出しました。懐かしい~♪
    “ああ、また始まった”
    ヨンの呟きに(爆)

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    さらんさん❤︎、今宵のお話は婚儀前後の頃のことですね⁈
    ヨンの指輪が眩しいです(#^.^#)
    鰻! 鰻! 大好物です!
    我が家の近所に、蒲焼きが超美味しい鰻屋があるのですが…ああ、思い出すだけでヨダレが…♪(´ε` )
    それと、数年前に韓国出張の折、仁川から少し走ったところの天然鰻で有名だという店に連れて行って貰ったのですが、ぶつ切りの鰻を炭火で焼き、タレを付けて食べた記憶があります。
    美味しく頂きましたが、やはり私は蒲焼きのほうが…
    はっ!いけない!∑(゚Д゚)
    食いしん坊の私ったら、色気より食い気のコメントになってしまいました!(#^.^#)
    さらんさんも、夏バテしないように栄養をお付けくださいね。

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    あはは
    ウンス 行き当たりばったり…
    何とかなるでしょう
    うんうん
    何とかなっちゃう!
    でも…
    だれが 鰻さばくんでしょうね
    タウンさん?
    ウンスがやると 全部逃げちゃうね。

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    二つの大盥にびっしりの鰻。
    とんだ夏の便りがやってきましたねw
    どんなバーベキューになるのか楽しみです♪
    王様と王妃様にも鰻を食べさせてあげたいなぁ。

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