濡髪【参】 | 2015 summer request・水着

 

 

「晴れて、ほんとに良かった!」
典医寺の脇から沢への坂を上がりながら、明るい声が山道の木立に響く。
「・・・ええ」

確かに水辺に行くならば寒いより暑い方が、雨よりは晴れた方が良いには決まっている。
けれどたかだか裏の沢に上がるにしては、はしゃぎ過ぎてはおるまいか。
添うて来たテマンと典医寺で別れ、二人きりで山道を上がる。
上がり切った目前、沢が見え、滝音が聞こえて来たところで
「ヨンア、ちょっと待って!」

俺の前に回り込んだこの方が小さな手で此方を留め、嬉し気に笑う。
坂を上がり切った小高い沢の岸辺、誰の姿も見えぬ事を確かめるよう周囲をぐるりと見渡して。
「誰もいないわよね?」
此方に念押しするように、珍しく訊いて下さる。
水遊びにそこまで気を遣うようになったか。
ようやくこの世の仕来りに慣れて来て下さったかと、安堵の息が漏れる。
「ご安心下さい」

目許を緩め、預かったこの方の荷を近くの岩の上に乗せて頷き答えた途端。
この方の伸びた指が、御自身の纏った医官服の胸の袷紐を解く。
「・・・イムジャ!」
小さな叫びにも臆する事も止まる事も無い指先が、そのまま上衣を白い肩から落とす。
「何を」

止めようにも、既に上衣を肩から落としてしまったこの方を見詰めるわけにもいかぬ。
横を向き手振りだけで必死に
「着て下さい!」

そう声を荒げてもこの方は全く気にする風も無い。
背けたままの横顔の視界の隅、この方がパジを脱ぎ捨てるのまでが目に入る。
「いい加減にしろ!!」
この低い怒号すら意に介さず、涼しげな声が返る。
「いいんだってば、これがビキニなんだから」

思っていた。昨夜の寝屋でも、今も。
機嫌が良すぎると。
いや違う、もっと以前だ。最初に思ったのはあの日この方を典医寺へと迎えに行った折。

トギと愉しげに話すこの方は言っていた。衣を着て泳ぐのは危険だと。
それはこの世でも変わらぬと、あの時は思った。

もっと以前。巴巽村の川岸で金の輪の出来上がりを待つ間、この方は確かに言った。

びきにがあれば。

あの時思った。それが何かは判らぬが無くて良かった。
無くて良かったものに違いないと。

厭な勘ほどよく当たる。これがそれか。
あの時無くて良かったと安堵した、そのびきにか。
この方は高麗の仕来りを覚えて下さった訳ではない。
此処まで肌を晒せば、俺が激怒する事を覚えて下さっただけだ。
だからああして先回りして聞いたのだろう。

誰も居なければ良いのか。
俺の前で、婚儀前に。
いや、たとえ婚儀が終わったとしても、俺の妻になって下さっても。
寝屋以外でここまで素肌を晒して、安心していられるものなのか。

たった一本の頼りない紐で結ばれたごく小さな布で、申し訳程度に白い肌を隠して。
これならば全て晒された方がまだましだ。
僅かに肌を覆った分、その細い紐を解きたいと男が思うとは考えないのか。

「見て見て、可愛いでしょ?作ってもらったの。高麗でもこれから夏には流行るかもねえ」
暢気な声に此方の方が倒れそうだ。
こんな怖ろしいものが流行ってみろ、世の男共がどうなる事か。

「ちゃんと見てってば!あなたに見せようと思って着たんだから」
見なければこの方が臍を曲げるのは確実だ。
首を振り、太く息を吐き、覚悟を決め横顔のまま、一瞬だけ其方へ眸を投げる。

沢を囲む木々からの木漏れ陽の中、その胸元も細い腰も腕も、脛どころか腿の付け根まで剥き出しで。
亜麻色の髪を風に揺らし、心地良さげにこの方が笑っている。
とてもではないが真直ぐ見る事など出来ない。
急いで眸を逸らし、それでも足りず背を向けて唸る。

「正気の沙汰とは思えない」
「やだ、正気よ。だから周りに誰もいないか聞いたじゃない」
「無人なら良いのですか!」
「だってあなたに見せるだけじゃない、あ、そうだ」
この方には羞恥心というものはないのだろうか。
その恰好のまま此方の視界を堂々と横切る姿に此方の方が慌てて身を翻し、剥き出しの肌に背を向ける。

この方は平然とした様子で岩の上に置いた荷を解くと、何やら薄物を取り出しようやくその肌に纏った。
そして続いてもう一枚、何やら短いパジのような物を取り出し、背を向けたままの此方の肩をつつく。
「はいこれ、ヨンアの」
「・・・何です」
「うーん、水泳専用のパジみたいなもの。岩陰で着替えれば?」

冗談だろう。
ご自分だけでなく俺にまで諸肌脱げと強要するのか。
「要りません!」
「だって、あなた一人でその恰好?」
「ええ」
「じゃあ一緒に泳げないじゃない」
「お一人でどうぞ」
「えええ、だって溺れたらどうするの?」
「助けます」
「1人で泳ぐの、さみしいなあ」
「イムジャ!」

たいがいの我儘ならば許そう。笑って下さるなら眸を瞑ろう。
それでも此方にも、限度というものがある。
「良いですか。俺は兵です。幾度言えば判るのです」
「わかってるってば」
「諸肌脱いだ姿で襲われればどうします!」
「だからここにしたんじゃない。上がって来れるのは」

この方の細い指が、典医寺へ続く坂の入口を指す。
「そこだけでしょ?おまけにこんな静か。誰か来ればすぐわかる」
「そ、れは」
「それにあそこを上がってくるまでには、典医寺をずうっと抜けて来るしかないわよね?」
「そうですが」
「テマンが下に残ってくれてるじゃない。トギが一緒にいるんだもの、きっと命を懸けて護るわよね」
「・・・確かに」
「それにあなたほど有能な武将が、ここまで近付く敵を見逃すなんて思えないのよねえ」
「褒め殺しは結構!」
「そんなんじゃないわよ、事実を言ってるだけ。それにあなたなら裸だとしても、絶対守ってくれるはずよね。違う?」

おっしゃる事が正論だから、尚更に腹が立つ。
素肌の上に短い上衣を羽織って下さったこの方へ、ようやく少し落ち着いて振り返る。
相変らず腰から下は剥き出しで、この眸に向かい屈託無く笑み、木漏れ陽の中でこの方は首を傾げた。
「3歩離れたら守れないんでしょ?一生護ってくれるんでしょ?」

首を傾げた拍子に細い肩から滑る亜麻色の髪が、夏の陽に溶ける。

黙って差し出されたパジを奪うように手に取り、岩陰へ歩む。
そんな事をする己こそが、誰よりも正気でないのかもしれん。
「着替え中は、絶対覗かないから!安心してねー!」
背中からそんな明るい声が掛けられる。

当然だろう。
そんな事をされては相手がこの方だとしても、二度と顔を合わせられるとも思えない。

 

 

 

 

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