2016再開祭 | 胸の蝶・廿

 

 

こんな日に限って雨雲が途切れ、久々の薄日が差している。
寒々しい思いで早朝に離れを出る時も、ヒド兄様が帰って来た気配はなかった。

いつも以上に冷たく静まり返った離れの前。
朝早い時には声を掛けないことにしている。
もし今声を掛けたとしても、返事はないに決まっている。

あの雨の中を、どこに行ったのだろう。きっともう私の顔なんて見たくもないに違いない。
でも信じている。兄様が斬ったんじゃない。
どんなに綺麗事だと罵られても、そう思うのだから仕方がない。

嫌われたくはなかったし、傷つけるつもりもなかった。
それでも出て行けと言われた時に私が素直に出て行けば、寒い雨の中に兄様が出て行く必要はなかった。

開京に来て初めての晴れ間を、ようやく通い慣れた宮まで歩く。
足元で跳ねた雨上がりの道の泥が、チマの裾に染みを作る。

私は兄様にとって、この泥汚れのようなものかもしれない。
いくら洗っても薄らと残って、見るたびに気が滅入るような。
歩き方が下手だった昔の自分を思い出すような、そんな汚点。
私は本当に助けられたと思っているのに。昨夜話した事に何一つ嘘なんてないのに。
兄様はもちろん、周囲の人の誰一人裏切る気も、傷つけるつもりもないのに。

黙っていろと言われれば、この先一生口を利かなくても良い。
ウンス様やチェ・ヨン様の側にいるなと言われるなら、この先一生お顔を見なくても良い。
それでも良いから、ヒド兄様の側にいたかっただけなのに。
そんな事をぼんやり考えながら宮中の隅、通る人もない寂しい道を抜け、仁徳宮へ差し掛かった時。

普段なら宮の中から出てくるはずのない、前庭の人影に足が止まる。

そうだ、兄様が言っていた。宮にいるのは僧と王族。
今庭に出ているあの人とそしてもう一人、冷たくて硬い鉄の格子の奥にいる男性以外は、全員が鎧を着ている。
という事は庭に出ているのがお坊様、そしてあの鉄格子の奥にいる隻腕の男性が王族なのだろう。
いつもあの人は、鉄格子の奥の男性に敬語を使っているのだから。

今日に限って何故表にいるのだろう。たとえ前庭とはいえ、自由に出歩くのは許されない筈なのに。
それでも相手はお坊様。
慌てて懐から住職様に授けて頂いた数珠を取り出し手に掛けて、目の前の人影に向かって頭を下げる。

お坊様が私の数珠を、何とも言えず不思議そうな顔で確かめた。
「もし。その数珠をどちらで」
質問には答えず最後に一礼して、私は慌てて宮の離れの厨に走る。
だって兄様と約束した。話すなと。だから私は誰とも話さない。

「遍照殿。中へお戻り下さい」
通りかかった鎧姿の兵が、表面上は丁寧に御坊様に声を掛ける。
そして有無を言わせぬようにそこから動かず、お坊様の動きを待っている。
「遍照殿」

厨に入る直前に振り向くと、お坊様は急かす兵を無視するように、動かずにこちらを見詰めていた。
何故あんなに見ているのだろう。私は何か悪い事をしたのだろうか。
相手がお坊様だから、手を合わせてご挨拶をしたつもりなのに。

礼儀に反したろうか。皇宮ではお坊様に礼はしないのだろうか。
これでもしも、またヒド兄様にご迷惑をかけてしまったら。
私が礼儀を知らないせいで、兄様の大切なチェ・ヨン様やウンス様にまで累が及んでしまったら。

・・・怖い。

一人きりの粗末な厨の中、口を押えて土床にしゃがみ込む。
体を小さく丸めて膝を抱えても、誰にも打ち明けられない。
怖い。自分や、身の安全が心配なのではなくて。
自分のせいでヒド兄様に、兄様の大切な誰かに迷惑をかけるのが怖い。

怖くて一歩も動けない。
昨日までここで自由に料理や掃除をしたのが嘘のようだ。
これ以上嫌われたくない。これ以上迷惑はかけられない。
それなら本当に、ここを出て行くしかないのかもしれない。昨日兄様に言われた通り。

素直に聞き入れない私のせいで、兄様が出て行くなんて変だ。
あんな冷たい雨の中、兄様が出て行ったのは私のせいだ。判っているのなら出て行くしかない。

けれど断りもなくに出て行くわけにもいかない。
開京に連れて来て下さったのは兄様だし、ご挨拶も前置きもなしで勝手に宮から出て行く事は出来ない。

それでは誰に話せば良いんだろう。
兄様は昨夜から帰って来ない。ウンス様には近寄るなと言われた。
散らかった頭の中をどうにか整頓しながら、私はいつまでも土床で一人きり、膝を抱えていた。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    ロム専で読んでましたがやはりこの結末は史実によっていくのでしょうか…
    ヨンとウンス、そして王様、王妃様の事を想うと…

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