2016 再開祭 | 貴音 ~ 留守居・壱

 

 

【 貴音 ~ 留守居 】

 

 

秋の深まる酒楼の東屋に、肌寒い風が一陣抜ける。

色づき始めた頭上の木の葉が枝から離れ、明るい空へ飛んで行く。
その行方を黒い丸い目で追い、靨の手が光の中へ伸びた途端。

くちゅん。

音を立てた腕の中の吾子の嚏に、この方の白く優しい手が触れる。
「朝晩涼しくなって来たから、気をつけてね」

頷いて小さな体を胸へ抱き寄せ揺すり上げると、空へ伸びた両の腕がこの首へ巻きつく。
「はい」
「でもお日様があったかいうちは、厚着なんてさせなくて良いわ。子供は風の子だから!」

吾子を包む柔らかい外套の襟袷の紐を指先で結び直し、小さな掌が吾子の髪を撫でつける。
「アッパに心配かけないでね?オンマもすぐ帰って来るから」
「あぱ」

この方の言葉が判るのだろう、繰り返す声と共に黒い目が俺の眸を覗き込む。
頷き返せばその目がこの方の瞳とそっくり同じ三日月になる。

「全く・・・赤ん坊どころか女も碌にこさえた事ない男どもばっかりで、頼りないったらないよ」
苛立つように其処に並ぶ顔を順に見るマンボが吐き捨て、最後に途端に相好を崩して俺を見る。
いや、正しくはこの腕の吾子を。

「アジョシたちが悪い事したら叱っておやり。きちんと食べさせてもらえなかったら噛みついてやんな。あたしが許すからね」
その指で両頬を左右から優しく挟まれ唇を突き出した格好で、吾子はきょとんとマンボを見つめ返した。
「姐さん、もういいよ。早く行けって。ちゃんと飯も食わせるし、昼寝もさせるから」

愚図愚図と吾子から離れようとしないマンボを見兼ねたチホが言い、この腕の中の吾子を弄り続ける手を抑える。
「当たり前だろ、馬鹿が!威張って言う事かい!湯浴みも襁褓も大丈夫なんだろうね」

鬱陶しそうに手を振り払うときつい目でチホを睨むマンボの背を、うんざりしたように師叔が押し出す。
「早く行かねぇとすぐ暗くなんぞ。おめえだけならともかく、天女と二人旅なんだ。
明るいうちに碧瀾渡に着かなきゃ危ねえだろうが」
「ああ、分かったから押すんじゃないよ!」
「大体おめぇが持って来た話だろう。昔馴染みが足を痛めたなんぞ町医者に診せときゃいいもんを、わざわざ天女に」

ぐいぐいとその背を押す横で、俺のこの方が慌てたように首を振る。
「それは良いんです、いっつも姐さんにお世話になってるのは私の方だから。じゃあ、ヨンア」
「はい」
「本当に大丈夫?何かあったらすぐに帰って来るから、誰か知らせに」

師叔に門へと押し出されるマンボの脇、並ぶこの方が吾子を抱く俺を幾度も振り返る。

碧瀾渡までの道中ならば、いっそ脇を護って俺が行きたい。
こうして発つ背を見送れば不安で胸が波立つ。
しかし幼い吾子に秋の遠乗りは無理だと、母であり医官であるこの方に言われてしまえば。

結局唇を噛み、チュホンの鞍上に納まるこの方を見上げるしかない。
チュホンもいつもと勝手が違うのだろう。
跨るこの方を振り落とすまではせぬだろうが落ち着かぬ様子で耳を左右へ動かし、頻りに周囲を警戒している。

「チュホン」
俺の声にようやく安堵したか、その耳が揃って此方へ向く。
「頼むぞ」
「ちゅほ」
「そうだ。チュホン」
「ちゅほ」

その鼻面へ寄り掌で撫でる俺の胸許。
首にしがみ付く小さな手が離れ、己の幾倍も大きなチュホンの鼻面を怯えもせずに続いて撫でる。
その掌にチュホンは穏やかな目をし、心地良さげに首を伸ばした。

「じゃあ行くわね。きりがないから」
鞍上のこの方に頷き返すと、周囲の奴らが次々に笑う。
「気をつけてな、天女」
「一晩くらい何て事ないから。大船に乗ったつもりで居てくれよ」
「泥船じゃないと良いけどね。ほんとに頼んだよ!」

最後まで悪態を吐きつつ、マンボも借り馬に跨って其処から俺達を睥睨する。
「うるせえな、とっとと行けって言ってんだろうが!」
堪忍袋の緒の切れた師叔の怒鳴り声に肩を竦め、手綱を握り直したマンボが馬の脇へと踵を入れる。
「は!」

その一蹴で馬が走り出す。
この方が最後に名残惜し気に俺と、そして続いて吾子を見ると、手綱を握ったままの掌を振る。
「チュホン、よろしくね」

跨るチュホンの首筋を撫で、小さな踵がチュホンの脇を軽く蹴った。
その合図に忠実にチュホンは落ち着いた足並で大路を軽く走り出す。

秋空の大路を小さくなる細い背を見詰め、無事角を曲がるのを見届け、門へと踵を返す。
「おま」

吾子は不思議そうに俺を見上げ、そして紅葉のような手を伸ばしあの方とチュホンの消えた角を指す。
「ああ、今日は二人だ」
頷き返すと、我先にと男らが此方へ寄って来る。

「二人じゃねえぞー、チホおじちゃんがいるからな」
「シウル兄ちゃんもいるからな。今日は一緒に寝ようなー」
「はあ?うるせんだよ、俺が先に決まってんだろ」
「そんなの誰が決めたんだよ!」
「お前らいい加減にしろ!見ろ、驚いてんだろうが!」

シウルとチホの競り合いに見兼ねたよう、師叔が声を張り上げる。
騒がしい男らに寄られ、吾子はもう一度きつくこの首へ腕を回し、目を皿のようにして男達を見ている。
「おぅ、怖かったなー。ごめんなー。お前に怒ったんじゃねえぞ。どれ」

師叔までが酒灼けの赤ら顔を吾子へと近づけ、この胸から太い腕で小さな体を攫って行く。
好きにしてくれ。少なくとも誰もが吾子を舐めるように可愛がっている事はよく判る。

あの方に教わった手順を頭の中で繰りながら酒楼の門内へと踏み入る俺に、従いて来る奴は一人も居ない。
師叔の抱く吾子を弄り回し、頭を撫で、頬を撫で、笑ったと言っては己らの方がもっと大声で笑っている。

遊び、昼飯の粥、襁褓替え、昼寝をする間に飯の支度。
夕飯が終われば風呂、着替え、戌の刻には寝かしつけ。

あの方に預かった大きな包みの中、吾子に必要なものは全て有るか。
足りねば酒楼からひと走り、我が家まで取りに行かねばならん。

さて、長い一日になりそうだ。

吾子を奪われ突然軽くなった心許ない胸、酒楼の上の空を見上げる。

 

 

 

 

ウンスがマンボ姐と一泊旅行に行ってその間子供過ごす父子生活~
お父さんならではのアグレッシブな遊びとか普段ウンスがいたら怒られそうな事を楽しんでみるとか
どんなお父さんぶりなのか見てみたいです。(majuさま)

 

 

3 件のコメント

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    イクメン ヨン
    ウンスが居なくっても
    なんなくできそう な 感じだけれど
    ちびっこの ご機嫌なんて…
    ウンス以上に難しいかも ( ´艸`)
    でもでも 人見知りせず いい子ね
    みんなに 可愛がられてしあわせ♥

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    高麗のヨンとウンス。良いですね~
    やっぱり、此処が落ち着きます(^^)
    お父さんヨンの長―い1日。
    ドキドキします(笑)

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    さらんさん♥
    これまた超大人気シリーズの一つに
    なるに違いありませんね、
    この「貴音」バージョン!!!
    この先の本編に登場するのも
    本当に楽しみでなりません。
    吾子ちゃん。
    (名前も楽しみです(#^^#))
    それにしても、どんな材料でも
    一流料亭や一流レストランの味に
    調理するさらんさん、
    流石です!!
    次第に肌寒くなってきましたので
    どうぞご自愛くださいね。

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