2016再開祭 | 昊天・下篇

 

 

打って変わった態度で麺を口に入れる俺を凝視している理由は判る。
「ヒド?」
その尻上がりの問い掛け声の心も読める。

喰う訳が無いと思った俺が大人しく喰えば、さぞ不思議だろう。
そしてその理由が判らずに、肚裡はさぞ戸惑っているだろう。
「さっさと喰え」
「・・・ああ」

奴は女人の横に陣取ると、長い指で箸を取り上げる。
「頂きます」
女人へ小さく頭を下げ、先刻の女人に倣うように酢で麺を解すと辛子を箸先で乗せ、箸を口へ運んで思い切り噎せる。
「ヨンア!」

女人が慌てて卓上の茶を差し出し、咳き込む広い背を撫で擦る。
「ごめん、お酢入れ過ぎ?あなたが戻って来るまでに麺をほぐしておこうと思って、ちょっと先にかけちゃってたの」

暫く咳き込んだ奴はようやく息をつき、赤い眸の縁で女人を見る。
そして仕方がないと言うように目尻を下げると
「それを先に」

そう言って二箸目を注意深く口へ運ぶ。
どれだけ酢をぶち込まれても文句も言わずに黙って喰うのは、込められたものを誰より判っているからだろう。
「ゆっくり喰え」

無言で麺を口に運ぶ男に伝えると、椀を睨んでいた眸が上がる。
「草は刈る」
「ヒド」
「麺の礼に」

草を刈る為の風。そんなものを起こす日が来るとは夢にも思わなかったが。

俺の風はいつも赤い飛沫と共にあった。弑す為の風。

「ヒド、何言ってんだい、礼ならあたしにしとくれよ。拵えたのはあたしなんだから」
マンボが場を混ぜ返し、女人が尤もだと言うように頷いた。
「そうだ、私からもお礼します。皇宮のみんなやご近所にうーんと宣伝しておきますから、任せて下さい。
開京最高のネンミョンがここで食べられるって。商売繁盛間違いなしですよ。独占市場です!稼いでね、姐さん」

その明るい声。
「そりゃありがたいねえ!待ってるよ」
嬉し気なマンボの手を握り、振り回してはしゃぐ笑顔。

弑さぬ風を吹かせたのは、記憶の限り唯一度だけ。
あの時、馬から落ちるこの女人へ風を吹かせた時。
「ヒド」

静かな声で名を呼ばれ顔を上げる。
真直ぐに此方を見る眸から、視線を逸らさぬように注意しながら。
「何だ」
「冷えたか」
「いや」

首を振ると奴は得心行かぬように眉根を寄せて呟く。
「顔が青い」

ヨンをこの世に留める唯一の望みと判っていた。
この女人が居らねば次こそ、未練なく全て捨てると判っていた。
だから助けたかった。何としても。女人の為ではなくこ奴の為に。

俺にとっての大切な人間ではない。俺にはそんな者はいない。
この世で唯一この目を真直ぐ見詰めて許す、こうして見られて殺そうと思わずにいられる、目の前の弟以外。

降り注ぐ蝉時雨が喧しい。煩すぎる声に頭が痛い。

「ほんとに顔色が良くないですよ、ヒドさん。ちょっとだけ脈を診ても」
嵌めた黒手甲をものともせず、躊躇ない指が伸びて来る。
急いで己の手首を引いて、その指先からどうにか逃げる。
「触るな!」
「あ、ごめんなさい」

その怒声を気にも留めず、女人は何も無かったよう指を戻す。
途端に漂う不穏な空気に卓向いの奴が静かに箸を投げ捨てる。
マンボは無言で俺の横顔を見、そして女人だけが変わらない。
「草刈り、今日はやめましょ。いつでも良いんです。ただ食べ慣れない冷麺でアレ・・・拒否反応だった時が怖いんです、特にソバだし。
食べたばっかりで顔が青くなるのは・・・体が痒かったりしませんか?頭痛、吐き気、息が苦しいとか?」
「ない」
「せめて舌だけでも、診せてもらえませんか?」
「断わる」

考えもせず懼れもせずに、あの時風功を放てた事。
一歩間違えしくじれば、ヨンの唯一の希望を切り刻んでいた。
それでもこ奴が大切だから、守る以外に無いと思っただけだ。

いや、咄嗟の事にそこまで考えたかすらも思い出せん。ただ思った。死なせる訳にはいかん。
ヨンを生かす為に、この女人だけは絶対に。

あの頃この女人との接点など、今以上に何もなかった。顔すら碌に知りもせず、知る必要もなく。
それは今も変わらない。奴がいる。俺が出張る必要はない。

「草刈りをせんなら帰れ」
「ヒドさん」
椅子を蹴り立ち上がっても、女人は負けずに立ち上がって食い下がる。
「吐き気、頭痛、もしそんな症状が出たらすぐ呼んで下さい。アナ・・・えーっと、拒否反応の酷いものなら今発症してるはず。
もしこの後に症状が出たら、鍼を打ちに来ます。お願いだから、絶対隠さないで下さいね?初期治療の速さが肝心なんです」

ここまで念押ししてもまだ不安なのか、思い切れぬようにヨンを見て
「本当なら念のために、典医寺に来てもらえれば一番なんだけど」
粘り続ける女人の声、この顔を見る男の眸。
それにきっぱりと首を振る俺を確かめると
「・・・テマンを寄越す」

これ以上しつこく粘れば逆効果と判じたのだろう。正解だ。
奴はそう言って静かに俺の横まで来ると、肩を抱くように腕を廻して軽く叩く。
そして俺を真直ぐ見詰めたままの女人を促し
「行きましょう」
渋る女人の背を静かに押して酒楼の門を出る。

後ろ髪を引かれるよう何度も振り返る女人、その横を護るヨン。
二つの背が門扉の陰に消えた途端俺は東屋を飛び出すと、振り返る事なく奥へと戻った。

 

 

 

 

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